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小栗風葉論 ――「教養」の来た道(178) 天野雅郎

前回、僕は君に偶々(たまたま=適・会)夏目漱石(なつめ・そうせき)門下の森田草平(もりた・そうへい)と、尾崎紅葉(おざき・こうよう)門下の小栗風葉(おぐり・ふうよう)が、二人でグデングデンに酔っ払って――とは言っても、もっぱら出来上がっていたのは後者(小栗風葉)のようであるけれども、例の「漱石山房」を訪れた折の話を聴いて貰(もら)ったのであるが、この二人が何故、一緒に酒を飲んでいたのかは、それほど重要な問題ではない。重要な問題は、むしろ彼らが漱石門下であろうと紅葉門下であろうと、このようにして同じ穴の、狐(きつね)や狸(たぬき)や狢(むじな=貉)のように、共に酒を酌み交わす中で日本の近代文学(modern literature)は、この時期、文字どおりの近代文学として産声(うぶごえ=初声)を上げることになる、という点である。

が、このようにして狐や狸や、あるいは狢の語を用いたからと言って、僕自身は別段、これらの獣(けもの=毛物)が嫌いではないし、むしろ狐や狸や、穴熊(あなぐま)の異名でもある貉のことを、見様によっては文学的(literary)な、読み書き力(literacy)にも通じる力を兼ね備えた、その意味において、作家の姿と重ね合わせるに適した存在ではなかろうか、と考えているので、誤解のないように願いたい。なにしろ、前回も前々回も、このブログで取り上げている「漱石山房」において、まさしく漱石自身が「達磨(だるま)の様に、すっぽりと、自分の羽織をかぶったり、時には、麦藁帽子を頭に乗せた儘〔まま〕、原稿を書いて居た」(夏目伸六『父と母のいる風景』1967年、芳賀書店)様子は、どこかで狐や狸や貉の姿を、髣髴(ホウフツ)させるものでもあったはずである。

その点、例えば漱石門下の森田草平にしても、紅葉門下の小栗風葉にしても、その容貌や体型(......^^;)が正直な話、とうてい平塚明(ひらつか・はる)との心中未遂事件(いわゆる、塩原事件)を巻き起こし、世間に醜聞(シュウブン=臭聞)を撒き散らすようなタイプには見えない所が、僕自身は逆に、いたって文学的で好ましい、と感じてしまうのであるが、さて君は、いかがであろう。とは言っても、このような騒動を巻き起こした時点で、すでに森田草平は数えの28歳であり、既婚者でもあったから、一方の平塚明の年齢(23歳)を考慮に入れても、この二人が教師と生徒の立場を踏み外し、そのまま駆け落ち(elopement=逃走)をしてしまうのは、それほど文学的な行為には思えず、せいぜい肉欲的であるとか、情欲的であるとか、その程度の感慨に留まらざるをえないのであるが。

ともかく、これから追い追い、僕は君に彼らの話を、あれこれ続ける予定であるが、昨今では便利なことに、この手の人物を列挙した辞書(『夏目漱石周辺人物事典』2014年、笠間書院)が出版されており、そのページを開いてみると、漱石門下の森田草平は言うに及ばず、紅葉門下の小栗風葉までもが掲載されている。おまけに、その末尾には前回、僕が君に伝えておいた、あの「バカヤロウ!」の漱石の一喝も、ここでは「馬鹿ッ!」や「帰れ」の「痛ましい声」として記録されており、もはや文学史(風俗史?)の研究者や、特殊な嗜好の持ち主ではない限り、その本を手に取ることは稀(まれ)であろう、小栗風葉への追懐となっていて、いささか僕自身は嬉しい気分である。と言ったのは、この辞書に使われている、小栗風葉の写真が僕には、とても人間的に、好感が持てるからである。

もっとも、このように僕が感じているのは、実は以前、この写真を筑摩書房版の「現代日本文學全集(56)」(『小杉天外・小栗風葉・岡本綺堂・眞山靑果集』1957年)の巻頭で、僕自身は目にしたことがあるからであり、そこには着物姿で、素足に草履(ゾウリ)を履き、草の上に腰を下ろしている、小栗風葉の全身写真が載っている。と言うよりも、それは他の三人と同様、彼らが江戸時代の末年から明治時代の初年に生まれ、言ってみれば、この当時の日本の近代化(modernization)や西洋化(westernization)を、ほとんど近代以前の体と心で受け止めざるをえなかった、いたって日本的な顔立ちや、身なりをした作家たちであり、しかも、彼らは揃って、私たちの国の近代文学の勃興期に、あるいは過渡期に際し、悪戦苦闘の末に傷付き、倒れ、忘れ去られようとしている作家たちである。

