ホームメッセージ登山家について ――「教養」の来た道(157) 天野雅郎

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登山家について ――「教養」の来た道(157) 天野雅郎

前回、僕は君に言語学者で、今や「近代言語学の父」と称されている、あのソシュール(フェルディナン・ド・ソシュール)の、曾祖父に当たるソシュール(オラス=ベネディクト・ド・ソシュール)の話を、聴いて貰(もら)ったのであるが、この......植物学者と言おうか、気象学者と言おうか、おそらく地質学者と言った方が、いちばん現在では好都合であり、しっくり来るのであろうけれども、やはり当時(すなわち、18世紀)は哲学者(philosopher=愛知者)と呼ばれる方が、本人にとっては馴染みの肩書であったに違いない、あの「近代登山の父」の話を再度、聴いて欲しいと思っている。が、それほど僕には彼について、詳しい、新しい情報がある訳ではないから、せいぜい話は素人(amateur=愛する人)に似つかわしい、まさしく哲学的な話に留まらざるをえないので、ご容赦を。

ところで、このようにして特定の知識や技能を有し、多くの場合、それに繋がる職業に就いている人間を、君や僕は英語で、例えば「植物学者」(botanist)とか「気象学者」(meteorologist)とか、あるいは「地質学者」(geologist)と呼んでいるけれども、このような「○○イスト」(ist)という呼び方自体が、結果的に19世紀になって普及し、定着した呼び方であったことに、君は気が付いていたであろうか。――要するに、このようなネーミングは目下、君や僕が「科学」と称し、したがって、その「科学」(science)を専門とし、生業(なりわい)とする人間を「科学者」(scientist)と称しているのと、まったく同時進行で起きた事態であり、裏を返せば、そのような科学とは違う、異なる頭の使い方をする哲学者は、決してフィロソフィスト(philosophist)とは呼ばれない。

第一、それでは哲学者(philosophos→philosopher)である自分と、いわゆるソフィスト(sophist)とを敢然と区分した、最初の哲学者(すなわち、ソクラテス)の思いを、君や僕は受け止めることが出来ないであろうし、同様に今回の、表題に顔を出している「登山家」が、はたして「マウンテニア」(mountaineer)の意味なのか、それとも「アルピニスト」(alpinist)の意味なのかが、よく分からなくなるに違いない。言い換えれば、例えば紀元前218年、その名の通りの「アルプス越え」を果たし、ローマ軍を撃破した、あのカルタゴの将軍(すなわち、ハンニバル)のことを、君や僕が見様によっては「マウンテニア」と呼んで、呼べないことはないのに対して、逆に彼のことを「アルピニスト」と称することは、まったくもって不可能である、という点が説明できなくなる訳である。

もっとも、僕が今、膝の上に置いている、アーノルド・ラン(Arnold Lunn)の『登山百年史』(1967年、あかね書房)を見ると、そもそも「本当の意味での登山家とは、むずかしい登攀〔とうはん〕の技術上の問題を解こうと〔、〕やってみることが楽しくて、登山をし〔、〕山登りをつづける人だと定義できよう」と記されていて、むしろ「ある山に、どれほどむずかしくとも、曲芸として登る人は登山家ではない。単に向こう側へ行くために峠を越す旅行家、山の風景は楽しむが〔、〕山の問題には興味を持たない逍遙者、山岳探検の主たる動機が科学の研究で〔、〕山に登る科学者、これらの人は皆、本来の意味での登山家ではない」という結果になり、それならば、先刻のハンニバルは無論、あのオラス=ベネディクト・ド・ソシュールも「本当の意味での登山家」ではないことになる。

