国立大学法人 和歌山大学

海のかなたへ・・・移民県和歌山

和歌山が、全国有数の移民を送り出した県であることを、知っていますか。

海外には、南北アメリカを中心に、いくつもの和歌山県人会があり、中には、100年を越える歴史をもつ会もあります。和歌山市民図書館には、全国の公立図書館で唯一「移民資料室」があり、移民関係の資料やデータベースが充実しています。

ここでは、関連地を訪れることのできる、いくつかのトピックを紹介しましょう。

紀北から北米へ

海外移住の口火を切ったのは、紀ノ川筋からのアメリカ移民である。1880年代以降に、ハワイやアメリカへの日本人の移民が盛んになり、さらにブラジルなどへの移民が続くが、和歌山ではそれより前に、現紀の川市の本多和一郎が、私塾の共修学舎内に渡米相談所を開いて、青年たちをアメリカ移民に送り出した(同市の阿弥陀寺に、本多の顕彰碑がある)。他にも、人脈を頼りにアメリカに渡る人が多くなり、各地に「アメリカ帰り」も増える。

しかし、海外に夢を託さねばならない現実や、渡航先での苛酷な労働の他にも、移民した人たちは、渡航先の社会で、多くの摩擦に直面することになる。後の国策による「満州」などへの植民はいうまでもないが、アメリカへの移民も、安価な労働力としての差別待遇に甘んじている域を質量共に越えると、排日の動きが起こり、1920 年代には移民禁止法ができる。それでも、日系人たちは労苦を重ねて次第に社会的地歩を築いてゆくが、日米戦争が起きると、日系人は強制収容所に収容される。

ヘンリー杉本

強制収容所での生活を描いたのが、ヘンリー杉本である。現和歌山市に生まれた杉本は、両親が住む米国に渡って画家となったが、しかし杉本もまた日系人としての運命をまぬがれない。杉本の絵は、上記移民資料室で見ることができる。(和歌山市駅より徒歩5分)

(Messr oom 食堂)

太地町

アメリカで活躍した画家といえば、有名な石垣榮太郎もいる。太地町出身の石垣は、渡米し画家となって活躍したが、妻の綾子とともに、社会運動、平和運動にも力を尽くした。

太地町に、町立石垣記念館がある。(JR太地駅下車)

太地町はまた、オーストラリア移民の町でもある。北部の木曜島や西海岸ブルームを基地としてボタンの原料となる貝を潜水採取する作業は、高い技術をもった太地町など和歌山県出身者の独壇場であった。ブルームでは、苛酷な作業で潜水病に倒れた犠牲者らの墓地が整備され、博物館に当時のパールダイバーに関する資料が展示されている。

アメリカ村

日高郡美浜町に、「アメリカ村」がある。

貧しい漁村であった三尾村(現美浜町)の工野儀兵衛は、1888年にカナダへ単身渡航し、現地の河での鮭漁に目を付け、村民を呼び寄せる。次々と出稼ぎに出かけた村民は、次第に移民へと変っていき、現地に第二の三尾村が作られるまでになる。

帰国した人達は洋風の家を建て、洋式で暮らしたので、三尾は「アメリカ村」と呼ばれている。(JR御坊駅からバス40 分の日の岬に移民資料館があり、眼下にアメリカ村が見える)

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北林トモ

「アメリカ帰り」の中には、生命をかけて平和を守ろうとした、北林トモのような人もいる。和歌山出身の夫のもとに、写真結婚で渡米したトモは、渡米画家宮城与徳の影響で社会運動に目覚め、夫の郷里に帰って粉河寺門前に住んだが、日米開戦の直前に、ゾルゲ事件に連座して逮捕され、事実上の獄死をとげる。(左図は和大で開かれた展示会ポスター。右図は粉河寺門前の、トモが住んだ家跡(粉河駅より徒歩))

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