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アダム・スミスの、お味の程は? ――「教養」の来た道(127) 天野雅郎

君が例えば、教育学の勉強をしていて、ジャン=ジャック・ルソーの『エミール』の1ページも捲(めく)ったことがなく、あるいは哲学の勉強をしていて、イマヌエル・カントの『純粋理性批判』の1ページも捲ったことがない......という事態は、はなはだ想像し難い事態である。――が、それにも拘らず、そのような事態が昨今の大学では、ごく当たり前に起きており、それどころか、ひょっとすると現在の大学生の多くは、教育学の勉強をしていながら、まったくルソーの『エミール』を読んだことがなく、哲学の勉強をしていながら、まったくカントの『純粋理性批判』を読んだことがない、という事態が普通の事態であって、そのような事態が学生の側にも、教員の側にも、異様な感じで受け取られることのない、何とも奇怪な時代に、どうやら君や僕は、生きているらしいのである。

理由は簡単で、このような古典(classic=最上級)という名で呼ばれてきた書物が、君や僕の生きている時代には、その価値を大半、喪失してしまっており、このような書物を読むことが、必要なことでも重要なことでもなく、ましてや、それが恰好(コウコウ→カッコウ)の好い(カッコイイ!)ことでもなく、むしろ逆に、このような書物のページを捲っていると、それこそ君や僕は風変わりな、変わった趣味の持ち主と見なされたり、まさしく変人扱いをされたりしてしまうのが落ちである。しかも、このような傾向は僕の見る所、すでに1980年代には着々と進行していたから、これ以降の日本(世界?)で大学生をしていると、そこには必然的に、現在の大学生であっても、かつての大学生であっても、まったく古典に目を通したことのない、新旧の大学生が登場しても、不思議ではない。

もちろん、僕自身は別段、このような古典を18世紀に書かれた、前掲のルソーの『エミール』(1762年)や、あるいはカントの『純粋理性批判』(1781年)に限った話をしている訳では、さらさら無い。それどころか、それは例えば、通常の哲学の歴史で跡付ければ、古代のギリシアのプラトンやアリストテレスや、同じく古代のローマの、いわゆるストア学派やエピクロス学派から始まって、中世哲学のアウグスティヌスやトマス・アクィナスや、近代哲学で言えば、フランスのデカルトやパスカルや、イギリスのベーコンやロックや、オランダのスピノザやドイツのライプニッツの書いた、それぞれの古典のことを指し示している。要するに、このようにして哲学には、それが哲学と称されている以上、どうしても目を通しておかなくてはならない、哲学の古典が、厳として存在している次第。

したがって、このような古典に目を通したことのない状態で、とうてい哲学の勉強をしている、とは言えないことになる。......とは言っても、それは当然、ギリシア語やラテン語や、英語やドイツ語やフランス語の、いわゆる原典(original text)に即して古典を読む、という作業を意味している訳ではないし、そのような作業に限ってしまえば、そもそも古典を読むという行為は非常に制約された、ごく一部の特権的な、語学の天才(genius=守護神)にのみ許された行為となってしまい、君や僕には残念ながら、無縁の行為とならざるをえない。そうなってしまえば、逆に古典は古典ではなく、ただ僅(わず)かな、少数の人間のためにのみ古典が存在した、かつての封建社会に逆戻りをしてしまうことにならざるをえず、古典が古典であることの、意味や価値が失われてしまうことになる。

と言うことは、実は古典が古典として成り立つ上で、君や僕は結果的に、古典を自分たちの言語(君や僕の側で言えば、日本語)で読むことの出来る状態に、自分たちが身を置いていることを前提にせざるをえないし、そのためには翻訳(translation=移動運搬)という作業が、必然的に古典を産み出し、支える、不可欠の作業であることをも、認めざるをえない。裏を返せば、そのような作業と共に、そのような作業を通じて、はじめて古典は君や僕の前に、古典としての姿を現(あらわ=表・顕・著)すのであって、そのような露(あらわ)な姿を、まるで自然の恩恵であるかのように捉えるのは間違っている。そのことは、例えば前回、僕が君に紹介しておいた、アダム・スミスの『国富論』が日本語に置き換えられ、経済学の古典となる経緯を振り返ってみれば、おのずと明らかである。

ただし、誤解のないように言い添えておくと――かつて私たちの国で、目下の君や僕が生きている、この時代(すなわち、21世紀)に比べれば、信じ難いほどに多くの人が、アダム・スミスの『国富論』の読者になった......そのこと自体は決して、疑いのない事実であるとしても、はたして彼ら、彼女らの中の、どれほどの読者が真の読者でありえたのかは別問題であろう。事実、たまたま先刻、僕が我が家の本棚から引っ張り出してきた一冊の本には、この本の題名にもなっている、竹内謙二(たけうち・けんじ)の「アダム・スミスの味」という一文が冒頭に載せられていて、そこには昭和三十年(1955年)の、ちょうど今から六十年前に催された講演で、この『国富論』の翻訳者がアダム・スミスのことを、まさしく「読まれざるアダム・スミス」と呼んでいる所から、話は始まっている。

言い換えれば、このようにして「もはや戦後ではない」(!)と、日本で最初の『経済白書』が高らかに、この翌年(昭和三十一年→1956年)に謳い上げることになる、その「神武景気」の前年には、もはやアダム・スミスの『国富論』は、ほとんど「読まれざる」ものへと姿を変えていたのであって、その「読まれざるアダム・スミス」となってしまった『国富論』の「味」を、どうにかして「若い諸君の興味を喚起して、一遍〔、〕一生涯に読んで見よう」という気を起させるべく、この時、ちょうど還暦を迎えていた『国富論』の翻訳者は、この書物の内容や魅力について、もはや「訳本でさえ『国富論』を全部お読みになるという方は〔、〕まことに珍しい」世代を相手にして、しきりと時間を気にしながら(「ほんの五、六分で」......「もう二、三分で」)涙ぐましい話を続けていたのである。

とは言っても、この講演の会場は、あくまで東京大学(法文経36番教室)であり、この本(『アダム・スミスの味』)を昭和四十年(1965年)になって、刊行したのも同様に、東京大学出版会である。したがって、この講演の会場に顔を揃えていたのが、当時の東京大学の、教員や学生であったことは疑いがない。しかも、それが振り返れば、やがて『国富論』の「刊行200年」(昭和五十一年→1976年)を二十年後に、あるいは十年後に控え、私たちの国で『国富論』の翻訳が立て続けに刊行され始める時期と、重なり合っていることも見逃すべきではない。と言うことは、ひょっとすると「アダム・スミスの味」という、この講演が功を奏し、当時の日本人は『国富論』のページを捲り出す、いまだ真面(まとも)な、健気(けなげ)な精神を持ち合わせていた、と言うことになるのであろうか。

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