国立大学法人 和歌山大学

「日本最後の共和国」きのくに探訪

戦国時代のおわりに日本を訪れたポルトガル人宣教師のルイス・フロイスは、紀伊国(現在の和歌山県)を、「宗教団体が四つ五つあり、そのおのおのが大いなる共和国的存在で、いかなる戦争によっても滅ぼすことができなかったのみか、ますます大勢の巡礼が絶えずその地に参詣していた」と紹介しました。 1585 年に豊臣秀吉に征圧されるまで、この地は紀州惣国一揆と呼ばれる宗教権力と百姓による自治の国が栄華を誇っていました。フロイスを案内人として、日本最後の共和国を訪ねてみましょう。

雑賀の国

「その住民たちはヨーロッパ風に言えば富裕な農夫であった。しかも海陸両面の戦闘で勇敢な働きぶりを示し名声を博していた」(フロイス)

現在の和歌山平野には雑賀惣国があり、40余の郷が5組に分かれて地域分権を行なった。海側の2組は矢の宮神社を、山寄りの3組は日前国懸神宮を寄合の場(議事堂)とした。強力な海軍力と火力によって大阪の本願寺を支援して、織田信長の天下統一を阻んだ。

雑賀孫市の像

雑賀惣国の指導者で本名は鈴木孫一。鈴孫様と呼ばれた。和歌山大学の西隣・平井郷の出身。一向宗の信徒で本願寺の侍大将として織田信長軍と交戦した。下の写真は、町の活性化のために作られた南海和歌山市駅の駅前広場のモニュメント。

矢の宮神社境内

雑賀荘の惣鎮守で、祭神は矢大神。1577年信長による軍事侵攻の際に、女将に化身して参戦して洪水を起こして防戦したと伝承。雑賀孫市はこれに感謝して雑賀踊を奉納したという。下の写真は古態の雑賀踊を舞う和大生。(JR和歌山駅・南海和歌山市駅より和歌浦方面行きバスで20分、秋葉山バス停下車)

根来の国

「かの広大な根来の盆地に仏僧だけで八千人から一万人おり、千五百以上の寺院・屋敷は日本の寺院中もっとも清潔で黄金に包まれ絢爛豪華であった」

中世の三大都市遺跡のひとつとしてその名をとどろかせる根来寺遺跡。発掘調査によって1585年の滅亡の日が再現される。「2度と再び台頭しない」というフロイスの読みははずれ、新生岩出市の歴史的観光資源としてみごとに再生した。境内の北部が2007年に国史跡に指定された。

根来寺大門

新義真言宗本山で、中世には根来共和国の首都として繁栄を極めた。その領土は、和泉山脈をはさんで泉南(大阪府南部)と紀北(紀ノ川中流域一帯)地域におよび、住民たちは弓・鉄砲で武装して根来衆とよばれた。(JR紀伊駅からバス約20分「根来」下車徒歩約20分)

大門池の図書館

秀吉軍の侵攻により根来の国は炎上し、僧侶たちは大門のほとりの大池に抗議の入水自殺を試みた。現在は池に市立図書館がたつ。ここから南西方向に向かう小道は、中世の門前町・西坂本の町並みである。

共和国の最後

「秀吉は周囲2里に土塀のように堤を設け、水量豊かな大河の水をその堤に導入して水死させる事にした」(フロイス)

栄華を誇った紀州惣国も、1585年4月22日紀ノ川を人工的に氾濫させるという秀吉の作戦によって降伏した。写真は、この時に秀吉が築いた水攻め堤防の唯一の遺跡。高さは6メートル余、土台の幅は30メートルという巨大な施設である。秀吉は和歌山城の築城を命じ、時代は紀州惣国の世から和歌山の世に移り変わった。中世という共和国の時代の終わりである。

 

出水の堤防跡

(JR和歌山駅東口より東北に徒歩10分)

このページのTOPへ