ホームメッセージ温故知新について ――「教養」の来た道(19) 天野雅郎

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温故知新について ――「教養」の来た道(19) 天野雅郎

突然ではあるが、そろそろ儒教のことを書きたいなあ……と言おうか、そろそろ儒教のことを書かなくては……と言おうか、そのように思いながらも、うまく切掛(きっかけ)が摑(つか)めず、ついつい先延ばしにしたまま、今に至っているのが正直な話である。が、ちょうど前回の末尾に『論語』の一節――きっと君も、よく知っていたに違いない、例の「温故知新」の一節(為政篇11)を借用する機会を得たので、今回は思い切って、僕は儒教について、筆を執ることにしよう。それに、ちょうど今回は、この一連の文章(「教養」の来た道)の第19回に当たっており、これは折しも、19(ジュウキュウ)と儒教(ジュキョウ)の語呂合わせ(駄洒落?)の響きも心地好く、絶好のチャンスが到来したに違いない、と勝手に決め込んでいる辺りが、僕の持って生まれた、お目出度さである。

ところで、もともと儒教は古代の中国で生まれた、孔子を始祖とする教学、要するに、それは学問でもあり、教育でもあり、ひいては宗教でもあったが、この語の起源は中国では、どうやら司馬遷の『史記』(遊侠伝・魯朱家)にまで遡ることが出来るのに対して、この語が私たちの国で使われ始めたのは、意外に新しく、どうやら中世以降のようである。と言ったのは、ここでも『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の、単なる受け売りに過ぎないけれども、そもそも孔子の『論語』自体は、すでに3世紀から4世紀に掛けての頃、私たちの国にも伝来済みのようであるし、儒教という語を儒学に置き換えれば、その出発点も菅原道真の詩文集(『菅家文草』)にまで辿り着くことになる。と言うことは、この詩文集が醍醐天皇に献上された年(900年)から数えれば、1100年以上も昔の話である。

なお、このような儒教や儒学の始祖を、私たちは一般に孔子(コウシ)と言うが、これは後世の、いわゆる漢音に基づく呼び名であって、もともと呉音では「クシ」や「クジ」と称していたのが、この始祖の最初の呼び名である。ちなみに、彼の生年を一応、紀元前551年か、その前年(552年)とし、その没年を同様に、紀元前479年としておけば、この時代(春秋時代)から前漢の、司馬遷の『史記』までは400年前後の開きがあることになる。また、さらに『古事記』や『日本書紀』の記述を踏まえると、はじめて『論語』が百済(くだら)の和邇(わに)の手で、朝鮮半島から私たちの国に齎(もたら)されたのは応神天皇16年とされているから、これを西暦に直すと285年(もしくは、345年)となって、それは司馬遷の『史記』から、ふたたび400年前後の開きがあったことになる。

このような数字を並べ立てることで、僕は別段、君と一緒になって卒倒し、気を失おうとしている訳では、さらさら無いが、それでも多分、このような時間差は君や僕の生きている、この時代(現代=モダン)の気忙(きぜわ)しい時間軸の中には、うまく納まりが付かず、その意味や価値が、なかなか理解できないのが実情ではなかろうか。何しろ、はじめて私たちの国に『論語』が伝来したのは、孔子の没年から数えて、長ければ820年余りの時間が、短くても760年余りの時間が、それぞれ経過していることになり、このような時間の経過を前にして、私たちには実感が湧かず、口をポカンと開けるのが関の山であろうから。なお、この『論語』も当初は、呉音で「ロンゴ」と読まれていたはずであるが、時代が下るに連れ、これを漢音で「リンギョ」(!)と読んだ時代もあったに違いない。

さて、そのような『論語』の冒頭(第一巻)には、その名の通りの「為政以徳」(政を為すに徳を以てすれば……)で始まる、為政(イセイ)篇(第二篇)が置かれており、そこに収められているのが、例の「温故知新」の一節である。もっとも、この一節は後半部分に、さらに「可以為師」と書かれており、これを一続きにして訓読すれば、それは「故(ふる)きを温(あたた)めて新しきを知る、以(もつ)て師と為(な)す可(べ)し」となるか、あるいは後半部分は「以て師為(た)る可し」と読むか、いずれにしても、ここには人の師(すなわち、教師や師匠)となるべき者の、資格が説かれている。そして、その資格を、孔子は古典(クラシック)の学習と、その習熟に求め、そこに手抜きをし、疎(おろそ)かにしているような師(音読:シ、訓読:せんせい)の存在を、認めない。

このような営みが、そのまま教育の言い換えであり、ひいては、教養の言い換えでもあった点については、この一節の、少しばかり後に置かれている、これまた君には先刻、承知のはずの、例の「学而不思則罔、思而不学則殆」――「学びて思はざれば、則(すなは)ち罔(くら)く、思ひて学ばざれば、則ち殆(あやふ)し」の一節(為政篇15)からも窺い知ることができる。この箇所においても、まず孔子は単なる学習……昨今の流行(はやり)言葉で言えば、単なる「学び」(learning)の無益さを訴え、私たちが学校に通い、本を読み、それどころか、本を読まされ、そこから知識や情報を、さも汲み取っているかのような素振(そぶり)をしているだけでは、私たちは結局、罔(あみ=網)に掛かり、捕えられた、ほとんど動物のような「学び」を繰り返しているのと変わる点がない。

言い換えれば、孔子の訴えているのは今の君や、かつての僕が、ただ教室で机に座り、先生の言ったことや、黒板に書いたことをノートに写し取り、それで勉強をしているかのような心算(つもり)になっている、実に愚かな「学(まな)び癖」に気が付いて、その「真似(まね)び癖」から自分自身の、身(み=実)を引き離す必要がある、という点に他ならない。そして、そのような行為、と言うよりも、むしろ決断を、孔子は文字通りの「思ひ」(thinking)の一語で表現する。その意味において、このような「思ひ」は君や僕を、結果的に動物ではない、動物とは違った、文字通りの人間にしてくれる力(thinking power=思考力)であって、事実、そのような力によって人間は、歴史上、これまで人間になることができたのであるし、これからも、また人間になることができるのである。

このようにして振り返ると、孔子の発言は君や僕の生きている、この時代の、まさしく最新(up-to-date)の問題にコミットしているのではなかろうか、と君が感じ取ってくれるのであれば、とても僕も嬉しいが、よく考えてみると、これは時代の流行の問題であると共に、さらに不易の、いつも変わらぬ問題でもあり、人間の教育と学習の、本質に関わる問題であることも、君は察してくれるに違いない。したがって、君は人が、逆に無闇矢鱈(ムやみヤたら)に、無鉄砲(ムテッポウ)に、徒手空拳(トシュクウケン)を振り回し、自分の独断的で、独善的な「思ひ」に浸っている限りは、何時まで経っても、人は決して勉強をしている状態にまで自分自身を高めることができない、という孔子の発言も、すでに納得済みのはずである。――またもや、大切なのは「温故知新」なんだよね。

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