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経済学は、お嫌いですか? ――「教養」の来た道(123) 天野雅郎

やれやれ、また今回も「経済学」の話である。と言い出すと、いかにも僕が「経済学」を、毛嫌いしているかのような雰囲気がプンプンと漂い始めている......のかも知れないけれども、何を隠そう、その通り(^^;)なのであって、僕は大学生の頃から「経済学」が、どうにも性(ショウ→呉音、漢音→セイ)に合わず、以前、この一連の文章(「教養」の来た道)の第32回(「宗教は、お嫌いですか?」)においても、君に紹介をしておいた、あの鳥獣並みの「毛嫌い」が、僕と「経済学」の間にはある。とは言っても、よく君には事情が分からないと、困るから、ここで『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の「毛嫌い」の語釈を再度、抜き出しておくと、そこには「鳥獣が、相手の毛なみによって好き〔、〕きらいをすること」とあって、この語が室町時代に起源を有する語であったことが分かる。

ところが、そのような鳥獣並みの「毛嫌い」が、やがて明治時代(江戸時代?)以降、人間にも宛がわれ、人間並みの扱いを受けるに至ったようであり、例えば福澤諭吉(ふくざわ・ゆきち)の『学問のすゝめ』の十七編(すなわち、最終編)は、この語を使って「人にして人を毛嫌いするなかれ」という一文で締め括られている。――と、このような明治九年(1876年)の用例を挙げて、人間が「はっきりとした理由もなく、ただ感情的に〔、〕きらうこと。わけもなく〔、〕きらうこと」という「毛嫌い」の語釈を、二番目に『日本国語大辞典』は置いている。なお、この箇所は人間の、まさしく「人望」の何たるかを論じた部分であって、福澤諭吉は人間が、その名の通りの「人間」となるためには、人は人と交わり、より多くの人と交わって、そのことで「人間」となるべき必要を説いている。

ところで、そのように説いている福澤諭吉が、おそらく私たちの国の「経済学」の歴史において、はなはだ重要な位置を占める思想家であることに、異論が唱えられることは考え難い。それどころか、日本の「経済学」は福澤諭吉を介し、大きく質的な転換を遂げたことが、例えば先日、たまたま僕がページを捲(めく)っていた、下谷政弘(しもたに・まさひろ)の『経済学用語考』(2014年、日本経済評論社)には書かれていて、なるほど、と僕は膝を打った次第。それと言うのも、前回も君に告げておいたように、僕自身は明治以降、日本人がヨーロッパやアメリカから輸入をし、今の君や僕が「経済学」と呼び、それ以外の呼び名のことを、すっかり忘れてしまっている......この学問の、もう一つの可能性(potentiality=潜在性)を、あれこれ頭の中で思い廻らしている最中であるから。

と言い出すと、それが一つには「理財学」であったことを、君は想い起こしてくれているに違いない。そして、その「理財学」という語を好み、この語が帝国大学の講座名や講義名や、要するに、日本の「大学」からは姿を消しても、この語を使い続け、自分自身が創設した慶応義塾において、この語を最後まで手放さなかったのも、福澤諭吉であった。と言ったのは、とうとう大正八年(1919年)になって、ようやく慶応義塾が大学に認可され、その翌年に現在の、君や僕の知っている、あの「慶応義塾大学」が誕生した時に、はじめて「理財学」の看板は下ろされることになるのであり、そこに「経済学」の新しい看板が掛け替えられるに至るのは、当然ながら、すでに福澤諭吉の亡くなった、明治三十四年(1901年)からは二十年近い、長い時間を経過して後の出来事であったからである。

と言うような事態を、今回、僕は前掲の『経済学用語考』を読んでいて、知ることが出来たのであるが、もう一つ、この本のページを捲る内に、僕自身が個人的に興味を持った点があり、それは多分、君の関心をも引くことになるであろう、と思うので、その点を以下、君に伝えておくことにしたい。と言ったのは、かつて日本の大学において、この「理財学」の授業を、それどころか、それに先立って、足掛け三年の間、存在していた「経済学」の授業をも、はじめて担当したのは――実は、あのフェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa)であったのであり、その意味において、私たちの国で「経済学」や「理財学」の歴史がスタートを切ったのは、まったく「哲学」や「美学」の歴史と同じ時期の、しかも、まったく同じ一人の若者(満25歳!)を、出発点とする話であったことになる。

ちなみに、もともとフェノロサ自身はスペイン人を父に持ち、アメリカで1853年(嘉永六年)に生まれているが、君も知っているように、やがて彼はモース(Edward Sylvester Morse)に誘われ、1878年(明治十一年)に日本を訪れ、創設されたばかりの東京大学で、哲学や美学の講義を担当することになる。もちろん、そのようなフェノロサが「経済学」や、ひいては「理財学」の授業をも受け持つことになったのは、あくまで偶然の結果であって、有体(ありてい)に言えば、それは人手不足以外の、何物でもないけれども、そこには逆に、この時代に特有の、いまだ科学が「科」学ではなく、むしろ特殊科学や個別科学とは違う、科学(サイエンス)の可能性が残されているかのように見えた、ある種の幸運な......学問の総合状態が存在していたからでもあった点は、見逃されてはならない。

事実、そもそも哲学に対しては、一応の専門家であっても、決して美学に対しては、同様の知識や技能を備えていなかった、この若い「美術愛好家」の手によって、私たちの国の「美学」(esthetics)や「美術史」(art history)の歴史は、そのスタートを切ることになったのであるから。その意味において――と、ここで突然(恒例?)の、爆弾発言を僕は、し始めるけれども、はたして「経済学」や「理財学」は、科学なのか知らん、という抜き難い疑問が僕の中にはある。とは言っても、それは否定的な、この学問への評価ではなく、むしろ肯定的に、この学問が「家政学」や「資生学」とも称されていた頃の、私たちの「家」や「生」や......言ってみれば、人間存在の根源と結び付いた、もはや学問と称される必要もなく、称される理由もない、ある種の「悦ばしき知」への評価である。

したがって、僕自身は一方で、ほとんど大学生の時分から「経済学」に興味が湧かず、それは端的に、この学問の「国を治め、民を救済することを研究する学問」(『日本国語大辞典』)であることへの離反や、それにも拘らず、この学問が「経国済民」や「経世済民」という標語を掲げ続けていることへの、胡散(ウサン)臭さに起因するものであった。けれども、その一方で、それほど僕が「経済学」を「毛嫌い」している訳ではない証拠――と言えるのか、どうかは......何とも怪しいが、ともかく、このような悪態(アクタイ)を「経済学」に対して吐(つ)けるのは、きっと僕が「経済学」の入門書も概説書も、まったく読まずに、学生時代から折に触れて、例えば内田義彦(うちだ・よしひこ)のページを捲ることを無上の喜びとしてきた、そのような読書遍歴の賜物であったに違いない。

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