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さやかに風も吹いてゐる...... ――「教養」の来た道(10) 天野雅郎

お察しの通り、前回も今回も共に、中原中也の詩(「帰郷」)の一節から、僕は表題を借り受けている。が、残念ながら、ここで今、君に中原中也の話をする余裕は僕にはなく、むしろ彼と繋がる形で、ふたたび太宰治の話を君に聴いて貰うのが、今回の僕の目論見である。それと言うのも、この二人――中原中也と太宰治は「日本列島」の、いわゆる「本州」の最北の県(青森)と最西の県(山口)で生まれているけれども、その生年は僅かに二年違いであり、中原中也が明治40年(1907年)に、太宰治に二年先んじて生まれているのが順序であったから。なお、この二人の間には興味深い、とりわけ酒がらみの逸話(エピソード)が残されているが、その点についても今回は、いっさい目を瞑(つむ)ることにして、とりあえず以下に、中原中也の「帰郷」を引用するに留めよう。 

 

          柱も庭も乾いてゐる

          今日は好い天気だ

                    縁(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が

                    心細さうに揺れてゐる

 

          山では枯木も息を吐(つ)く

          あゝ今日は好い天気だ

                    路傍(みちばた)の草影が

                    あどけない愁(かなし)みをする

 

          これが私の故里(ふるさと)だ

          さやかに風も吹いてゐる

                    心置(こころおき)なく泣かれよと

                    年増婦(としま)の低い声もする

 

          あゝ おまへはなにをして来たのだと......

          吹き来る風が私に云ふ

 

ところで、君は「日本列島」が文字通りの「列島」であることを知ってはいても、ひょっとすると、その中の最大の島が「本州」であり、そうである以上は、その「本州」の「州」も島の意味に他ならないことを、忘れてはいなかったであろうか?「川の州(す)の形に象(かたどる)る」と、僕の愛用する白川静の『字統』(1984年、平凡社)には簡潔に記されているし、それが実は「砂(す→すな)」と同語源の語であることも、ふたたび白川静の『字訓』(1987年、平凡社)を引くと、明らかになる。また、ここで再び『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を繙くと、その「本州」の項には『尋常小学読本』(1887年)の名が挙げられているから、この語が結果的に、近代以降になって成立した語であったことも分かる。......辞書(ディクショナリー)って、便利でしょう?

それどころか、この語が今から120数年前になって、ようやく生まれた、新しい「日本語」であり、その事実に対して、君も得心が行ってくれたのであれば、これまでのように「日本列島」を古代や中世にまで遡らせ、そこから平然と日本の歴史(「日本史」)を語るような無神経な態度は慎もう、と君は悟ってくれたはずであるし、それよりも何よりも、このような「日本」を頭に冠した、一連の語は、前回も触れた「学制」(1872年)や「教育令」(1879年)や、その後に続く「学校令」(1886年)――細分化をすれば、帝国大学令、師範学校令、中学校令、小学校令、等々を承けて、はじめて姿を見せた語であって、譬(たと)えるならば、それは私たちの国が「大日本帝国」(1889年)を自称するべく、俄(にわか)仕立てに身に着けた、真新しい衣装であったことになる。

そのような衣装の一つとして、今回は君も僕も揃って、かつて子供の頃に経験した、小学校の「運動会」のことを想い起こしたい。......と、このように言うと、これから僕が太宰治の、どのような作品を引き合いに出し、どのような話を始めようとしているのか、それを君が予想して、宣宣(うべなうべな)と諾(うべな)ってくれるのであれば、君は筋金入りの、太宰治ファンであるに違いない。――実は、昨年(2012年)の年末の帰省に際して、僕は久し振りに太宰治の『津軽』の文庫本を携え、高速バスの車中で読み耽ったが、それは太宰治が『津軽』の冒頭で、例の「津軽の雪」(「こな雪、つぶ雪、わた雪、みづ雪、かた雪、ざらめ雪、こほり雪」)を数え上げる箇所を振り返り、それを窓外の、郷里の雪景色と重ね合せつつ、感慨に浸りたかったからに他ならない。

なお、この「津軽の雪」は後年(1987年)になって、原作から40年以上も時が過ぎてから、ふたたび歌謡曲の台詞(せりふ)となり、巷(ちまた)に流れることになるが、それが新沼謙治の『津軽恋女』(作詞:久仁京介、作曲:大倉百人)であったことなど、よもや君は知るはずがないよね? ――と言っておいて、ふたたび僕には歌謡曲好きの、性懲りもない血が騒ぎ出してしまうのであるが、そこには四度も、次の同じフレーズ(「降りつもる雪、雪、雪、また雪よ、津軽には七つの雪が降るとか、こな雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪、みず雪、かた雪、春待つ氷雪」)が繰り返され、この「津軽の雪」が謳い上げられることになる。でも、よく耳を傾ける(目を凝らす?)と分かるように、こちらの「津軽の雪」は並び順が、いくぶん太宰治の『津軽』とは違っているけれども。

