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歌よみに与ふる書 ――「教養」の来た道(115) 天野雅郎

今回も本当は、僕は君に「ほほほほ......と笑う人」の続編を書いて、送り届けたい、と願っており、実際に内容も、続編以外の何ものでもないのであるが、この表題にも少々、秋(あき)でもないのに飽(あき=厭)が来た、と言うのが正直な所である。――と、このような言い回しを、君は駄洒落(だじゃれ)と呼ぶ側であろうか、それとも掛詞(かけことば)と呼ぶ側であろうか。まあ、どちらでも構わないけれども、例えば『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「あき」(飽・厭)の語を引くと、そこには「(動詞「あく(飽)」の連用形の名詞化)和歌などでは、「秋」にかけていうことが多い」と述べられた後、用例に挙げられているのは『古今和歌集』(巻第十五、763)の一首(我が袖〔そで〕に/まだき時雨〔しぐれ〕の/降〔ふ〕りぬるは/君が心に/秋や来〔き〕ぬらむ)であった。

ついでに、これまた『日本国語大辞典』で「かけことば」(掛詞・懸詞)の語を引くと、そこには「修辞法の一つ。同じ音で意味の異なる語を用いて、それを上と下とに掛けて、二様の意味を含ませるもの。「立ち別れ/いなばの山の/峯〔みね〕に生〔お〕ふる/まつとし聞かば/今帰り来〔こ〕ん」の「往(い)なば」に「因幡(いなば)」をかけ、「松」に「待つ」をかける類。和歌、謡曲、うたい物、浄瑠璃等に多く用いられる。かかりことば」という説明文が置かれている。なお、ここで用例に挙げられている歌自体は、ふたたび『古今和歌集』(巻第八、365)の「離別歌」(りべつのうた)の冒頭に置かれている歌であって、先刻の一首が、いわゆる「読人(よみびと=詠人)知らず」の歌であったのに対して、こちらは、在原行平(ありわら・の・ゆきひら)が作者であったことが分かる。

ところで、この歌の中に登場する「因幡」とは、言うまでもなく、あの「因幡の白兎」の神話でも知られている、現在の鳥取県の東部のことであるが、この場所には古く、因幡の国の国庁があり、そこに国守として在原行平が赴任するのは、今から1160年前の、斉衡二年(855年)のことであった。そして、それから二年ばかりを、この因幡の国で彼は過ごすことになる。要するに、前掲の歌は彼が、その折の下向(げこう)......と言う、実に困った、差別的な言い回しを僕は使わざるをえないけれども、いわゆる地方への単身赴任に際して詠まれた歌であり、おそらく彼が都に残すことになる、妻や子への歌として理解をするのが穏当であろう。もっとも、この時の彼の年齢は、すでに三十代の後半に達しているから、彼が弟(在原業平)と同様、数々の浮名を流す身であっても不思議ではない。

ところで、この因幡の国の国守として、彼より百年ほど前に、この国庁に赴任していたのが、あの大伴家持(おおとも・の・やかもち)であった次第。と言い出すと、ひょっとして君は『万葉集』の、例の掉尾を飾る一首(巻第二十、4516)――「新(あらた)しき/年の始めの/初春の/今日(けふ)降る雪の/いや頻(し)け吉事(よごと)」を想い起こしてくれているかも知れない。この歌は、厳密に言えば、今から1256年前の、天平宝字三年(759年)の元旦(1月1日)に詠まれた歌であり、当時、家持自身は四十二歳の正月を、この地で迎えていたことになる。ちなみに、先刻の在原行平の歌を、きっと君は『百人一首』を通じて、知っていたに違いないが、残念ながら、一方の大伴家持の歌が『百人一首』に載せられるのは、彼の『万葉集』時代の歌とは、かなり趣の違う歌であった。

 

鵲(かささぎ)の/渡(わた)せる橋に/置く霜(しも)の/白きを見れば/夜(よ)ぞ更(ふ)けにける

 

