ホームメッセージバカヤロウ! ――「教養」の来た道(177) 天野雅郎

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バカヤロウ! ――「教養」の来た道(177) 天野雅郎

先週(3月25日)には、ようやく卒業式(graduation ceremony)が終わったと思っていたら、もう来週(4月5日)には入学式(entrance ceremony)が待ち構えている、何とも慌(あわただ=遽)しい、因果(インガ)な巡り合わせの中で、この数日、珍しく僕には時間の余裕が出来ている。――とは言っても、まさしく因果は網(あみ→「因果の網」)や綱(つな→「因果の綱」)のごとく、あるいは車(くるま→「因果の車」)のごとく、クルクルと回り続けるのが定めであって、その意味において、いつまで経っても因果の尽きる時はなく、僕自身も結果的に、ソワソワと新学期に備えて授業の準備や、本棚の整理に明け暮れている訳であるが、せめてもの救いは、そのような作業の中で、ふと以前に読んだ本を発見し、そのページを繙(ひもと=紐解)く瞬間が、訪れることではなかろうか。

ちなみに、かつて僕は君に「祝☆卒☆業」という文章と、ついでに「祝☆入☆学」という文章を、このブログ(第16回・第17回)に書いたことがあるけれども、それは振り返ると、もう三年も前のことになる。その頃は、僕自身が多忙を極めており、このセンター(「教養の森」)が出来て、センター長を引き受けたことに加えて、前期も後期も、週に15コマばかりの授業を抱え込み、おまけに隔週には、日本の古典文学の講読会まで主催し、とうとう片目が使えなく所まで(......^^;)自分自身を追い込んでいた時期の文章であったから、それらの文章を先刻、読み直してみると、あまり余裕のない、ゆとりや寛(くつろ)ぎを欠いた文章を書いていたのを、反省している次第。――でも、おそらく人は、そのような寛ぎや、ゆとりや余裕のない状態の中でしか、文章を書かないのかも知れないね。

と、このようなことを僕が今、想い起こしているのは、今回も僕は君に、夏目漱石(なつめ・そうせき)の話を聴いて欲しいからに、ほかならないが、実は先日来、僕は大学生(厳密に言えば、大学院生)の頃に読んだ、江藤淳(えとう・じゅん)の『決定版・夏目漱石』(1979年、新潮文庫)のページをパラパラと捲(めく)り直していて、そこに「漱石生誕百年記念講演」と題された、その名の通りの一文を発見したからである。とは言っても、その一文に僕自身は、すでに三十五年余りも前に出会っているはずであるし、その証拠に、そこには僕のマーカーの、青い線も引かれている。したがって、これから僕が君に伝えることは、きっと発見ではなく、再発見と称するべき事態に違いないけれども、そのこと自体を僕が覚えていない以上、これは発見と、やはり呼ぶべき事態なのか知らん。

もっとも、このように書き出したからと言って、それは「漱石という人が、こちらが成長してくるにつれて、さまざまな新しい魅力を〔、〕あらわしてくれる稀有(けう)な作家だということを〔、〕いまさらのように感じるのです」......という江藤淳の漱石評と、単純に重なり合うものでもなければ、相反するものでもない。理由は簡単で、僕自身は江藤淳に対して、これまで熱心な読者であったとは、ほとんど言えない立場であるし、彼の『漱石とアーサー王伝説』(1975年、東京大学出版会→1991年、講談社学術文庫)にしても、あるいは全五部で、しかも未完の『漱石とその時代』(1970年~1999年、新潮選書)にしても、すべて我が家(天野図書館)に揃っているけれども、これらの本を本棚から引っ張り出すことを、これまで僕は、それほど頻繁に繰り返してこなかったのが実情である。

なぜなのであろう――と僕自身が、ある意味において、不可解である。と言ったのは、これらの本の連なりには、同じ著者の『成熟と喪失』(1967年、河出書房新社→1993年、講談社文芸文庫)も『批評家の気儘な散歩』(1973年、新潮選書)も、あるいは『去る人来る影』(1982年、牧羊社)も『女の記号学』(1985年、角川書店)も、ついでに『昭和の文人』(1989年、新潮社)や『渚ホテルの朝食』(1996年、文藝春秋)や『荷風散策』(1996年、新潮社→1999年、新潮文庫)も、次から次へと顔を並べているからであって、そこに欠けているのは『海は甦える』(全五巻)のような小説か、それとも『海舟余波』や『南洲残影』のような評伝でしかない。と言い出すと、この著者に寄せる僕の好悪の、ある程度までは、君に理解して貰(もら)えるであろうから、これ以上の説明は無用であろう。