それどころか、この「科学者」に先立ち、最初にモンブランへの登頂を成し遂げた、ジャコモ・バルマ(Jacques Balmat, 1762‐1834→「ジャック・バルマ」?)もミシェル・パッカール(Michel Paccard, 1757-1827)も、どちらも「本当の意味での登山家」ではなく、もともと後者は「大学で医学を修め、学位を得て〔中略・改行〕シャモニー〔原文:シャモニ〕に帰って医者になっていた〔中略〕純情な青年」であって、せいぜい「モンブランに登頂したいという希望を抱いている立派な青年」と、オラス=ベネディクト・ド・ソシュールの印象には残っている、そのような「医者」に過ぎない訳であるし、ましてや前者は「羚羊〔レイヨウ→アンテロープ〕猟師と水晶採りを職業にしていた〔中略〕筋骨逞しい青年だった」(『登山百年史』付録)と評することに、ならざるをえない次第。

ただし、このように書き連ねているのは、この『登山百年史』の著者(アーノルド・ラン)ではなく、訳者の一人の馬場勝嘉(ばば・かつよし)であり、この訳者の「モンブラン〔原文:モン・ブラン〕の初登頂」という付録の文章を読むと、そこにはオラス=ベネディクト・ド・ソシュールに関しても、むしろ「彼が幼少時代から〔、〕すでにアルピニストの精神をもち、いかに山にたいして情熱をもやしていたかが〔......彼の『アルプス旅行記』(Voyages dans les Alpes)の叙述からは〕わかるし、また〔、〕いかに強く自分の登山の動機や目的が科学の研究であると主張しても、それは単なる言訳〔いいわけ〕であることも一目瞭然たることなのである」と記されていて、さながら彼の「情熱」が科学者のものではなく、登山家(アルピニスト)のものであったかのように語られている。

なお、その上で今回、僕が君に伝えておきたいのは、実は僕自身、この『登山百年史』に目を通していて、はじめて知ったことなのであるけれども、何とモンブランの初登頂という――「この登山史上、いな世界史上に〔、〕さん然と輝く大偉業が、不幸にも一、二の人たちの卑劣な行動によって事実をかくされ、間違って伝えられたために、一世紀以上もの間、バルマが主人公で、パッカールがロボットのような馬鹿げた人物であったと信じ込まれていた」(同上)という事態である。そして、そこには登山が科学と共に、まさしく「人間のデモーニッシュな活動の両極」(三田博雄『山の思想史』1973年、岩波新書)に姿を変えていく事態が、あからさまなまでに暴き出されていて、この時代を端的に、登山と科学と、ひいては「冒険談」の時代と名づけたい、誘惑にも駆られるほどである。

なぜなら、ふたたび『登山百年史』の付録を繙(ひもと=紐解)くと、この折の不実な、偽りの情報提供者となったのが、驚くべきことに「幾分〔、〕ほら吹きでもあった」バルマと、この案内人(ガイド)が後年、酒に酔って語る「冒険談」を真に受けた......「あの《モンテ・クリスト伯》や《三銃士》の作家、大アレクサンドル・デュマであった」からである。――要するに、この「冒険談」は不幸にも、やがて『岩窟王』の名で君や僕にも親しまれることになる、あの「モンテ・クリスト」(=「キリスト山」!)の城主が、ちょうど三十歳の折(1832年)に訪れたシャモニーで、こちらは七十歳を迎えて「元気な爺さん」になっていた、かつての運搬人(ポーター)の昔話を、ほぼ半世紀を経て、まるで瓢箪(ひょうたん)から出た駒(こま)のように、作り替えてしまったものであった。

 

この元気な爺さんは、自分の生涯での最良の時を回顧し、その赫々たる偉業を多少の虚構や誇張で粉飾して語り聞かせた。デュマはモンブラン〔原文:モン・ブラン〕の初登頂については、なんの知識も持っていなかったし、ド・ソシュールは一七九九年に、パッカールは一八二七年に〔、〕それぞれこの世を去っていたので、初登頂に直接関与した人々から〔、〕この冒険談の正確さを聞きただすこともできなかった。そのために彼は〔、〕この爺さんの話をもとにして、その魅力ある描写力により、一八三三年に《旅の印象記》の中に〔、〕その話を発表した。〔中略・改行〕《バルマこそは未知の大陸を発見したコロンブス、または失われた世界を捜しに出かけたヴァスコ・ダ・ガマにも匹敵する偉業を〔、〕なし遂げた......》 

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