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瀟洒なる自然 ――「教養」の来た道(151) 天野雅郎

前回の末尾で、僕は君に、深田久彌(ふかだ・きゅうや)の『瀟洒なる自然』(1967年、新潮社)を紹介しておいたのであるが、この本の表題の中の「瀟洒」という語を、ひょっとすると君は、読み辛かった(と言うよりも、単刀直入に、読めなかった......^^;)のではなかろうか、と僕は気になったので、今回の話は、この「瀟洒」という語から始めることにしたい。――と言って、まず恒例の『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引くことから、僕は始めるけれども、そこには有り難いことに、この語が杜甫(ト・ホ)の「飲中八仙歌」に、由来する語であったことが書き記されている。と言うことは、この語が中国から、それほど時を経ることなく、私たちの国へと伝わり、おおよそ8世紀から9世紀の頃の日本では、すでに使用済みの語であったのではなかろうか、という推測が成り立つ。

実際、この語の用例に『日本国語大辞典』が挙げているのは、9世紀の末年(892年頃)の『田氏家集』(でんし・かしゅう)であって、それは文字どおりに日本人の作った、漢詩(すなわち、外国詩)の私家集であり、このアンソロジー(anthology=詞華集)において「瀟洒」という語を使ったのは、島田忠臣(しまだ・の・ただおみ)であった。とは言っても、この漢詩人が当時、あの菅原道真(すがわら・の・みちざね)の漢詩の先生でもあれば、その娘の宣来子(のぶきこ)が彼の妻ともなっていることを、もはや現在の君や僕は、ほとんど(まったく?)忘れ果ててしまっている。が、このようにして振り返ると、この「瀟洒」という語一つを取り上げても、そこには日本と中国の間の、豊かな文化交流(cultural exchange=教養交流)の歴史が透けて見えるようであり、興味は尽きない。

もっとも、それは相当に一方的な......文化交流とも呼べない、文化交流であったに違いないけれども、このようにして当時の日本人の中には、おそらく昨今の、いわゆるグローバル化(globalization)の波に晒(さら)されている日本人よりも、はるかにグローバル化に順応し、これに適応した日本人は、いたのであって、それが先刻、名前を挙げた、島田忠臣や菅原道真であったことは、疑いがない。ただし、それが同時に、例えば菅原道真による、例の「遣唐使」の廃止の建議(寛平六年→894年)に連なり合う時期でもあったことを踏まえると、それほど単純にグローバル化や、あるいは逆に、ここに国風化や国粋化の語を持ち出して、この頃の歴史を一面的に、偏(かたよ=片寄)った筋道で理解し、そのことによって何かが分かった気にはならない方が、ずっと賢明なのではなかろうか。

と言ったのは、実は「瀟洒」という、この語が日本に伝来し、このようにして日本人の中で用いられて始めてから、ちょうど一千年(!)が経過した時点(明治二十七年→1894年)において、この語は再度、今度は志賀重昻(しが・しげたか)の『日本風景論』の冒頭に姿を見せ、言ってみれば、私たちの国の「風景」ブームや、なかんずく「登山」ブームの火付け役となる、重要な役目を背負わされることになるからである。その意味において、結果的に深田久彌が『瀟洒なる自然』という表題の本を出し、そこに同名の一章を差し挟んでいるのも、それは直接的に、この志賀重昻の『日本風景論』の影響下に生じた出来事であり、事実、その同名の一章には「志賀重昻は日本の風景が世界に冠絶する特色の一つとして「瀟洒」ということを挙げている」という一文が、置かれているのである。

