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古典と大学の、きわどい関係 ――「教養」の来た道(129) 天野雅郎

君が仮に、教育学部の学生であり、将来は学校の先生になりたい(!)と願っているのであれば、その学校が小学校であっても中学校であっても、はたまた、高校であっても大学であっても、とにかく君は、さっさと『論語』を手に取り、そのページを捲(めく)り始めるべきではなかろうか、と僕は思っている。理由は簡単で、これまで人類が最も多くの人の手と、目と耳と鼻と口と、要するに、いわゆる五感(five senses=視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を介して、君や僕の許に届けてくれた、最高の教育(education=能力抽出)の古典は『論語』であったから。――と言った点を、すでに僕は二年前、この一連の文章(「教養」の来た道)の第19回(「温故知新について」)あたりから、いろいろ君に伝えておいたけれども、その内容自体を、今では僕自身が、充分に想い起こせない始末。

そこで今回は、このブログ(blog=網状談話)の更新に先立って、その当時の文章を幾つか、僕は読み返してみたのであるが、それは結果的に、ちょうど僕が網膜裂孔(retinal tear)になり、ほとんど片目の使えない状態に陥ってしまった時期と重なっており、その記憶まで、僕の頭の中には蘇ってしまったから、あまり愉快な気分に(......^^;)なることも叶わず、拾い読みを止めてしまった次第。――その頃も、残念ながら僕は、孔子や『論語』の話を半(なか)ばで、君に対して中断せざるをえなかったけれども、どうやら本を読む、という行為も常に、かつて孔子が『論語』(里仁篇8)において語っていたように、いわゆる「朝聞道、夕死可矣」〔朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり〕という情況が、浮かび上がってくるし、浮かび上がってこざるをえないのではあるまいか。

と、このようなことを言い出すと、いかにも僕が時代がかった、時代めいた物言いをしているかのようで、気が退(ひ)けないでは......ないが、例えば僕が前回も、引き続いて君に話を聴いて貰(もら)った、アダム・スミスの『国富論』にしても、マルクスとエンゲルスの『共産党(共産主義者同盟?)宣言』にしても、これらの本が私たちの国で、はなはだ危機的(critical=批判的)な、まさしく「時代閉塞の現状」(石川啄木)の中で読まれた本であることを、君や僕は忘れてはならないし、そのような読み方をされる本が、そもそも「古典」の名に値する本である、と言い換えることも可能であろう。その点において、僕は目下、君や僕の生きている、この時代こそが「古典」を必要とし、必要としなくてはならない時代である、と感じているけれども、はたして君は、いかがであろう。

ところが、それにも拘らず、どんどん君や僕の生きている、この時代は古典を読まず、古典を遠ざけ、古典を忘れた状態へと、その舵(かじ=楫)取りを推し進め、とうとう、そのような時代の波に押し流され、押し潰(つぶ)されようとしている場所の最たるものが、ほかならぬ「大学」である、という事態まで到来しているのが実情である。したがって、そのような「大学」で大学生をしていると、経済学部に在籍していても『国富論』を知らず、教育学生に在籍していても『エミール』のページを捲らない、あたかも「怪物」のごとき大学生が登場し、それどころか、それが「あたりまえ」の状態にもなってくる。そして、それは裏を返せば、もともと「怪物」が文字どおりの「モンスター」(monster=警告者)であることの、明白(evident)な証拠(evidence)でも、あった訳である。

と言う訳で、ここで僕は『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引き、その「古典」の語釈を、あらためて君に紹介しておくと、この語は単に、それが「古くからの法式。いにしえの典礼」(『漢書』)であったり「古い典籍。昔の経典」(応璩『与王子雍書』)であったり、する以上に、さらに「すぐれた著述や作品で、過去の長い年月にわたって多くの人々の模範となり、また愛好されてきたもの」を指し示す語であった。が、誤解のないように言い添えておくと、このような意味において「古典」が成り立つのは決して古い出来事ではなく、逆に新しい出来事であることを、君や僕は理解しておく必要がある。なぜなら、この語の用例として『日本国語大辞典』が挙げているのは、島崎藤村(しまざき・とうそん)の『落梅集』の一節(「君は早や故典のあらかたをも修め終りつ」)であったから。

要するに、このようにして私たちの国で、はじめて「古典」や「故典」の語が、今の君や僕の使っているのと、同じ使い方で用いられるようになったのは、ようやく明治時代になってからのことであり、その経緯に即して言えば、この『落梅集』が折しも、20世紀の始発の年(1901年→明治三十四年)に刊行されているのは、興味深い。その点で、この詩文集の冒頭に収められている、あの「小諸〔こもろ〕なる古城のほとり」や、これに「千曲〔ちくま〕川旅情の詩」が連なって、やがて「千曲川旅情の歌」までもが産み出され、歌い継がれることになる経緯に、君や僕は、日本の「古典」の誕生を擬(なぞら)えておけば、それほど狂いはないのかも知れない。でも、そこには好むと好まざるとに拘らず、明治二十二年(1889年)の「大日本帝国」の誕生が、重なり合っていたのではあるが。

 

  嗚呼(あゝ)古城 なにをか語り

  岸の波 なにをか答ふ

  過(いに)し世を 静かに思へ

  百年(もゝとせ)も きのふのごとし

 

このようにして振り返ると、君や僕が「古典」と付き合う際の、付き合い方には相当、繊細(デリケート)な面が伴われており、その分、奥深い思慮を持って臨まないと、君や僕は「古典」と、うまく付き合うことが出来ないであろうし、それどころか、たちまち容易に、君や僕は誤った「古典」との付き合い方に引き込まれ、巻き込まれてしまうことにもなりかねないであろう。おまけに、そのような思慮を「大学」が欠き、いつも決まり切った、お定まりの「ポンチ絵」(Punch←Punch and Judy show←Punchinello=人形芝居)の制作ばかりに精を出していると、そろそろ「大学」は正真正銘の、週間漫画雑誌の『パンチ』(Punch)のような姿になり、そこでは道化師が紙芝居で講義をし、それを道化師の予備軍が受講する、戯画(caricature=過重積載)のごとき姿になるのは必定である。

なお、僕は前回、このような「大学」と「古典」の「あぶない」関係について、あれこれ君に、話をしておいたが、この「あぶない」という語に漢字を宛がうと、当然、それは「危ない」となる。が、この「危」(音読→キ)という漢字が字義的に、そのまま「あぶない〔、〕がけにさしかかって、人が〔、〕しゃがみこむことをあらわす」字(藤堂明保他編『漢字源』学習研究社)であるのか、それとも『論語』(憲問篇4)にも「邦有道、危言危行。邦無道、危行言孫」〔邦(くに)に道(みち)有るときは、言(げん)を危(たか)くし、行ひを危くす。邦に道無きときは、行ひを危くし、言は孫(したが)ふ〕とあるように、むしろ「正言高行して、世俗と妥協しないことをいう」字(白川静『字統』平凡社)であるのか、どちらにしても、そこに「大学」の品位が問われているのは同じである。

 

  邦有道穀、邦無道穀、恥也。(憲問篇1)

  邦(くに)に道あれば穀(こく)す。邦に道なきに穀するは、恥なり。

  国に道が行なわれている時、仕えて禄(ろく)を食(は)むのは恥ずべきことではない。

  しかし、国に道が行なわれていないのに、その禄を食むのは恥ずべきである。(下村湖人『現代訳論語』)

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