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実体験と虚体験 ――「教養」の来た道(12) 天野雅郎

今回も前回と同様、体験の話であるが、そもそも僕は体験という語を大きく二つに分けていて、それを実体験と、いささか風変わりな表現ではあるが、虚体験と呼ぶことにしている。実体験の方は、文字通りに実際の、現実の体験を意味しており、例えば英語の辞書を引いても、そこにreal experienceや、場合によってはactual observationという言い回しが挙げられているから、君も手許の英和辞典や和英辞典を繙(ひもと)いてくれると有り難い。とは言っても、このような実体験が実は、私たちが普段、単に体験と称しているものに他ならず、僕が前回、引き合いに出した『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の語釈(「自分が実際に身をもって経験すること。また、その経験」)も、その点では体験の語の、ごく一般的な、日常的な使い方を指し示していたことになる。

ちなみに、このような体験の語を、いったい何時の頃から、私たちは用い始めたのであろうか? この点については、確たる証拠を挙げることができないけれども、例えば『日本国語大辞典』の用例には、中江藤樹の『翁問答』(1650年)と、長與善郎の『竹澤先生と云ふ人』(1924年)が挙げられ、最後に中国の出典(『朱子語類』)が付け加えられているので、この語の起源は漢語にある、という当然の事実と並んで、この語が私たちの国でも、すでに江戸時代の初期には使われ出していたことを、窺い知ることができる。裏を返せば、この語の歴史は存外、浅いと言わざるをえないが、これを同じ『日本国語大辞典』の、経験の用例(瀧澤馬琴『兎園小説別集』)や、実験の用例(伊藤慎蔵『颶風新話』)と比べれば、むしろ体験は歴史の深い語であった、と言い直すことも許されるであろう。

これに対して、僕が虚体験という、いささか風変わりな呼び方をしている語は、その字面とは裏腹に、それほど難解な表現ではなく、私たちが実際に、現実に、決して何かを体験している訳ではないのに、それを「自分が実際に身をもって経験すること。また、その経験」であるかのように見なし……例えば、一度も見たことのない人や物を、まるで見たかのように話し、一度も聞いたことのない音や声を、まるで聞いたかのように語り、あるいは、一度も触ったことのない何かを、あたかも触ったことがあるかのように、一度も食べたことのない何かを、あたかも食べたことがあるかのように、ベラベラと喋り捲(まく)る、そのような体験のことである。――と言えば、そのような体験の達人(!)として、僕が太宰治を想定していることも、君は先刻、お見通しのはずである。

そして、このような体験が現在、私たちには普通の、ごく当たり前の体験になってしまっていることも、君は同意してくれるに違いない。何しろ、このような体験は現在、実体験よりも多くの時間と、多くの容量を占めて、君や僕の生活を満たしているし、例えばTVやDVDや、このようなPCの画面を通じて、君や僕に喜怒哀楽の、さまざまな感情を植え付けもすれば、それを制御(コントロール)していることすら、疑いようのない事実であったから。したがって、このような体験が私たちの、いわゆる実人生に及ぼす影響も、はるかに実体験を凌(しの)ぐものとなっている。それどころか、もはや私たちは自分の体験が、はたして実体験なのか、それとも虚体験なのか、ほとんど区別することがなくなってしまったし、それを区別する必要も、感じなくなっているのが実情である。

もちろん、このような現状を例えば、仮想現実や模擬現実という語に訳されている、英語のvirtual realityやsimulated realityに置き換えて、より当世風(ファッショナブル)な装いを凝らすことも可能であるし、その方が「おしゃれ」に見えるのも、間違いはないけれども、僕が今回、この虚体験という語を採択し、この語に拘泥し続けているのは、この語が決して単独の、孤立した語ではなく、この語からは虚栄や虚構や虚言や虚実、虚弱や虚飾や虚心や虚勢、虚脱や虚名や虚無や虚妄……といった、その頭に「虚」の語を冠し、夥(おびただ)しく連なる漢字の群れへと、僕を誘い、呼び込んでくれるからに他ならない。しかも、そこには英語のvirtual realityやsimulated realityには解消しえない、独自の言語と思想の歴史が、深い根を張っていることも確かである。

ところで、君は自分自身が、はじめて読書をした時のことを覚えているであろうか? 残念ながら、その時のことを僕は、よく思い出すことができないでいる。と言うよりも、その時――大袈裟(おおげさ)に言えば、この世の出来事とは思えない、とても甘美で、蕩(とろ)けるような至福の体験(「初体験」)を、幸運にも思い出すことのできる人がいる(!)という事態に対して、なかば羨望の思いと共に、不審の思いで受け止めざるをえないのが、正直な感想である。理由は簡単で、そもそも読書という体験は私たちにとって、音読であれ、黙読であれ、文字通りの混沌とした、一続きの体験として存在しているはずであり、そのような体験に入口や出口を探し求めることなど、原理的に不可能なのではなかろうか、と考えてしまうからである。生来、僻(ひが)みっぽい性格の僕は。

と言うことは、太宰治が『津軽』の中で、あるいは『思ひ出』の中で、繰り返し自分自身の読書体験を反芻(はんすう)し、それを越野タケという、たった一人の女性にまで収斂させる語り口を、ことさら彼が好んでいることに対して、僕は何かジメジメとした、陰湿な気配を感じ取らざるをえない。もっとも、この語り口を虚構(フィクション)と見なして、一概に切り捨てる気は僕には起きないし、逆に前回の引用の『津軽』の箇所は、そのような仄(ほの)暗い、薄明かりの中で、彼が一人の作家(「太宰治」)に身を設(しつら)える、その変身(メタモルフォーゼ)の工程であったと見なせば、あくまで彼は母親譲りの病身であらねばならず、そのために女中と二人で部屋に籠り、寝ながら本に読み耽ることは、それ自体が彼には必須の、必然の体験であったに違いない。

このように考えると、同様の指摘は越野タケのみならず、例えば「赤い糸」の話の折に君に伝えた、女中の「みよ」にも当て嵌まるし、あるいは小学生の彼を抱き締めて、雑草の生い茂る草原を転げ回り、彼に「息苦しいことを教へ」た、その名も留められてはいない、もう一人の『思ひ出』の女中にも当て嵌まる。そして、この「夏の或る天気のいい日」を境にして、彼は「もう子供ではなかつた」のであり、そこから「嘘は私もしじゆう吐いてゐた」とか、「学校で作る私の綴方(つづりかた)も、ことごとく出鱈目(でたらめ)であつたと言つてよい」とか、とにかく「私は学校が嫌いで、したがつて学校の本など勉強したことは一回もなかつた」し、いつも「娯楽本ばかり読んでゐた」と……そのような自虐と露悪を旨とする、虚体験の伝道師へと姿を変えたのである。

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