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経済学は、経済的ですか? ――「教養」の来た道(124) 天野雅郎

さて、今回も引き続き、また「経済学」の話である。が、そもそも「経済学」が私たちの国に、大きく二つの、異なった経路を辿り、異なった時代に輸入された学問であることを、さしあたり君には想い起こして貰(もら)いたい。すなわち、その一つは中国から、おそらく平安時代には持ち込まれていたであろう、その名の通りの「国を治め、民を守ることを研究する学問」(『日本国語大辞典』2006年、小学館)としての「経済学」であり、それは「経済する」という動詞形をも伴いながら、前回も前々回も、述べてきたように、この語が「経国済民」や「経世済民」の略語として、長い間、私たちの国でも使い続けられてきた経緯と重なり合う。その意味において、この場合の「経済学」は「政治学」と言い換えても構わないし、当然、そこでは「経済」と「政治」も、同義語に等しかった。

このような用法が、いちばん日本語の中で幅を利(き)かせていたのは、言うまでもなく、江戸時代のことであって、例えば前回、僕が君に紹介しておいた、下谷政弘(しもたに・まさひろ)の『経済学用語考』(2014年、日本経済評論社)によると、そこには江戸時代の儒者(Confucian→Confucianist)――要するに、あの孔子(Confucius)の教えの信奉者たちの著した、以下のような書物の名が、いろいろ列記されているので、ご参考までに。太宰春台(だざい・しゅんだい)『経済録』 佐藤信淵(さとう・のぶひろ)『経済要略』 青木昆陽(あおき・こんよう)『経済纂要』 海保青凌(かいほ・せいりょう)『経済談』 中井竹山(なかい・ちくざん)『経済要語』 古賀精里(こが・せいり)『経済文録』 正司考祺(しょうじ・こうぎ)『経済問答秘録』 本田利明(ほんだ・としあき)『経済放言』

もちろん、このような書物の名に宛がわれている「経済」は、君や僕が現在、もっぱら「人間の共同生活を維持、発展させるために必要な、物質的財貨の生産、分配、消費などの活動。それらに関する施策。また、それらを通じて形成される社会関係をいう」(『日本国語大辞典』)場合の「経済」とは、基本的に違う意味である。けれども、それが日本や中国においては、古代から近世まで、当たり前に用いられてきた「経済」の語であったことを、とりあえず君や僕は、理解しておく必要がある。そして、その影響は日本や中国が、いわゆる近代化(modernization)を遂げる過程で、今度はヨーロッパやアメリカから、昨今の君や僕が使っている、前掲の意味の「経済」や、それを研究対象とする「経済学」を輸入せざるをえない段階に至っても、消えて無くなってしまった訳では、決してない。

それどころか、このようにしてヨーロッパやアメリカから、私たちの国に持ち込まれた「経済学」が、例えば明治十四年(1881年)に刊行された、日本で最初の哲学辞典(『哲学字彙』)では、まったく「経済学」(economics)と「政治経済学」(political economy)を同じ、例の「理財学」の名で呼んでいるし、この状態は明治十七年(1884年)の『改訂増補哲学字彙』でも、いっこうに変化せず、これが変化するのは、明治四十五年(1912年)の『英独仏和哲学字彙』に至ってからのことであり、この時点において、ようやく「理財学」と「経済学」は、対等の訳語の地位を手に入れることにもなる。ともかく、このようにして私たちの国で、少なくとも明治時代を通じて、いわゆる「経済学」は経済的な、と言うよりも、むしろ政治的な「経済学」として存在し続けていたことになるであろう。

その意味において、いったい何時から「経済学」は、昨今の君や僕が知っている、経済的な「経済学」へと姿を変えたのであろう。ただし、その際の経済的......という語の使い方自体は、ここでも『日本国語大辞典』の助けを借りると、どうやら明治時代には用いられていたようであり、例えば『日本国語大辞典』は「経済に関係のあるさま。金銭に関係のあるさま」という第一の語釈に対しては、明治二十四年(1891年)の『東京日日新聞』の用例(「社会の経済的優族をして劣族の勤労の結果を掠奪〔りゃくだつ〕するの自由あらしむるときは」)を挙げ、続いて「費用の〔、〕かからないさま。安あがりなさま」という第二の語釈に対しては、明治三十八年(1905年)の幸田露伴(こうだ・ろはん)の『付焼刃』の用例(「経済的で而(そ)して道徳的でございます」)を、それぞれ挙げている。

そして、このような形で「金銭」(money)の同義語(シノニム)になったり、あるいは「道徳的」(moral)であることの反対語(!)になったりして、経済的という語が日常化を遂げていく背景には、もともと江戸時代以降に「経済」が、ある時は「金銭の〔、〕やりくりをすること」(『日本国語大辞典』)を指し示したり、ある時は「費用や〔、〕てまのかからないこと。また、そのさまをいう。倹約。節約」(同上)を指し示したり、とうとう、それが「経済学部」の略語にまで身を持ち崩したりする事態が、進行していた訳である。実際、このようにして普段、君や僕が「経済」という語を口にする折にも、そこには絶えず、困ったことに「金銭」や「費用」や、有体(ありてい)に言えば、それをケチり、ちょろまかし、ズルをする人間の性癖が、見え隠れをしているのであるから、話は辛い。

事実、これまた『日本国語大辞典』に従えば、例えば福澤諭吉(ふくざわ・ゆきち)が『文明論之概略』(明治八年→1875年)の中で、そのまま「経済の〔、〕みちに明るい人」を「経済家」と称していたのに対して、これが四半世紀を隔てた、徳富蘆花(とくとみ・ろか)の『思出〔おもひで〕の記』(明治三十三年→1900年)に至ると、ふたたび「節約の〔、〕じょうずな人。節約家」へと「経済家」は姿を変えることになる。あるいは、そこから三十年を経過して、今度は昭和五年(1930年)に刊行された、実業之日本社の『モダン用語辞典』(監修:喜多壮一郎)を見ると、そこには私たちの国で最初の、いわゆる「経済人」の語が姿を見せ、この時期になると、まさしく人間は「経済的合理性、経済的打算の貫徹に終始し、自己の利益を極大化することを行動準則とする人間類型」となる次第。

このようにして振り返ると、なるほど「経済人」が「homo oeconomicusの訳語」であって、それが「経済学の理論的研究上、経済行為の主体として構想された概念」であり、あくまで「古典派経済学の理論構成の前提概念」に留まるものではあっても、このような概念(concept)を心に描く(concipere)こと自体は、ある特定の、特殊な心(cor)の条件(condition)を、共に言う(condicere)ことと不可分の関係にある。――とすれば、このような「人間類型」を案出し、それを頼りに、君や僕の生きている、この社会や世界を分析することは、これを仮に、いわゆる限定合理性(bounded rationality)の語に置き換えてみても、とうてい君や僕の納得できる、より豊かな、より望ましい、社会や世界の指標とはなりえないであろう、と単純に僕は思うけれども、さて君は、いかがであろう。

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