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終了【7/19(水)】第94回わだい浪切サロン「日本庭園」のデザインーその誕生と変遷

2017/7/21

近年、訪日観光客が増加する中、特有のデザインと雰囲気を持つ日本庭園は観光資源としても注目が集まっています。

それでは、桂離宮や金閣寺の池庭あるいは龍安寺の枯山水―「日本庭園」として思い描かれるこうした庭園のデザインは、いつ、どのような経緯でできあがったのでしょうか。そして、どのような変遷を経て、いまに至ったのでしょうか。

庭園遺跡の発掘調査の成果や文献資料などを用いながら、日本庭園デザインの誕生とその後の変遷についてお話ししたいと思います。

参加無料・申込不要

 

日  時 : 2017年7月19日(水)19:00~20:30

場  所 :  岸和田市立浪切ホール 1階 多目的ホール

話題提供 :  小野 健吉(観光学部 教授)

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開催レポート           

参加者62

【概要】

「日本庭園」のデザインと誕生について、飛鳥時代から江戸時代までの歴史の変遷をたどりながら、観光学部小野先生がお話しくださいました。

 日本庭園の歴史的な流れをみると、飛鳥時代の発掘庭園(考古学的発掘調査で明らかになった庭園遺構)の遺跡が発見され、残存する遺構は、おおむね埋没した時点以後の(庭園改変の意図をもった)人為的変化を受けていないことから、それぞれの時代の庭園デザインの基準資料として、庭園史研究に重要な役割を果たしているとのことです。

 その中の代表的な遺構である「飛鳥出水遺跡(飛鳥京跡苑池)」について、日本書紀の文献資料には、「白錦後苑に幸す」と記されており、この遺構は白錦後苑である可能性が高いと説明してくださいました。

 奈良時代の平城京左京三条二坊六坪といわれる庭園は、池の下側に石を敷き詰め、池の中に石を置いています。出っ張ったところには石積みを造るなど、岩がごつごつしている様子などは、自然景観をしっかりと観察されているとのことでした。

 奈良時代の庭園は、自然風景を規範とした曲線を基調とするデザインであり、加工を施さない石や上から下へと流れる水など、自然にしたがった材料・技法を取り入れている庭園であるため、「日本庭園」のデザインの成立は、奈良時代であるといえるそうです。

 平城宮東院庭園は、1,250年前の石積みが本物であり、奈良時代の庭園が復元され、完全に蘇っている素晴しい庭園であると説明してくださいました。

 飛鳥時代と奈良時代は、連続する時代ではありますが、飛鳥時代は百済(朝鮮半島)の影響を、奈良時代は唐(中国)の影響を受け、庭園のデザインは変化しているようです。

 平安時代になると、京都に都が移され、平安時代中期には、東三条殿など貴族の邸宅とともに造られたのが、寝殿造庭園とされます。後期には、平等院・毛越寺などのように、末法思想の影響を受けた浄土庭園が主流になったそうです。

 平安時代に書かれた日本最古の庭園書である「作庭記」には、自然の景観をイメージしながら、庭作りを行い、さらに、依頼者の要望と自分のイメージを思い巡らしながら、国々の名所の良いと思うところは自分のものとし、調和させて庭づくりに活かしたと記されています。平安時代の終わり頃は、「生得の山水」という言葉が記されているように、特に自然のあり方を大切にされていたようです。

 日本庭園の分類としては、日本庭園の主流でもある「池庭」、室町時代の中期頃から造られるようになった様式で水を使わず砂や石で水の流れや山を表現する「枯山水」、桃山時代から江戸時代の初頭に侘茶の確立とともに成立した「露地(茶庭)」などがあります。

 庭園の建物との位置関係においては、建物包含型、建物付随型、前庭型、後庭型があります。

・建物包含型は、敷地全体の庭園の中に建物が含まれます。(平城京跡東院庭園・金閣寺・桂離宮・栗林公園・不審庵・三溪園など)

・建物付随型は、建物に庭園が付随します。

・前庭型は、建の前面に庭園があります。(東三条殿・平等院・龍安寺など)

・後庭型は、建物の後面に庭園があります。(建長寺・天龍寺・大徳寺大仙院書院庭園・無鄰菴など)

前庭型はフォーマルな庭、後庭型はプライベートな庭であるという違いがあるそうです。

 このように奈良時代に成立した「日本庭園」のデザインとは、多様な機能に対応しつつ、建物との関係、水の取り扱いなどに様々な型を生み出しながら、一貫して「自然風景を規範として曲線を基調とするデザイン」「自然にしたがった材料・技法」を堅持して、現在に至っているとのことでした。

 昔の方々は、庭園で曲水の宴などを行い、また、庭園が見える場所に座り自分の心と向きあいながら落ち着いた時間を過ごしていたことと思います。

現在の私たちも、時には、日常の喧噪から離れ、日本庭園などを訪れることで、庭園の静寂と自然が調和した心地よさに包まれるひとときを、ゆっくりと流れる時間とともに過ごすことも大切であるように思いました。

 

【アンケートより】

・日本にあるから日本庭園と呼ばれているわけではないということが良くわかる説明でした。一番驚いたことは、日本だと思っていた場所がパリにある日本庭園だったことでした。そのような事もふまえ、とても興味深いお話でした。(10代・女性)

 ・庭園と歴史との関係性をはじめて伺い、とても興味深く聞かせていただきました。昔の方々も庭園を観ながら癒されていたのではないでしょうか。(40代・男性)

 ・飛鳥時代に噴水があったとはおどろきでした。今の日本庭園のルーツが奈良時代にあることが良くわかりました。(40代・男性)

 ・時代と共に庭園デザインが変化してきた様子が興味深かったです。飛鳥時代の石像の噴水はどうして水が出るのか知りたいです。明治時代以降の庭園について作庭者と共に詳しく知りたいです。(50代・女性)

 ・庭園の成立について説明ありがとうございました。今後、様々な庭園をみる興味がわきました。50代・男性)

 ・飛鳥時代から中世、近世に至るまでわかりやすく講義されて、大変興味を覚えよかった。70代・男性)

 

 (前回)第93回「場所と住まい~紀の国住宅プロジェクトで考えていること~」(レポート)

 (次回)第95回「災害救助ロボット~夢の実現に向けて~」(予告)

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