ともかく、僕自身は今回、この著者の「漱石生誕百年記念講演」を読み直し、さらには「漱石のなかの風景」の冒頭に置かれた「和歌浦のエレヴェーター」にも目を通し直していて、あらためて江藤淳に興味を持ったり、好感を抱いたりした点が、なかった訳ではないので、その点を以下、君にも報告しておくことにしたい。とは言っても、はたして君は江藤淳が、この講演を「漱石山房」を訪れた際の、森田草平(もりた・そうへい)と小栗風葉(おぐり・ふうよう)のエピソードから始めていることに、どこまで興味を持ってくれるのかは、あやしい話であるし、ひょっとして君が夏目漱石門下の森田草平と、尾崎紅葉(おざき・こうよう)門下の小栗風葉が、この時、なぜ二人でグデングデンに酔っ払って、例の「漱石山房」を訪ねることになるのかも、よく事情が分からないはずである。

それどころか、ことによると君は彼らの作品の名を一つも挙げることが出来ないばかりか、この二人の小説家の名さえ、ろくに耳にしたことが、なかったのかも知れないね。でも、それは多分、君に限った話ではなくて、今から百年前には相当に有名な作家であった......彼らのことを、ほとんど君や僕は想い起こすことが叶わず、要するに、忘れられた作家(ライター)にしてしまっているのに対して、どうして同じ時代を生きていた、夏目漱石だけには特別の、変わらぬ視線を、君や僕は注ぎ続けるのであろう、という問い掛けと表裏一体であり、その答えを江藤淳は、まさしく夏目漱石が彼の生きていた、その「時代の問題を最も誠実に引き受け、その時代の問題に最も深く傷つき、そして、その時代が提出した問題を常に問い続けながら生きて死んだ一人の人間」であった点に求めている。

 

漱石が〔、〕なぜ〔、〕こんなに読まれるのか。漱石についての講演というと〔、〕なぜ〔、〕これほど熱心な人々が集まるかというと、それは結局、漱石以外の〔、〕どの作家も〔、〕この焦眉の問題を〔、〕われわれと一緒に生きようとしてはくれないからです。われわれは〔、〕そういう現代作家を求めてはいる。しかし、われわれは現在の流行思想や現在の流行作家のなかに漱石のそれに匹敵するような声を聞くことができない。だから私たちは漱石を読むのです。〔改行〕漱石の魅力が死後五十年、生誕百年の今日、いささかも衰えないのは〔、〕おそらく今申し上げたような理由からです。これから時代が〔、〕さらに進んで、われわれ現代の日本人が〔、〕もっと孤独になり、さらに多くの悲惨を体験するようになれば〔、〕なるほど、漱石は〔、〕いよいよ広く、深く読まれるだろうと私は信じて疑いません。

 

言い換えれば、夏目漱石は君や僕の生きている、この時代――すなわち、近代や現代という名で呼ばれる時代(modern times)が、そのまま「人間を幸福にする時代である、個人は確立されるべきであり、自我は主張されるべきである〔、〕という思想に、ただ一人で、ほとんど〔、〕ただ一人で反対を唱えていた」作家であり、その意味において、彼は非近代的な、反近代的な作家でもあれば、それと同時に「明治以来〔、〕今日までに、日本の作家が書いてきた〔、〕さまざまな小説の中で、ほとんど唯一の本格的な近代小説」である『明暗』を遺し、この世を去った作家でもあることを、君や僕は忘れまい。裏を返せば、そのような夏目漱石であるからこそ、例えば小栗風葉のようなモダニストを「バカヤロウ!」と怒鳴りつけ、これを門前払いも同然に、追い返すことが出来たのである。

 

風葉は〔、〕もう〔、〕ぐでんぐでんに酔っておりますので、玄関をガラリと開けるなり「いよおっ、漱石君」と〔、〕こう〔、〕どなったんですね。「天下〔、〕語るに足る者は乃公(だいこう)と余のみ」と〔、〕こういった。漱石は〔、〕なんのことかわからないで、玄関の上がり框(がまち)に突っ立って風葉の酔態を〔、〕しばらく〔、〕じっとにらんでいた。そこへ異様に緊張した空気が張りつめたと思ったら、突然〔、〕漱石が「バカヤロウ!」と〔、〕どなったのです。その声を聞いて風葉は〔、〕びっくりして酔いも覚めてしまい、そのまま帰ってしまった。これは森田草平の「漱石先生と私」のなかに出てくる話でありますが、草平は「その時の先生の声は、この世のものとも思われないような痛ましい声であった」と書いています。〔改行〕こういう漱石の横顔は、私には大変〔、〕魅力的なものに思われます。

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