唯一の例外は、結果的に劇作家となり、あの『半七捕物帳』の連作で一世を風靡(フウビ)した、岡本綺堂(おかもと・きどう)であろうが、それは反対に、彼が江戸時代の生活空間を熟知し、記憶に留め、それを一種の文化(culture=教養)として定着させることが出来たからではあるまいか。この点は、おそらく最も若く(遅く?)明治十一年(1878年)に生まれた、眞山靑果(まやま・せいか)にも妥当する点であって、前掲の「現代日本文學全集」には彼の「小栗風葉論」(明治四十年→1907年)も収められていて、そこにはグデングデンに酔っ払って、夏目漱石の家に押し掛ける前の、この作家の日常を知ることが叶い、興味は尽きない。特に、それが自分自身を「小栗風葉論を書くべき人だ、また書かなければならない人だと思う」......最愛の弟子の文章であれば、なおさらである。

 

正直のところを云うと、私は氏の芸術に絶対的に服従する者ではない。寧〔むし〕ろ飽足(あきた)らず思う所が多い。〔中略〕それにも拘らず、先生〔、〕先生と付纏(つきまと)って離れぬのは人格の上に謂われぬ美しい点を見ているからだ。〔中略・改行〕確か三度目に訪問した時だと思う。氏はシゲシゲ私の顔を見て、「君はお幾つです」と問う。「二十八です。」と云うと、「然〔そ〕うか、それは見違いた、僕は四十位かと思った。じゃ未〔ま〕だ若い〔、〕未だ未だ勉強なさい。」と急に打解けた調子になる。平常は誠に言葉遣の丁寧な人で〔、〕どんな人にも大抵は「あなた」だ、宿屋の女中なぞは挨拶に出て困る位。それを自分では、「僕は町人の子だから。」と云って居る。

 

要するに、これが最愛の弟子の目から見た、小栗風葉の平生の姿である。残念ながら、ここでは表記を君の便宜に合わせて、新漢字と新仮名遣いに改めてあるけれども、このような文章を一読すれば、きっと君も小栗風葉の印象が、変わるに違いない。すなわち、みずからの生活の困窮にも拘らず、弟子たちのために金の工面をし、それを彼らの飲食のために費やし、しかも、そのこと自体を「秘密も蟠(わだかま)りも」なく、まったく「何の遠慮も無くパッパと吐出して了〔しま〕う」――それが小栗風葉という作家の「美点」であり「長所」であった。「つまり美しい人と云うのだろう。厳正な意味から云って立派な人ではないのかも知れぬ。高いとか立派とか云う事は心ある人のする事で、先生のような天真な〔、〕生れたまま木地〔きじ〕のままの人には到底〔、〕出来そうもない事だ」。

 

その内に暗くなった。酒は飲むかと問うから飲むと答えた。酒が出た。可也〔かなり〕酔うほど飲んだ。〔中略〕そして、酔うに従って次第に調子が変って来る。芸術に対する主張やら覚悟やら煩悶やらを滔々〔とうとう〕と熱弁にまくし立てて、果ては私の罵倒まで出る、「何〔ど〕うも君は嬌飾〔きょうしょく〕の人らしい、心の空しからぬものは芸術家の資格が無い。」など、前とは打(う)って換(かわ)っての態度だ。然し言う事に力がある、熱気がある、真摯の気が籠って居る。〔中略〕私は、この時、真の風葉氏に接したような気がした。その後も始終ある事だが、酒と風葉氏とは遁(のが)れぬ結付(むすびつき)だ。酒を外にしては到底〔、〕氏の真相を知る事は出来ない。

 

さて、このようにして「年が年中、今日は飲めぬと云う日が無い」ほどに、朝であろうと昼であろうと夜であろうと、酒の善し悪しにも肴(さかな)にも、まったく気を配ることなく飲み続け......たまたま小栗風葉は森田草平と連れであったのを幸いに、やおら「漱石山房」へと出向いた訳である。そして、そこから先は前回、僕が君に伝えた通りであって、この幸運は不運へと、風雲、急を告げるかのごとくに豹変し、あわれにも小栗風葉は夏目漱石の一喝(バカヤロウ!)に肝を冷やし、すっかり酔いも覚めた上、スゴスゴと「漱石山房」を後にした次第。でも、僕自身は次のような眞山靑果の「小栗風葉論」を踏まえると、どうやら彼は夏目漱石と、この時、お互いが「芸術家」であることを確認し合い、ただ一緒に「芸術談」に興じたかっただけなのではなかろうか、と思えるのであるが。

 

全体、風葉と云う人は家庭的の人じゃ無い。家族と共に楽むなぞ云う事はトンと出来ない人だ。さきが追付いて来るなら格別、こちから歩調を合せて行く事の出来ない人だ。わが儘〔まま〕至極の人だ。ヤンチャな人だ。だから家族と食卓を囲んで団欒(だんらん)の席でも、自分一人だけは超然として居て、その中に混ろうとも混らせられようともせぬ。〔中略〕芸術家と茶の間とは別の王国だ。〔改行〕書斎の先生は全く別人だ。よく喋べる、論ずる、説く。飲んだ酒も身体中にまわって、口も、目も、耳も、手も、足も、活々〔いきいき〕として来る。憤慨もするが、甚しい時には泣くこともある。そして、何時までも何時までも飲む。詰〔つま〕り芸術談が出来るからだ。

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