当たり前を考え直してみる【受験生応援リレー④】

こんにちは。教育学部教育学専攻3回生のにしむらです。

受験生のみなさん、センター試験1日目お疲れさまでした!

 

わたしは大阪府大阪市の出身です。

幼稚園のお受験に失敗し公立へ、そして小学校、中学校は校区内の公立の学校へ進学しました。

小学生の頃は近くの図書館まで自転車で行って、貸し出し冊数ぎりぎりまで借りて帰るのが日々の楽しみでした。

中学の頃から塾に通いはじめ、高校は公立の受験に失敗したので大阪市内の私立の学校に進学しました。

そして1年間の浪人を経て、今、縁あって和歌山大学にいます。

 

どうした!?こいつなんで突然自己紹介しはじめたんや?('ω')

とお思いの方が大半かと思いますが、わたしは大学に入学するまで上の文章がすべての人に共通の考え方だと思っていたんです。

幼稚園のときから「受験」や「偏差値」が身近で、学校の勉強を補うために塾や予備校に通うのが当たり前なんだと。

 

でもこの感覚って、偶然わたしがそういう環境に生まれ育ったからだったんですよね。

塾や予備校に通うことも誰にとっても当たり前というわけではありません。

大学に入学して他府県で高校生までを過ごしてきた人たちと出会うまで、

教育学部の講義で「学校で学ぶ」ということを捉えなおすまで、ずっと気づいていませんでした。

 

このブログを読んでいるみなさんにとっては、「受験」ってどんな感じですか?

当たり前にするもの、ですかね?大学選びの基準は「偏差値」だけになっていませんか?

 

私が大学入試を受けるにあたって、足りなかったなあと思うのは

その当たり前、自分が置かれている環境に気づかずに大学をほとんど偏差値だけで選んでしまったこと。

それからあと他にもう一つあります。わたし自身の分析です。

 

書いてきたように私にとって受験は当たり前だったので、

どの科目で受験すれば有利だとかの分析をするのは得意なほうでした。

でも、そういう数値的なこと、ほかの人との比較でしかないことばっかりで、

大学に進学しようとしている自分について考えてみることをおざなりにしてしまっていました。

 

このあいだの夏の終わりごろ、ある本を読んでいた終盤に、コレ読んだことがある!ということに気が付いて、

夢中で読んでいたときのわたしを思い出す、という体験をしました。

その本は高校2年のときにセンター試験の国語の問題として出会って、抜粋部分だけでなくぜんぶ読みたいと思い、手にしたのでした。

著者が関わっている大学があると知り、どんなところか見てみたいと感じていました。

いつの間にか偏差値ばっかりにとらわれて、そんな芽生えていた興味をないがしろにしてしまっていたなあと今振り返って思います。

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(今年の干支と私の一人暮らしの家の壁。

観に行った/観に行く予定のお芝居のチラシや関連する書籍を飾っています)

 

ここまで書いてきましたが、今和歌山大学にいることを後悔しているわけでは全くありません。

本とも最初とはまた違う形で再会したことで、わたしの興味の根っこが今日まで繋がっていることに気付けました。

それに大学に入ってからもたくさんの人や本に出会っています。

同時に、どの大学に行ったって、私次第で世界は大きくも小さくもなったんだろうなと思います。

 

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(和歌山大学附属図書館新棟4階の教養の森センター。ここでも新たな出会いたくさんです)

 

センターが終わってから出願までの期間って、ほっと一息つこうにも色んな締め切りがあるし、

他の人たちの動向も気になってぐずぐずもやもやしてしまうと思います。

これを読んでいる方たちの学びたい気持ちが、点数や偏差値によって振り回されることがありませんように!

来週から一段と寒くなるみたいです、体調に気をつけて「自分の分析」を改めてしながら二次試験対策がんばってください!