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『フィールドミュージアム 中世日本の国境地帯』(2012年発行)

H24年度前期、学部開放授業「日本史の深層」(海津一朗教育学部教授)を開講しました。
授業の内容は、信長・秀吉の天下統一の前に立ちはだかった紀州惣国の側から中世終焉の過程を掘り下げ、その意味するところを理解しようとするものでした。

こうした授業のなかで語られた「中世日本の国境は、岸和田・貝塚の周辺にあった」という言説を検証すべく、受講生の皆さんは貝塚市を流れる近木川沿いを貝塚市学芸員の案内でフィールドワークしました。

半年前のフィールドワークの成果が、ようやくフィールドミュージアムマップとしてまとまりました。受講生の皆さんが訪れた根来出城跡に加えて、周辺の寺社や城跡なども追加取材して新たな情報として盛り込みました。

学校の教材として、郷土史学習の資料として、史跡めぐりの携行地図として、多くの方々に手にとっていただき、活用していただければ幸いです。

今度は、「日本史の深層」を受講された皆さんに、このマップを手にガイド役をしてもらう機会があってもいいかもしれませんね。

『フィールドミュージアム 中世日本の国境地帯』をご希望される方は、岸和田サテライトまでお問合せください。

 

【表紙】
岸和田市の天性寺に伝わる『蛸地蔵縁起絵巻』のワンシーンを表紙に使用。天正頃の岸和田城と根来寺勢力の関係を象徴的に描いた場面。

羽柴(豊臣)秀吉による全国統一以前、紀伊半島には「イリャ・ドス・ラドロイス(倭寇の国)」「おおいなる宗教共和国」「富裕な百姓の国」と呼ばれた紀州惣国が独立を保っていた。紀州惣国は、地侍・百姓たちが一揆して団結し、雑賀・根来・高野・熊野三山などの宗教権力のもとで、海外交易と技術立国によって武装自治を実現していた。その勢力は、和泉山脈を越えて、貝塚の一帯にまで及んでいたのである。

 

【表面】
秀吉軍と紀州惣国連合軍とが対峙した戦場の要害配置を描いた絵図『根来出城図』(縮小版)を中央に配置。
左下には、泉南地域と紀州惣国一揆の位置関係がわかる地図と解説を掲載。

 

【裏面】
表面の絵図に描かれる城跡、街道、村名などを現在の地図上に再現。
左上には、和泉地方最大の中世城郭を描いた『根福寺城図』。
地図の上部と右側には、史跡の解説を掲載。

(大きさはB5版8枚分。たて約51センチ×よこ約72センチ)