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祝☆卒☆業 ――「教養」の来た道(16) 天野雅郎

祝卒業。――この表題を、どのように君が読むのかは、君の自由である。頭から、そのまま「シュク・ソツギョウ」と音読しても構わないし、それが一番、昨今では普通の読み方であるに違いない。が、このようにして「祝」を頭に冠し、祝卒業だの祝入学だの、祝結婚だの祝出産だの、このような日本語を日本人は、いったい何時の頃から使い始めて、今に至るのであろうか?と言ったのは、ここでも例えば『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を繙(ひもと)くと、そこには有島武郎の『星座』(1922年)の中の「祝開店、佐渡屋さん」という用例が挙げられており、それが今から90年余り前の、大正11年の用例であったことが分かると共に、この用例が多分、君や僕の予想していた以上に、ずっと新しい用例であったことにも、君や僕は気が付かざるをえないからである。

もっとも、この有島武郎の『星座』……この作品も実は、この作家の「心中」によって未完となった、その意味においては太宰治の『グッド・バイ』と同様、文字通りの絶筆であったけれども、そこに使われている「開店」という語自体が、ふたたび『日本国語大辞典』によると江戸時代の、19世紀の初頭の用例(式亭三馬『浮世風呂』)にしか遡りえない語のようであるし、これを例えば「開業」と置き換えてみても、その用例には後年、例の「ヘボン式ローマ字綴(つづ)り方」で有名になる、ヘボン(James Curtis Hepburn)の編纂した『和英語林集成』(1867年)と、福澤諭吉の『福翁自伝』(1899年)が挙げられているので、この語の起源が中国の、司馬遷の『史記』にまで辿り着く事態と比べると、この語を日本人が使い出した歴史の浅さを、逆に振り返らざるをえないことになる。

とすれば、ほぼ「卒業」も似たり寄ったりであろう、という点までは察しが付くが、この語の場合には中国(前漢)の、ほとんど司馬遷の『史記』と同時期に書かれた、司馬相如の『難蜀父老文』(前129年)が初出のようであるから、厳密に数えれば、それは今から2142年前(!)に産声を上げた語であったことになる。ところが、この語を私たちの国で最初に用いたのが、仮に『日本国語大辞典』の用例に挙げられている、江戸中期の朱子学者、江村北海の『授業編』(1783年)であったとすれば、その時間差は何と、1912年にも及ぶことになり、それは今から、230年前の出来事であったことにもなる。また、その際の「卒業」は現在の、私たちの多くが思い描く、いわゆる「学校で、所定の学業課程を学び終えること。また、学び終えて学校を去ること」を意味していた訳では、決してない。

実際、この説明文は『日本国語大辞典』が、この「卒業」という語の二番目に掲げている語釈であり、一番目には「一つの事業を完了すること」という語釈が掲げられている。と言うことは、この「卒業」という語は元来、何らかの事業――君であっても、僕であっても、ある何らかの仕事(しごと)や業(わざ)を終えて、そのために必要な作業が終(=卒)わりを告げることを意味しており、単に「学校」(学校教育)にのみ宛がわれるべき語ではなく、それは家庭教育にも社会教育にも、等しく当て嵌まるべき語であったことになる。それどころか、もともと私たちの国には「学校」という形を取り、そこで「一定の設備と方法によって、教師が児童、生徒、学生に継続的に教育を施す所」――すなわち、小学校も中学校も、高校も大学も、存在してはいなかったのが順序である。

裏を返せば、そのような「学校」は明治時代以降、私たちの国が大慌てで輸入し、俄(にわか)仕立てに拵(こしら)え上げた、いわゆる近代国家(モダン・ネーション)に特有の、特異な社会制度(ソーシャル・システム)であり、しかも、それは理念上、例えば英語のスクール(school)の原義とは違う、と言うよりも、それを否定する原理を含み持つものでもあった。なぜなら、そもそもスクールとは語源的に、ギリシア語(schole)やラテン語(schola)に由来し、その前提には私たちが、日本語で「ひま」(暇・閑・隙)と呼んでいる、時間と空間が必要とされていたからである。そして、そのような「ひま」な時間と空間を持ち、これを「もてあそぶ」(持て遊ぶ=玩・弄・翫)ことを許されていたのは、ほんの僅かな、一握りの特権階級の他には、ありえかったからである。

事実、そのようにして「学校」は、とても長い間、貴族階級や僧侶階級という名で呼ばれる、かつての特権階級を確立し、維持し、これを再生産(リプロダクション)するための仕組みであり、それが時代の浮沈に応じて、単純再生産になったり、拡大再生産になったり、縮小再生産になったり、その折々の栄枯盛衰を味わうことはあっても、いつも「学校」が特権階級の、特権階級による、特権階級のための場であったことに変わりはなく、それが結果的に、特権階級以外の階級(いわゆる「第三階級」)に対して門戸を開くことになったのは、きわめて新しい人類の経験であった、と評さざるをえない。言い換えれば、そのような人類の経験の、まさしく途上において、君も僕も、これまで幾つかの「学校」の門を潜り、幸運にも、その度に「祝卒業」の言葉を贈られてきた次第である。

問題は、そのような人類の経験が、はたして新しい経験のまま、瑞々(みずみす)しい姿を保ち……例えば女性が、例えば黒人が、例えば障害者が、それぞれの「祝卒業」の言葉を胸に、それぞれの学舎(まなびや)を巣立つことが叶うべく、弛(たゆ)まぬ努力を払い、前進を続けているのか、それとも逆に、この経験は従来の、旧式の経験へと舞い戻り、ふたたび一定の、ある限られた特権階級を輩出するだけの仕組みへと、徐々に後退を遂げてしまったのではなかろうか、という点であり、その判断は君が、君自身の頭を使って、じっくり考えて欲しい限りであるが、僕自身は今回、ちょうど今日(3月26日)が本年度の、和歌山大学の卒業式であることを踏まえ、この一連の文章(「教養」の来た道)の番外編という形で、このような「祝卒業」の言葉を、したためている。

ただし、その言葉を一方で、僕は僕自身に宛てて――君の目から見れば、もう「卒業」には縁(エン)も縁(ゆかり)も無い、と切って捨てられそうな(!)僕自身に宛てて、したためてもいる。何しろ、このような齢(よはひ=世這ひ、世延ひ)に至っても、これまで積み重ねてきた「卒業」を想い起こし、これから積み重ねていく、と言うよりも、積み重ねていかざるをえない「卒業」と向き合うことが、そのまま僕の履歴(キャリア)であり、存在証明であったから。そして、それは君が、これ以降の生活と人生において、僕よりも多くの「卒業」と出会い、その度に、それぞれの「卒業」に痛切な、喜怒哀楽の情を催さざるをえないことをも、暗に示している。願わくは、その事実を君が、しっかりと受け止め、その折々の「卒業」に臨み、決して取り乱し、我を見失うことのないように。

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