この歌自体は、何と大伴家持が亡くなってから、ちょうど420年後に編纂された、あの『新古今和歌集』(巻第六、620)に収められている歌であり、その意味において、これが本当に彼の歌であるのかも、疑いを持たれている歌であるけれども、裏を返せば、それほどの長い時間を隔てつつ、この歌自体は奈良時代(8世紀)から、平安時代(9世紀~12世紀)へと、そして鎌倉時代(13世紀)へと、読み継がれ、手渡されてきた歌であって、そのことを、君や僕は歌の命(いのち=「生の霊」→白川静『字訓』1987年、平凡社)として、しっかり受け止めておく必要がある。とりわけ、君や僕が生きている時代のように、やたら作者(author)や、その権威(authority)ばかりが注目をされ、そこに独創性(オリジナリティー)という魔物まで、君や僕に、誘惑の手を差し伸べている時代には。

もっとも、僕のように単純に、そのような「オリジナリティー」(originality)など最初から、他愛(たわい)のない妄想であり、虚言に過ぎず、そのような自愛(ジアイ)よりも、数段に美しいのは他愛(タアイ)であり、他愛であらねばならない......と信じ切っている人間には、むしろ古くから、はるかな昔から伝えられてきた歌の方が、ずっと心を落ち着かせ、慰めてくれるものであることも、疑いのない事実である。実際、せいぜいヨーロッパで「オリジナリティー」という語が生まれ、幅を利かすようになったのは、近代以降のことであり、厳密に言えば、それは18世紀の中盤以降のことであって、そこでは人間が、古いものよりも新しいものに、それどころか、より新しいものに価値を置く、言ってみれば、新手(あらて)の「もの」(物・者・鬼)狂いが、蔓延し出した訳である。

もっとも、と僕は繰り返すけれども、そのような「もの」狂いが物(もの)の領域(すなわち、経済生活)においても、者(もの)の領域(すなわち、社会生活)においても、あるいは鬼(もの)の領域(すなわち、宗教生活)においても、すっかり当たり前のことであるかのように見なされ、そのような考え方が君や僕の心に、浸み込んでしまった時代の中では、逆に古いものに愛着を持ったり、執着を抱いたりすることが、かなり困難であることは分かり切っている。が、それでも僕は、そのような懐古的(nostalgic)な態度や生活や、その折々の趣味(taste=触覚)が、大いに好きであるし、ぜひ君にも、そのような懐古趣味の共有者になって貰(もら)いたい、とすら思っている。もちろん、その際にはノスタルジア(nostalgia)の、帰郷(nostos)への苦痛(algia)も、一緒にして。

さて、このようにして今回は、いささか番外編の「教養」の来た道――となってしまったけれども、仮に君が、僕の話に興味を持って、もう一度、例えば『百人一首』の勉強でも、し直してみようか知らん、と思ってくれているのであれば、僕は立場上、君の道案内(ガイド)の役目も、引き受けざるをえないであろう。とは言っても、さしあたり僕は文庫本で、鈴木日出男(すずき・ひでお)の『百人一首』(1990年、ちくま文庫)と、僕の敬愛する、目崎徳衛(めざき・とくえ)の『百人一首の作者たち』(2005年、角川文庫ソフィア)が、君の手許に揃っていれば、それで当座は大丈夫、と確信をしているので、今回は特別に趣向を変えて、君に宗左近(そう・さこん)の『鑑賞百人一首』(2000年、深夜叢書社)の中から、前掲の在原行平の歌を、その「現代詩訳」(!)と共に送り届けよう。

 

たちわかれ/いなばの山の/峰に生ふる/まつとしきかば/いま帰りこむ

 

きみに別れて、いまわたしは任地の因幡の国へ発(た)とうとしている。だが、嘆くことはない。「こんなにお待ちしているのに」と一言、風の便りにでも聞けば、たちまち舞い戻ってくるのだから。

 

鳥が身をひるがえして/旋回している/山のふもとから/風が立った/ゆかねばならぬ/木々が葉裏(はうら)をかえしている/いまこそは別れの時/馬に一鞭〔ひとむち〕くれねばならぬ/かなたには遠く因幡(いなば)の国/こなたには近くきみの国/ああわたしをむかえるものが/たとえどのようなものであるにせよ/空はもはや/鞭のさきに光って裂けている/叫べきみよ/待つものはただ背後にしかひそんでいないと/そのときおお/馬のひづめの蹴(け)破ってゆくさきがどこかを/どうしてわたしが知りうるだろう/風がたった またしても/見よ 鳥は身をひるがえして/旋回し続けてやまないでいる

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