さて、そのような太宰治の『津軽』であるが、この作品は最初、昭和19年(1944年)の11月に刊行されているから、それは現在、私たちが「第二次世界大戦」と呼んだり、あるいは「太平洋戦争」と呼んだりしている戦争の、終戦の直前の作品であったことになる。そして、そのような終戦(と言うよりも、敗戦)の直前であるにも拘らず、当時の「本州の北端の漁村」の小学校――厳密に言えば、今の青森県北津軽郡中泊町の小泊小学校(当時の呼称は、小泊国民学校)の「運動場」には、何と「万国旗」が掲げられ、それが日本海の風を受けながら、ハタハタとはためいている様子など、文字通りの『戦争を知らない子供たち』(1970年、作詞:北山修、作曲:杉田二郎)の一人に過ぎない僕には、信じ難い光景であり、太宰治と同様、呆然とせざるをえない思いで一杯である。

教へられたとほりに行くと、なるほど田圃があつて、その畦道(あぜみち)を伝つて行くと砂丘があり、その砂丘の上に国民学校が立つてゐる。その学校の裏に廻つてみて、私は、呆然とした。こんな気持をこそ、夢見るやうな気持といふのであらう。本州の北端の漁村で、昔と少しも変らぬ悲しいほど美しく賑やかな祭礼が、いま目の前で行はれてゐるのだ。まづ、万国旗。着飾つた娘たち。あちこちに白昼の酔つぱらひ。さうして運動場の周囲には、百に近い掛小屋(かけごや)がぎつしりと立ちならび、いや、運動場の周囲だけでは場所が足りなくなつたと見えて、運動場を見下せる小高い丘の上にまで筵(むしろ)で一つ一つきちんとかこんだ小屋を立て、さうしていまはお昼の休憩時間らしく、その百軒の小さい家のお座敷に、それぞれの家族が重箱をひろげ、大人は酒を飲み、子供と女は、ごはん食べながら、大陽気で語り笑つてゐるのである。日本は、ありがたい国だと、つくづく思つた。たしかに、日出づる国だと思つた。国運を賭(と)しての大戦争のさいちゆうでも、本州の北端の寒村で、このやうな明るい不思議な大宴会が催されて居る。古代の神々の豪放な笑ひと闊達な舞踏をこの本州の僻陬(へきすう)に於いて直接に見聞する思ひであつた。海を越え山を越え、母を捜して三千里歩いて、行き着いた国の果の砂丘の上に、華麗なお神楽(かぐら)が催されてゐたといふやうなお伽噺(とぎばなし)の主人公に私はなつたやうな気がした。(『太宰治全集』第7巻)

太宰治の『津軽』自体は、この後、この「華麗なお神楽」の群衆の中から、ある一人の女性を探し出すために、彼が運動場を行ったり来たりしながら、文字通りの「お伽噺の主人公」になっていく姿が描かれていくけれども、その「お伽噺」については、回を改めて君に伝えることにして、ここでは「運動場」という語の成り立ちに関して、簡単な説明を付け加えておこう。とは言っても、ここでも僕は『日本国語大辞典』を繙いて、その受け売りをするに過ぎないが、この「運動場」という語は元来、遡れば「近代学校制度の整備によって生じた語」であって、明治の初期には「はらごなしば」(!)や「あそびば」と呼ばれていたものが、やがて「うんどうば」と称されるようになり、それが一般に「うんどうじょう」と読み変えられるのは、どうやら大正以降のようである。

また、同じ『日本国語大辞典』の説明に従えば、このような「運動場」の設置を推し進めたのは、ちょうど19世紀から20世紀の鳥羽口(とばぐち)で布告された、1900年(明治33年)の小学校令であったらしく、この法令の改正に伴って、結果的に「運動場」という語自体も、私たちの間に定着したようである。ちなみに、それは太宰治の生まれる九年前の出来事でもあれば、これから彼が「お伽噺の主人公」となり、必死で探し回ることになる、ある一人の女性が生まれてから、わずか二年後の出来事であったことにもなる。――と書けば、すでに君は再度、僕の頭の中で中原中也の「帰郷」の一節が、ユルユルと音を立て、流れ始めたことに気が付いてくれているに違いない。......「これが私の故里だ、さやかに風も吹いてゐる、心置なく泣かれよと、年増婦の低い声もする」。 

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