そして、その「瀟洒は特に秋の紅葉黄葉にあるという。瀟洒は繊細にも通じるであろう。全く日本の風景はデリケートである」と続く。――言い換えれば、このようにして日本の風景や、その特色(「世界に冠絶する特色」!)を「瀟洒」という語で理解し、これを表現することが、少なくとも19世紀の末年から20世紀の中盤までは、ごく自然(natural=当然)に行なわれていた訳であり、そのこと自体を、どうやら当時の日本人は不自然に感じることさえ、まったく無かったのではなかろうか。裏を返せば、それが不自然(unnatural→artificial)に感じられるようになったのは、皮肉にも、君や僕が「瀟洒」という、この漢字(=漢の字)が使えなくなり、露骨(=露な骨)に言えば、この漢字を多くの日本人が、ほとんど読めなくなってしまって以降の、この数十年の出来事になるのである。

と言う訳で、そろそろ「瀟洒」という、この漢字の読み方を、僕は君に伝えなくてはならないのであるが、この段階に至るまでに、この漢字の読み方を君は辞書で調べてくれた側であろうか、それとも、調べてくれていない側であろうか。どちらでも構わないけれども......と、いつもの僕であれば馬鹿(バカ=莫迦)の一つ覚えのように、繰り返すところであるが、実は、このような些細(ササイ=瑣細)な、文字どおりに「繊細」(delicate→delicious)な、一つ一つの行為の中に、人間の知識や技能や、ひいては幸福の、すべては宿っているのであり、例えば君が、今夜の晩餐(dinner=正餐)に「デリシャス」の一言を発することが出来るのか、どうかは、このような細(こまや=濃)かな、心遣いや心配りを通してしか、成り立ちえないものであることを、決して君は忘れるべきではない。

と言いながら、あまり晩餐の前の「おいのり」(祈・祷→「主、願わくは〔、〕われらを祝し、また、主の御恵みによりて〔、〕われらの食せんとする〔、〕この賜物(たまもの)を祝し給え」)が長くなるのは、禁物なので、さっそく答えを言っておくと、それは「ショウシャ」である。もちろん、この語自体は元来、今回のブログの冒頭においても述べておいたように、いわゆる漢語(=漢民族語)であり、それを日本人は、いわゆる和語(=倭民族語)として使い続けて、今に至る――とは言い切れない所が、何とも困った点であるけれども、ここで再度、前掲の『日本国語大辞典』に戻ると、そこには一番目に「さわやかなさま。さっぱりして〔、〕きれいなさま」という語釈が、二番目に「俗気が抜けて淡白なさま。あっさりとして物に〔、〕こだわらないさま」という語釈が、置かれている。

要するに、このようにして「瀟洒」(ショウシャ)という語は、端的に言って、日本人が昨今、日本の文化(culture=教養)の中から、もっとも見失い、忘れてしまった......何か(something)なのであり、しかも、その何かが決して、日本語で訓読することが叶わず、せいぜい「瀟洒」の「洒」(呉音→シャ、漢音→サ)を日本語で、どうにか「あらう」とか「そそぐ」とか、そのような形で読むことだけが許されている、何とも縁(音読→エン、訓読→ふち)の遠い語であることに、おそらく君や僕の忘却の、あるいは喪失の、根深い源(みなもと=水の本)が隠されている。――と、このように嘆きつつ、僕は先刻来、手許の『唐詩選』(1961年、岩波文庫)に収められている、杜甫の「飲中八仙歌」のページを開き、そこに刻み込まれている「瀟洒」ならぬ「瀟灑」の語に目を凝らしている次第。

 

  宋之瀟灑美少年

    宋之(そうし)は瀟灑(しょうしゃ)たる美少年

  挙觴白眼望青天

    觴(さかずき)を挙(あ)げ白眼(はくがん)にして青天(せいてん)を望(のぞ)めば

  皎如玉樹臨風前

    皎(きょう)として玉樹(ぎょくじゅ)の風前(ふうぜん)に臨(のぞ)むが如(ごと)し〔※〕

 

〔※〕注解者(前野直彬)の現代語訳は、次の通りである。「宋之は粋(いき)な美少年、杯をあげ、世俗を見下しながら青空を見やる姿は輝くばかりの白さで、玉のなる木が風に吹かれているよう」。なお、かつて熊本の名酒として聞こえていた「美少年」は、言うまでもなく、この宋之(=崔宗之)に由来している。

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