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山のビブリオグラフィー(第二話) ――「教養」の来た道(141) 天野雅郎

さて、今回も引き続き、山の話である。前回は、たまたま夏目漱石(なつめ・そうせき)の話から、はるかに千二百年以上もの時を超え、持統(ジトウ)天皇(本名:鸕野讚良皇女→うの・の・さらら・の・ひめみこ)の話まで、いっきょに話が飛んでしまい、いつものように僕は、おそらく君をハラハラさせたり、クラクラさせたり(......^^;)してしまったのであろうけれども、そのような時間差(time lag)は考えてみれば、あくまで人間の感覚を麻痺させたり、混乱させたりするだけの時間差に過ぎないのであって、それこそ前回も話題になった、奠供(テング)山や香具(かぐ→輝く?)山の側から見れば、この二つの山は変わることなく、百年前の夏目漱石の目にも、千三百年前の持統天皇の目にも、今の君や僕の目と同様に、小高い丘の姿で佇(たたず)んでいたに違いないのである。

それにしても、このような標高152メートル余りの香具山や、ましてや海に近く、海を臨み、その位置関係から、たかだか標高(すなわち、海抜)35メートルに過ぎない奠供山を、君や僕は山(訓読→やま、音読→サン・セン)と称することに、抵抗を覚える側であろうか、それとも覚えない側であろうか。どちらでも構わないけれども、そのことは君や僕の使っている、日本語の語感(nuance=陰影→色調)を特徴づけているばかりか、ひょっとすると君や僕の、いわゆる「原風景」の違いをも特徴づけているのかも知れないね。なにしろ、例えば前回も引き合いに出した、あの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)によると、そこには第二の語釈として、山が「特に植林地、伐採地としての山林。種々の産物を得たり、狩猟したりするための山林」という形で、紹介されているからである。

そして、その後には続けて、第三の語釈が置かれていて、そこには山が「鉱石、石炭などを採掘する場所や諸施設。鉱山」と言い換えられている。すなわち、このようにして山が、君や僕にとっては「山林」というイメージを伴っているのか、あるいは「鉱山」というイメージを伴っているのかは、はなはだ大きな違いであって、その違いは多分、君や僕の生まれ、育った場所や、その場所の周囲に、どのような姿の山が存在し、どのような山を普段、君や僕が目にしてきたのかに、大きく影響を及ぼされざるをえないからである。ましてや、そこに第四の語釈として、さらに山を「墓場。墳墓。山陵。葬送地。みやま」として捉えるためには、それは「墓地が、多く山中、山麓に営まれたところから」理解をしない限り、そのまま直接に導き出されうる、山のイメージではなかったはずである。

もっとも、このようにして山が、それが「山林」であれ「鉱山」であれ、はたまた「墓地」であれ、そこには人間の、ひいては自然の、生と死の営みが重ね合わされ、くっきりと刻み込まれている点は、きわめて印象的である。その点において、例えば前回、僕が君に伝えておいた、あの持統天皇の歌にしても、それが単に歴史上、いたって当時としては珍しい「季節歌」であり、この「女帝の歌のように、季節の推移に目をつけた歌は非常に少な」く、それを結果的に、さながら「早咲きの狂い咲きの感がある」と、評することが出来るのと同時に、このようにして「大和に、そして日本に夏が〔、〕おとずれきたった歓喜を、すこやかに宣言した」人物が、一方で「日本の帝王の葬儀の上で〔、〕はじめて火葬を採用した」人物であったことも、ここに想い起こされて、しかるべきであろう。

 

ここでは、夏は〔、〕みじんも嫌われていない。さわやかな快感だけが残る。天降(あまくだ)った聖なる山、大和〔やまと〕の象徴である天の香具山、その山に見られる風物の変化によって夏の到来を確信した〔、〕この歌は、大和に、そして日本に夏が〔、〕おとずれきたった歓喜を、すこやかに宣言した歌であるといってよい。〔中略〕が、〔このように〕古代人一般が嫌った乾燥した夏、そうした夏の到来を明るく〔、〕さわやかにうたった個性と、帝王の葬儀史に〔、〕いまだかつてなかった、一瞬に燃えて白骨のみを残す簡潔な火葬を行なうことを生前に遺言した個性とは、深い〔、〕かかわりを持つであろう。〔改行〕「白栲〔しろたへ〕の衣」に執心した歌人は、〝純白の骨〟だけを残して、世を去った。(伊藤博『萬葉集釋注(一)』1995年、集英社→2005年、集英社文庫ヘリテージシリーズ)

