ホームメッセージ青春の、うしろすがた ――「教養」の来た道(186) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

青春の、うしろすがた ――「教養」の来た道(186) 天野雅郎

青春という日本語(Japanese=日本人)が、もともと中国語(Chinese=中国人)であることを知ったのは、おそらく高校生か、それとも中学生の頃であったろう......と思われるけれども、当時、それこそ「青春」の真直中(まっただなか)に佇(たたず=彳)んでいた僕には、そのこと自体がピンと来るはずもなく、もっぱら僕は青春を、決して借り物ではない、自分自身の青春であるかのように、信じ込んでいた次第。実際、驚くべきことに当時は、映画の中にもTVの中にも、あるいは雑誌の中にも、呆れ返るほどに「青春」の二文字が溢(あふ)れていたのであって、そのことは以前、このブログ(第24回:熱血教師について)の中でも、たまたま僕は孔子(すなわち、孔丘→コウ・キュウ)関連の話題を通じて、君に伝えておいたはずである。ちょうど、もう3年前のことになるけれども。

ところで、このような中国起源(ひいては、中国渡来)の「青春」について、あらためて『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引き直してみると、そこには「(五行思想で、中国において、青色を春に配するところから)春の季節。陽春。芳春。青陽」という語釈が置かれていて、この語が中国の南北朝時代の、南朝の梁(リョウ)の元帝(蕭繹→ショウ・エキ)の『梁元帝纂要』(逸文)に由来する語であったことが分かる。と言うことは、この語は中国で今から、すでに1500年ばかり前には使われていた語であって、それが日本に伝わったのも、これまた『日本国語大辞典』の用例を踏まえれば、弘仁五年(814年)の『凌雲集』であったから、この日本最古の「勅撰漢詩集」を介して、どうやら平安時代以降、私たちの国の漢語表現の中で、この語は1200年余りも受け継がれてきた訳である。

もっとも、このようにして「青春」が、それ以外の「朱夏」(シュカ→朱〔あか=赤〕い夏)と「白秋」(ハクシュウ→白い秋)と「玄冬」(ゲントウ→玄〔くろ=黒〕い冬)と並んで、言ってみれば「四つ揃い」の、ワン・セットの状態になったのは、後世のことのようである。なお、上記の第一の語釈に続いて『日本国語大辞典』の挙げている、第二の語釈――「(年ごとに春がめぐるところから)年を重ねること。歳月。星霜〔セイソウ〕。また、年齢。よわい」において用いられている、どちらかと言えば、この「青春」という語の消極的な、場合によっては否定的な使い方は、あまり私たちの国では普及せず、むしろ「人生の春に〔、〕たとえられる若い時代。年の〔、〕わかいこと。青年。青年時代」という第三の語釈が、最近の君や僕の、ごく日常の使用に至るまで、定着することになる。

要するに、その意味において「青春」は、この語の積極的(positive=陽極的)な、肯定的な一面ばかりが強調され、その裏側に必然的に、うらぶれた状態で存在し、存在せざるをえない、この語の消極的(negative=陰極的)な、否定的な一面は隠蔽(インペイ)され、忘却され、君や僕の頭の中から、ほとんど見過ごされ、見逃されてしまっている。事実、その傾向が特に、はなはだ顕著であった......と感じられる、昭和三十年代から昭和四十年代、西暦で言えば、1950年代の後半から1970年代の前半に掛けて、この時代を生きた「青春」の当事者たちは、まるで何かに取り憑(つ)かれたかのように、この「青春」の二文字に酔い痴(し)れて、この語を口々に叫び続けては、映画の中にもTVの中にも、あるいは雑誌の中にも、それぞれの「青春」を、追い求めようとしていたのであった。

ただし、このようにして「青春」という語が「異様なほどの輝きを帯びていた」のは、たしかに三浦雅士(みうら・まさし)が『青春の終焉』(2001年、講談社)で述べている通りに、せいぜい1960年代までのことであって、裏を返せば「一九六〇年代を最後に、青春という言葉は〔、〕その輝きを急速に失ってゆく」のであり、突き詰めれば「学生反乱の年として知られる一九六八年、おそらく〔、〕その最後の輝き、爆発するような輝きを残して、この言葉は消えていった」と評しても、間違いではないはずである。なぜなら、このようにして「一九六〇年代、街には青春という語が溢れていた」時期も、そこから次には、この語が「一九七〇年代を〔、〕またぐと同時に、見る見るうちに萎〔しぼ〕んでしまった」時期も、どちらも僕自身は、それ相応に体感することが叶ったからである。

ちなみに、このような「青春」という語の栄枯盛衰を、当時、その名の通りに体現していたのが、1969年にジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)の歌った『青春の光と影』(原題:Both Sides Now)であったことは、きっと衆目――と言うよりも、この時代を生きた「青春」の当事者たちの、多くの目(耳?)の一致する点であったろうし、そこからは数珠(じゅず)繋ぎで、この前年に公開された、同名の映画(原題:Changes)や、こちらにはジュディ・コリンズ(Judy Collins)のヴァージョンが、想い起こされてくるに違いない。そして、そのような「青春の光と影」は、私たちの国でも昭和五十年(1975年)に発売された、荒井由実(あらい・ゆみ)の『あの日にかえりたい』(青春の 後ろ姿を 人は みな 忘れてしまう~♪)あたりを境目にして、にわかに変質を遂げていくことになる。

閑話休題。このようにして振り返ると、実は「青春」という語が私たちの国で、はなはだ長い、1200年余りの慣用語(idiom)としての歴史を持っているにも拘らず、その大半は中国起源(ひいては、中国渡来)の「青春」の受容と、その遵守の歴史であって、そこでは先刻来、僕が君に報告を済ませておいた、あの「人生の春に〔、〕たとえられる若い時代。年の〔、〕わかいこと。青年。青年時代」という第三の語釈は、いたって新しい、近代的な日本語と日本人の中に兆(きざ)した経験であり、その固有の情感であり、体感であったことが理解されよう。しかも、それは再度、三浦雅士の『青春の終焉』の言い回しを借りれば、この語は「小栗風葉が小説『青春』を『読売新聞』に連載しはじめた一九〇五年の段階において〔、〕はじめて、一般に広く流布したにすぎなかった」のである。

この点については、明らかに『日本国語大辞典』も意識的であり、自覚的であって、この「青春」という語の語釈には、普通名詞と固有名詞の、二つの「青春」が並べられている。すなわち、その内の後者が、繰り返すまでもなく、小栗風葉(おぐり・ふうよう)の『靑春』であり、この......文字どおりの「青春小説」の登場によって、まさしく「青春」は日本人の、生活や人生の内部へと浸透し始めることになる。その時点が、ちょうど今から110年前、彼が前年から書き継いできた「春之巻」と「夏之巻」に続いて、最後の「秋之巻」の筆を擱(お)き、これを春陽堂から刊行するに至る、明治三十九年(1906年)の秋(11月)の時点であった。言い換えれば、その時点から数えて、日本の「青春小説」は誕生以来、まるまる今年で満年齢、110歳の長寿(!)を祝うことにもなるのである。

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2017 Wakayama University