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経済学は、道徳的ですか? ――「教養」の来た道(125) 天野雅郎

経済学の祖(音読→ソ、訓読→じじ〔ぢぢ〕・そふ・おや)と言えば、それはアダム・スミス(Adam Smith)に決まっている。と、君は一方的に決め付けているのかも知れないけれども、残念ながら彼の生きていた時代には、まだ君や僕が現在、経済学(economics)という名で呼んでいる学問は、存在していなかったのが実情である。なお、彼は1723年、私たちの国の年号で言えば、享保八年に生まれ、亡くなったのは1790年であるから、これまた私たちの国の年号で言えば、寛政二年に当たっている。ちなみに、この二つの年号を並べてみると、そこには君が高校生の頃、日本史の教科書で習ったであろう、例の「享保の改革」と「寛政の改革」の、二つの改革が姿を現(あらわ=表・顕・著)す。......という辺(あた)りが、実は経済学の歴史を振り返る時には、とても重要なことなのである。

裏を返せば、このようにして改革、改革と――声を張り上げて、声高(こわだか)に叫ばざるをえない時、その改革(reform→Kyouhou Reforms:Kansei Reforms)の対象(と言うよりも、その主体)は、ほとんどの場合、死に瀕してしまっているのが通例である。例えば、君や僕が「和歌山」繋がりで知っている、あの徳川吉宗(とくがわ・よしむね)は徳川家の、いわゆる宗家(すなわち、本家)ではない、分家の出身の最初の将軍であり、その意味において、彼の先代(第七代)の徳川家継(とくがわ・いえつぐ)が、わずか七歳に満たない生涯を閉じた折、徳川家康(とくがわ・いえやす)以来、宗家の引き継いできた将軍の血脈は、この段階で途絶えてしまったのであって、それは見方次第では、265年に亘って続いた江戸幕府が、この時点で二分割をされた、という判断の根拠ともなる。

ともかく、このようにして「享保の改革」から「寛政の改革」へと、そして「天保の改革」(Tenpou Reforms)へと引き継がれた、江戸時代の「三大改革」は、それ自体が江戸幕府の、幕藩体制(the feudal system characteristic of the shogunate)の動揺や衰退を指し示しているのであり、君や僕は差し当たり、このような大きな、時代の......うねりの中に、地球の裏側でアダム・スミスが生きていたことを、受け止めておく必要がある。また、彼が生まれたのと、まったく同じ年(1723年)に、日本では三浦梅園(みうら・ばいえん)が産声(うぶごえ)を上げ、奇(く)しくも、この二人は享年も一年違いの間柄にあることが、想い起こされて然るべきであるし、その一年後(1724年)にはドイツで、イマヌエル・カント(Immanuel Kant)までもが誕生しているのであるから、驚きである。

と言ったのは、この三者は三様に、それぞれ違った場所で、違った立場で、君や僕の生きている、この社会や世界の、根源にあるものを突き止めようとした、いずれも正真正銘の、飛び切りの「哲学者」であったから。――と言い出すと、いかにも生真面目(それとも、不真面目)に、彼らの生きていた時代の後の、要するに、19世紀以降の哲学や経済学の勉強しか、していない君(失敬!)の、顰蹙(ヒンシュク→『孟子』)を買うことになってしまうのではないか知らん、と僕は気が気ではない。が、そのような勉強の仕方をしていては、とうてい君は哲学(フィロソフィー)にしても、いわんや経済学(エコノミックス)にしても、ほとんど理解することが叶わないのではなかろうか。なぜなら、そもそも哲学も経済学も、そのように分断された、寸断された学問では、なかったからである。

論より証拠......と言って、もう「プリン」の話や「ソーセージ」の話や、あの「プディング」の諺(ことわざ→The proof of the pudding is in the eating)については繰り返すまい。と、固く心に誓ってみても、やはり「プディング」の発祥の地がイギリスであることは、ぜひとも君に(^^;)知っておいて貰(もら)いたく、それが後世、フランスに渡り、今の君や僕の食べている、あの洋菓子へと姿を変えた次第。そして、その洋菓子が江戸時代の末期から明治時代の初期に掛けて、私たちの国に輸入されることになる経緯は、ほとんどアダム・スミスの生涯と、その作品の歩んだ道程(みちのり)に他ならず、例えば彼の『国富論』(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)が最初に日本語に翻訳され始めるのは、すでに明治十五年(1882年)のことであった。

それ以降、この石川暎作(いしかわ・えいさく)訳の『富国論』を皮切りに、現在でも岩波文庫版と中公クラシックス版の『国富論』は、いたって入手が容易であるし、君が古本屋の本棚に目を向ければ、そこには運好く、かつての岩波文庫版(『諸国民の富』)が深い眠りから目を覚まそうと、君の手が触れるのを待っているのかも知れない。――実際、僕が目下、ページを捲(めく)っているのも、この、古い岩波文庫版であり、訳者は大内兵衛(おおうち・ひょうえ)と松川七郎(まつかわ・しちろう)である。が、もともと僕自身がアダム・スミスに興味を持ち、その作品を手に取ろうと思い立ったのは、振り返れば、たまたま大学生の時分に受講した、水田洋(みずた・ひろし)の授業であったから、当然、河出書房新社版(「世界の大思想」)の『国富論』も、僕の手許に留まっている。

ところで、その際の授業において、テキストとして購入したのが、ジェイコブ・ブロノフスキーとブルース・マズリッシュの『ヨーロッパの知的伝統』(1969年、みすず書房)であった、と僕は記憶しているけれども、この本の副題には「レオナルドからヘーゲルへ」(From Leonard to Hegel)と書かれていて、まさしくレオナルド・ダ・ヴィンチからカントへの、さらにはヘーゲルへの、西洋の知的伝統(Western Intellectual Tradition)が物語られている。そして、そこにはアダム・スミスの一章も置かれていて、彼が故郷のスコットランドの、オックスフォードやケンブリッジには決して引けを取らない、屈指の名門大学である「グラスゴー大学」に入学し、やがて後年、この大学の「道徳哲学」の教授となり、さらに晩年、この大学の名誉総長になるまでの、彼の経歴が紹介されている。

その意味において、この大学で開講され、多くの聴衆を魅了した、彼の名講義は結果的に、あくまで「道徳哲学」(moral philosophy)の名で行なわれたのであり、それを細かく分ければ、自然神学と倫理学と法学と、それから政治経済学に、分けることが可能であったに過ぎない。言い換えれば、このようなヨーロッパの知的伝統の、文字どおりの引き渡し(traditio)を介して、はじめて経済学は誕生するに至ったのであり、それは経済学が、まったく同時代のイギリスを生きた、歴史家のギボン(Edward Gibbon)の言葉のように、ほかならぬ「広汎な科学」(extensive science)であり、あらねばならない、という事態と裏表の関係にある。裏を返せば、昨今、そのような経済学が道徳の語を冠した、いわゆる「モラル・サイエンス」であることに、はたして君は、納得できるであろうか。

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