ホームメッセージ懐かしの科学史家 ――「教養」の来た道(155) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

懐かしの科学史家 ――「教養」の来た道(155) 天野雅郎

科学史(history of science)という学問が、とても重要な学問であり、君や僕の生きている、この時代――すなわち、いわゆる作業仮説(working hypothesis)としての「近代」や、その延長線上にある「現代」を、考える際には必須の学問であることを、すでに僕は大学生の時分から、それ相応に分かっていた心算(つもり)である。なにしろ、僕が大学生になった時、真っ先に受講した授業は「科学史」であり、その授業には幸運にも、わずか数人の受講生しか集まらなかったから、僕は大学に入学早々、大学の教員の研究室......とは言っても、その部屋は当時、教官室という権威的な、いかめしい名で呼ばれていたのであるが、その教官室に毎回、授業の度に出入りをして、おまけに毎回、コーヒーなどを御馳走(ごちそう)になる、はなはだ貴重な体験を積むことが出来たからである。

言い換えれば、このようにして学問は、どのような学問であれ、その学問を学び、問うための条件として、そこに人間的(human)な、きわめて直接的な関係(relation)を必要としているのであって、その関係を欠いてしまうと、あらゆる学問は無味乾燥な、いたって機械的な作業に終始してしまう虞(おそれ)がある、と僕個人は思うけれども、さて君は、いかがであろう。その意味において、当時、僕が吉仲正和(よしなか・まさかず)の研究室に出入りをして、いまだ30歳に過ぎなかった、この「科学史」の研究者からアリストテレスの話を聴き、G.E.R.ロイドの『アリストテレス』(1973年、みすず書房)を一緒に読むことが叶ったのは、振り返るだけでも、貴重な体験であったことになる。――おまけに、この科学史家が50歳に満たないまま、やがて早逝してしまうのを想い起こせば。

なお、吉仲正和の著書は残念ながら、我が家(「天野図書館」)の本棚には『力学的世界の創造』(1979年、中公新書)と『ニュートン力学の誕生』(1982年、サイエンス社)が置かれているのみであるが、それぞれの副題には「ガリレイ・デカルト・ニュートン」と「現代科学の原点をさぐる」とあって、僕の記憶に狂いがなければ、この際の授業のレポート課題(......^^;)であった、これまた「コペルニクスからニュートンへ」という副題の付いている、H.カーニイの『科学革命の時代』(1972年、平凡社)の横に並んでいる。また、その隣には続いて、野田又夫『ルネサンスの哲学者たち』(1963年、岩波新書)速水敬二『ルネッサンス期の哲学』(1967年、筑摩叢書)S.ドレスデン『ルネサンス精神史』(1970年、平凡社)清水純一『ルネサンスの偉大と頽廃』(1972年、岩波新書)が、顔を揃える。

このようにして振り返ると、どうやら僕が大学生であった頃――要するに、1970年代の中盤は、ある種の「ルネサンス」(Renaissance=再生)ブームが私たちの国に起こり、つぎつぎと「ルネサンス」の名を冠した書物が、巷(ちまた=道股)に溢れると同時に、いわゆる「科学革命」(scientific revolution)という語が一般に流布した時期でもあり、事実、この「科学革命」や「パラダイム」(paradigm)という語の提唱者であった、科学史家のトーマス・クーン(Thomas Kuhn)の『科学革命の構造』(The Structure of Scientific Revolutions,1962)は1971年(昭和四十六年)に中山茂(なかやま・しげる)の翻訳で、みすず書房から刊行されており、その翌年に今度は、中山茂と高柳雄一(たかやなぎ・ゆういち)の共訳という形で出版されたのが、先刻の『科学革命の時代』であった次第。

すなわち、はなはだ大雑把に言えば、この当時は君や僕の生きている、この「日本」という国が、まさしく「明治維新」(Meiji Restoration=王政復古)以来、その名の通りに不可解な、矛盾(維新⇔復古)に満ちた「近代化」(modernization)を遂げてから、ようやく100年(!)が経った時期に当たっていて、そのような「明治100年」(昭和四十三年→1968年)の節目に際し、さまざまな「新」と「古」の対立が、露呈した時期でもあった訳である。もちろん、そのこと自体が当時、中学生になったばかりの僕には理解できず、まったく訳の分からない状態であったけれども、そのような状態が結果的に、このような「ルネサンス」や「科学革命」や、あるいは「パラダイム」や「パラダイム・シフト」(=パラダイム・チェンジ)という語に結び付いていたことは、今に至っては疑いがない。