 

ところで、この『万葉集』(巻第一、28)の歌――「春過ぎて/夏来たるらし/白妙の/衣乾したり/天(あめ)の香具山」は、君も知っての通り、やがて『小倉百人一首』にも選ばれることになるけれども、何とも困ったことに、それは「春すぎて/夏来にけらし/白妙の/衣ほすてふ/天(あま)の香具山」という言い回しに、すっかり語調が変わってしまっている。要するに、このようにして日本の古代(すなわち、7世紀後半)を生きた持統天皇から、すでに中世(すなわち、13世紀前半)を経験している藤原定家(音読→テイカ、訓読→さだいえ)へと、時代が移り、そこに五百年以上もの時間が流れ過ぎてしまうと、いっこうに山それ自体は変わらなくても、それを眺める人間の視点や視座や、まさしく感受性(sensibility? sensitivity?)は、違ったものになってしまうのである。

その変化を、一口で言えば、それは『新古今和歌集』の時代の歌人(音読→カジン、訓読→うたびと)が、もはや『万葉集』の時代の「印象明瞭な歌」に追随できず、その背後に存在している「古代生活」と、そこで「人々の生活を律しているものが自然の運行であり、生活のリズムは自然のリズムに従って繰りかえされる」という事態を、納得できなくなったことであろう。したがって、それは彼らが「断定的な表現を避けて、この歌の鮮かな印象を、気分本意に曖昧化してしまった」ことにも通じうるであろうし、何よりも「天(あめ)の香具山」を「天(あま)の香具山」と「不正確」に呼び、このような「慣用」の中で「香具山」自体が、その本来の意味と価値を見逃され、忘れ去られようとしていることにも通じうるであろう(山本健吉・池田彌三郎『萬葉百歌』1963年、中公新書)。

おそらく、そのような「香具山」本来の、意味と価値を想い起こすためにも、もっとも好都合なのは『万葉集』の冒頭(巻第一、2)で、あの舒明(ジョメイ)天皇が「香具山に登りて望国(くにみ=国見)したまふ時の御製歌(おほみうた)」を、引き合いに出すことではあるまいか。系図(genealogy)に即して振り返ると、この天皇は先刻の、持統天皇の祖父(grandfather)に当たっており、いわゆる「舒明皇統時代」の始祖の地位を占めている。翻れば、この祖父が天皇(音読→テンノウ、訓読→すめらみこと)となり、この時、この「香具山」に登り、そこで「望国」と称される、はなはだ呪術的(magical=魔術的)な眺望を切り開くことで、はじめて天皇は天皇となり、それと同時に、この「香具山」は神聖な、天降(あまくだ)りの山(逸文『伊予国風土記』)とも、なりえたのである。

事実、この標高152メートル余りの「香具山」から、どのようにしたら「陸地一帯に燃え立つもの、水蒸気や炊煙など」を見渡し、どのようにしたら「海原に飛び交う鷗(かもめ)」を見通し、要するに、そこから総じて「国土の原核であり、農耕の必須の媒材である「土」と「水」とが充実している」姿を、君や僕は望み見ることが叶うのであろう(伊藤博『萬葉集釋注(一)』)。言うまでもない。それは唯一、天皇という存在にのみ、認められた行為であり、許された特権(privilege=個人の法律)であったからである。その意味において、このような神話的な「歌の力」(同上)によって、そもそも『万葉集』は『古事記』を引き継ぐものであることを、君や僕は知らなくてはならないし、そのような神話的な呪縛に、君や僕が、からめとられないようにもしなくてはならないのである。

 

大和(やまと→原文:山常)には/群山(むらやま)あれど

とりよろふ/天(あめ)の香具山

登り立ち/国見(くにみ)をすれば

国原(くにはら)は/煙(けぶり)立ち立つ

海原(うなはら)は/鷗(かまめ)立ち立つ

うまし国そ/蜻嶋(あきづしま)/大和(やまと→原文:八間跡)の国は

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