皆さんこんにちは。
今回は和歌山大学「教養の森」4回生の久保太希としてこの記事を書きたいと思います。
さて教養の森とあたかも皆さんが知っている事を前提での挨拶でしたが、まずはここを少し説明していきますね。
教養の森とは、日本の各大学では多くが「教養科目」と称されているかと思います。
また俗に「一般教養」とも呼ばれ、これを和歌山大学は平成24年10月に「教養の森」へと名を変え心機一転、その重要性をとなえています。
「森」と言うからには、そこには「木」があるわけで。紹介については↓
こちらを見て頂けるとヴィジュアル的にも分かりやすいかと思います。
これでこの記事は半分程役目を果たした気もしますが・・・
僕の大好きな「教養の森」。そしてもしかしたら今の学生達に一番必要ではなかろうかと感じる「教養の森」。
何で僕はこの「教養の森」に魅せられたのか、残りの余白を使って伝えれたらと。
和歌山大学の【教育活動宣言】には「豊かな人間性を育てる教養教育」という実施項目があります。
「豊かな人間性」とはなんなのでしょう。
現時点で25歳の僕ですが、実の所こんなことを考えたのもこの記事を書く半年前からでしょうか。
人間とは何か...人間になるとは何か...豊かとは何か...
生まれた時から人間は人間なのか...
人間はいつ人間となるのか...
教養の森の入口は、ハウツー(HOW TO)を授けるような既製のドアではなく
人間そのものを問いただす、少し歪な形をしています。
教養の森を彷徨えば、「答えの実」はどこにもありませんが
考えることの出来る「知恵の実」は生っているでしょう。
また、そこに生きる動物がいて。
教養の森教員は森の賢者とも呼ばれる梟(ふくろう)のように実の生る木への道を教えてくれるはずです。
一度迷い込んでしまえばそう簡単には抜け出せない。
しかし、この森を抜けるとき
ふと今まで見ていた景色が全く違う世界に見える。
少しずつですが、森の入口に立つ前の僕より
世界は違って見えてきたような気がします。
もしかしたら、この違う見え方こそが前述した「豊か」を指すのかもしれません。
こんな体験って大学生だからこそ、もしかしたら和歌山大学の学生だからこそ
出来るのではないでしょうか。
考える事を楽しめる人間に
そんな風になりたいと思える人間に
教養の森を一度訪れる事を僕はお勧めしましょう。