ところで、僕が前回、君に推薦しておいた『山の思想史』(1973年、岩波新書)の、著者の三田博雄(みた・ひろお)も科学史の研究者である。......が、このようなタイプの研究者を、そのまま「研究者」と称することに対して、僕自身は抵抗があり、むしろ昨今の大学からは姿を消してしまった、文字どおりの「学者」の典型として、この『山の思想史』の著者のことを、僕は位置づけている。とは言っても、そのような「学者」が姿を消し、もはや「学者」も「研究者」も十把一絡(じっぱひとからげ)に、ことごとく英語でスカラー(scholar)や、あるいはサイエンティスト(scientist)と呼ばれ、例えばドイツ語では判然と、この両者がゲレールテ(Gelehrte)とフォルシャー(Forscher)という形で使い分けられていた、古き良き、大学を知らない君には、なかなか理解しづらい話かな。

ちなみに、すでに僕は君に、この『山の思想史』の著者のことを、このブログ(第125回:経済学は、道徳的ですか?)において紹介済みであり、そこでは三田博雄という名前自体は、表に出していないけれども、実は彼は再度、僕が大学生の頃、水田洋(みずた・ひろし)の授業を受けた折に購入したはず――と僕自身が実にアヤフヤに記憶している、ジェイコブ・ブロノフスキーとブルース・マズリッシュの『ヨーロッパの知的伝統』(1969年、みすず書房)の訳者代表でもあった。そして、この本の副題が「レオナルドからヘーゲルへ」(From Leonard to Hegel)と題されていたように、まさしくレオナルド・ダ・ヴィンチからヘーゲルへと至る、ヨーロッパの悪魔的(デモーニッシュ)な、思想の歴史を跡づけることが、少なくとも科学史家である三田博雄の、目的の一つではあったろう。

また、この『山の思想史』の著者には、それに似つかわしい、バジル・ウィリーの『十八世紀の自然思想』(1975年、みすず書房)の翻訳もあるし......この本についても、やがて僕は君に、別の形で紹介する予定であるが、その他にも例えば、エルヴィン・シュレーディンガーの『科学とヒューマニズム』(1956年、みすず書房)や、エス・イ・ヴァヴィロフの『アイザク・ニュートン』(1958年、東京図書)が、共訳と単訳の違いはあっても、いずれも彼の翻訳である。なお、先刻の『ヨーロッパの知的伝統』に先立って、同じジェイコブ・ブロノフスキーの『科学とは何か』(1968年、みすず書房)も、三田博雄は翻訳しているけれども、今回は彼の、このような「翻訳」という作業の、その原点に置かれた「教育」観を踏まえつつ、以下に『ヨーロッパの知的伝統』の「はしがき」を引いておく。

 

現代文化の創造ということは、科学と教養〔原文:人文科学〕の間に首尾一貫した関係を見出すという中心的な問題に〔、〕かかっているのである。とくに教育に関しては、この問題はつぎの二つの形をとって〔、〕われわれの前にたち現われる。すなわち、将来〔、〕科学者になろうとする者に対しては、われわれは文学や芸術の価値がどこにあるのかを、彼にしっかりと〔、〕つかませてやらなければならない。他方、将来〔、〕教養〔原文:自由学芸〕に携わろうとする者には、われわれは科学の方法や、その深い奥行や、そのインスピレーションについて一瞥を与えてやらなければならない。こういったことは、初等学校から大学にいたる全課程おいてのみならず、学窓を出てからの、すべての思想家の日常生活においても、たえず〔、〕もち上がってくる問題である。しかし、この問題がことに〔、〕はっきりと焦点になるのは大学教育においてである。というのは、科学と教養〔原文:人文科学〕との間の伝統的な区分は一世代くらいの時日で〔、〕大学から根こそぎにすることができないからである。

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2017 Wakayama University