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啓蒙とは何か? ――「教養」の来た道(132) 天野雅郎

漢字で「啓」(漢音→ケイ、呉音→ケ)と「蒙」(漢音→ボウ、呉音→ム)と書いて、これを繋いで「啓蒙」(ケイモウ)と読むのは、日本人の慣用音である。また、このような読み方が最初に登場するのは、どうやら『日本国語大辞典』(2006年、小学館)によると、室町時代中期の国語辞典(『文明本節用集』)のようであるから、すでに私たちの国でも五百五十年ほど前には、この「啓蒙」という語が確実に使用されていたことになる。なお、この国語辞典(『文明本節用集』)に宛がわれている、文明という語は例の、応仁の乱が勃発した応仁年間から文明年間の、後者の年号を指し示すものであり、その意味において、この「啓蒙」という語が私たちの国に姿を見せるのは、まさしく「戦国時代」の直前であり、それは言い方を変えれば、そのまま「下剋上」の時代であったことにもなるのである。

と言ったのは、実はヨーロッパにおいても、この語(英語→Enlightenment、フランス語→Lumières、ドイツ語→Aufklärung)が、いわゆる「啓蒙主義」や「啓蒙思想」という名で用いられ、その時代の扉を開く鍵語(キーワード)となった折にも、そこには一種の、このような「下剋上」(=下が上に剋〔か〕つ)の気運が沸き起こっていたからであり、それが例えば、イギリスで振り返れば18世紀の、アダム・スミスの生きていた、スコットランドであった次第。したがって、この時代のスコットランドのことを考える時、君や僕は目下、一般に「スコットランド啓蒙主義」や「スコットランド啓蒙思想」という名を使って、この頃のことを振り返るのが通例になっているし、その当時の雰囲気を生き生きと蘇らせるのが、僕が君に前回、話を聴いて貰(もら)った「カフェ」であった訳である。

要するに、このような「カフェ」(英語で言えば、コーヒー・ショップやコーヒー・ハウス)の文化の中から、君や僕が現在、経済学(エコノミックス)と呼んでいる学問は生まれ、育(はぐく=羽包)まれたのであって、それを大学の、閉鎖的な研究室が母胎となって、産み出された学問と混同してはならないし、混同してしまうと......それは昨今の大学において、いかにも経済学と経営学(business administration=多忙業務管理体制)が仲睦まじく、手を取り合い、あやしいキメラ(chimera)のごとき姿を呈するに至っている、はなはだ奇妙な経済学のことで、君や僕の頭が一杯になってしまうのは必定である。言い換えれば、そのような状態に君や僕が陥らないためにも、君や僕は自分自身の頭の、文字どおりに蒙(くら=暗)い状態を、啓(ひら=開)く必要が、あるのではなかろうか。

ところで、君は当然、スコットランドがイギリス(正式名称「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」)を構成する、四つの国(カントリー)の内の一つである、という点については、すでに高校生(中学生?)の頃、学習済みであろう。そして、この連合王国(すなわち、イギリス)に、スコットランドが組み込まれるのは、1707年のことであり、それは私たちの国の年号に直せば、宝永四年のことである点も、すでに君は了解済みであろう。言い換えれば――当時、日本では江戸時代の、いわゆる「犬公方」(いぬくぼう=犬将軍)こと徳川綱吉(とくがわ・つなよし)の最晩年が訪れており、そこでは「生類憐みの令」が出され続け、その名の通りの「宝永地震」(南海トラフ大地震!)が起き、ついでに富士山も大噴火をして、その山腹に「宝永山」が出現した年の出来事であった。

と、このような話を持ち出すと、僕は薄ら寒い気が......しないではないが、それは見方を変えれば、はなはだ異常な「ペット・ブーム」や、大地震の不吉な予兆の裏側で、逆に本来の「経済」学(「経世済民」学)が産声(うぶごえ=初声)を上げるための絶好の機会(chance=偶然・災難・運命)が、巡って来ていることになるのではあるまいか、という妄想が頭の中を駆け巡り、それはそれで、悪い気がしないではない。実際、かつて18世紀のイギリスで、と言うよりも、その連合王国に組み込まれたばかりの、スコットランドで「啓蒙主義」や「啓蒙思想」の風が立ち、雲が湧き、そこからハチソンやヒュームや、アダム・スミスが登場することになった光景は、いたって壮観である。が、困ったことに、そのような彼らも今の君や僕には、もっぱら経済学者にされてしまっているけれども。

その中でも、どうにか例外(exception=異議)として扱いうるのは、デイヴィッド・ヒュームであろうが、その理由が主として、あの「独断の微睡(まどろみ)」(『プロレゴーメナ』)からカントの目を覚まさせたことに求められるのであれば、そのカントが『啓蒙とは何か』において、まさしく「啓蒙」を次のように定義づけていることを、君や僕は振り返る必要がある。――「啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気も〔、〕もてないからなのだ。だから人間は〔、〕みずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる」。

このように書き記した後、カントは「啓蒙の標語とでも〔、〕いうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて」(サペーレ・アウデ)だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ」と述べている。ちなみに、この標語(Sapere aude!)自体は、古代のローマの詩人の、ホラティウスの『エピストラス』に由来しており、光文社古典新訳文庫の『啓蒙とは何か』(中山元訳)に従えば、この後には「知る勇気をもて、始めよ。正しく生活すべき時期を先延ばしする人は、川の流れがとまるのを待つ田舎者と同じだ。川は流れる。永久に、滔々(とうとう)と流れる」と、続いている由(よし)。なお、このようなホラティウスの格言として、ことによると君は「ももいろクローバーZ」の歌う『上球物語』を通じて、例の「この日を摘め」(Carpe diem!)を、知っていたかも知れないね。

閑話休題。このようにして「啓蒙」とは、これを例えば『日本国語大辞典』の語釈のように、その字面に即して「一般の人々の無知をきりひらき、正しい知識を与えること」と、ごく普通に理解している限りでは、いつまで経っても「啓蒙」を理解したことにはなりえない。したがって、仮に「川の流れがとまるのを待つ田舎者」に対して、ある誰か(都会人?)が「川は流れる。永久に、滔々と流れる」と教え、諭(さと)したとしても、それは一向に、この「田舎者」の「啓蒙」には、なりえないであろうし、それどころか、そのような受動的(passive)な「啓蒙」とは違う、逆の「啓蒙」が能動的(active)に、主体的(independent)に産み出されることによってのみ、本来の「啓蒙」は始まるのであり、それをカントは、ドイツ語で「啓蒙」(Aufklärung=天地快晴)と名づけていた次第。

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