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青春の発見 ――「教養」の来た道(195) 天野雅郎

今回も本当は、小栗風葉(おぐり・ふうよう)の『靑春』を読む(第八回)と題して、僕は君に、前回の「避妊」(→避妊法、避妊具、避妊薬)の話を、あれこれ続けて聴いて貰(もら)いたい、と思っているのであるが、この「第八回」という回数(number)が、いささか僕には引っ掛かる所があって――これまで君が注意深く、このブログの表題を気に留めてくれていたのであれば、例の「富☆士☆山」の時も「志賀重昻論」の時も、あるいは「山のビブリオグラフィー」の時も「ほほほほ......と笑う人」の時も、ついでに「熊野学事始」の時も、ことごとく僕は「第七回」で話を打ち切って、話自体は宙吊(ちゅうづり=宙釣)にしたままに、いつも決まって「また逢う日まで、逢える時まで、別れの、そのわけは、話したくない~♪」(『また逢う日まで』)を繰り返してきた訳である。

と言う訳で、今回も内実は、あいかわらず小栗風葉の『靑春』論なので(......^^;)あるけれども、よく考えてみると、この「青春小説」と言おうか「妊娠小説」と言おうか、どちらにしても意味深長(pregnant)な、ある何か(あるいは、誰か)が生まれる(gnas)前(prae)の、とても可能性に富んだ――それでいて、とても危険性に満ちた、ゆゆ(斎々→忌々→由々)しい「はらみ」(腹→孕・妊・胎)の時を扱う「小説」(novel=新奇)に対して、なぜ小栗風葉は『靑春』という名を宛がったのであろう。そのこと自体が、この「小説」を読みながら、ずっと僕は気になっていた次第。その意味において、この場で再度、僕は『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の「青春」の語釈に立ち戻り、あの「春の季節。陽春。芳春。青陽」に始まる、この語の意味深長ぶりを振り返っておきたい。

と言ったのは、これが遡ると「五行思想で、中国において、青色を春に配するところから」導き出された、この「青春」という語の本来の、第一の意味であって、そこから派生的に、この語には「(年ごとに春がめぐるところから)年を重ねること。歳月。星霜〔セイソウ〕。また、年齢。よわい」という第二の意味と、さらに「人生の春に〔、〕たとえられる若い時代。年の〔、〕わかいこと。青年。青年時代」という第三の意味が生じ、この内の、第三の積極的(positive=陽極的)な意味ばかりが私たちの国では好まれ、その裏側に必然的に、うらぶれた状態で存在し、存在せざるをえない、第二の消極的(negative=陰極的)な意味は、逆に私たちの国では隠蔽され、忘却され、君や僕の頭の中から、ほとんど見過ごされ、見逃されてしまっている......と僕は以前、君に伝えておいたはず。

でも、このようにして小栗風葉の、この『靑春』という「小説」を読み続ける中で、このような理解の仕方は本当に、はたして妥当であったのか知らん、と僕自身が思い始めているのであるから、困った話である。が、このようにして何度か、ある一冊の本を読み返す内に、その本の姿や形や、風貌が違ったものに見えてきて、そのメッセージ(message=送り届けられたもの)が異なった言伝(ことつて→ことづて)であるかのように受け取り直されるのは、しばしば惹き起こされうる事態であって、そのこと自体が端的に言えば、本を読む(すなわち、読書)という行為の、いわゆる醍醐味でもあったに違いない。その点に即して言えば、ただ本は一度だけ読まれている限りは、ほとんど(それとも、まったく)その本との出会いは、果たされていない、と評さざるをえないのかも知れないね。

ともかく、僕が目下、いちばん気になっているのは、もともと「青春」が『日本国語大辞典』の語釈の通りに、青い春の「季節」の意味であり、それが暦(こよみ=日読)の上では、当然ながら、春を指し示す語であった点である。――とは言っても、実に頭の天辺(てっぺん)から足の爪先(つまさき)まで、徹頭徹尾、今風(いまふう)の君には、よく事情が分からないと困るから、ここでも『日本国語大辞典』を引いて、そもそも春とは何か(!)を説明しておくと、そこには春が、いわゆる「旧暦では一、二、三月をいう」語であることが、まず書かれていて、それが「二十四節気では立春から立夏の前日までをいう」語でもあれば、さらに「(旧暦では立春と新年が〔、〕ほぼ同じであるところから)特に、新年。正月。新春。初春(はつはる)」の意味であったことが述べられている。

要するに、このようにして春(訓読→はる、音読→シュン)は、君や僕が昨今のカレンダー(すなわち、新暦)を使い出し、そこに「三、四、五月」(同上)を、あたりまえのように宛がうようになる前には、きわめて違う印象やイメージを伴っていたのであって、そのようなイメージは現在でも、例えば年賀状の挨拶文の中に、あるいは旧正月の諸行事の中に、細々(ほそぼそ)とした形で生き長らえている訳である。と言うことは、このような新暦と旧暦の切り替えが起こり、その名の通りの「改暦」(1872年12月3日→1873年1月1日)という突発時が生じる前には、まったく春は異なる姿や形をして、日本人の目や耳に、捉えられていたはずであるし、そのような習慣は簡単に、それほど容易に日本人の中から、綺麗(キレイ)さっぱりと抜け落ちてしまった訳でも、なさそうである。

と、このようなことを目下、僕が君に伝えているのは、つい先日、僕は「青春の発見」と題された、いかにも厳(いか)めしい『國文学』(1979年、學燈社)という雑誌のページを捲(めく)っていて、その冒頭に、辻邦生(つじ・くにお)と小塩節(おしお・たかし)の対談(「青春のとき」)が掲載されていたのを幸い、それを読み始めると、そこに島崎藤村(しまざき・とうそん)が『春』(明治四十一年→1908年)の筆を執(と)った際のエピソード(episode=挿話的出来事)が紹介されていて、なるほど、と膝を打ったからである。すなわち、この段階(要するに、ほぼ今から100年前)に至っても、いまだに日本文学は「春」と英語の「スプリング」(spring)を等価物(equivalent=同義語)として結び付け、重ね合わせることに困惑し、困窮していたのが実情のようなのである。

 

 たとえば藤村の場合には、〈春〉という言葉がスプリングという言葉と等価なものとして感じられるまでには、自分の中で非常な苦闘があった〔、〕といいますね。というのは〈春〉というのは古来〔、〕江戸までの文学では新春、早春の意味ですからね。梅よりも前です。しかし藤村などが〈春〉という言葉で言いたいところは四月ですね。そうなると〔、〕その〈春〉というのが〔、〕ほんとうに〈春〉というふうに定着するには、自分の中でヨーロッパ文学を勉強しながら、かつ日本語として〈春〉が四月であるということが......。

小塩 〈春〉を理想としながらも新体詩で〔、〕まず新しい世界の内容と形式とを確立して、それから小説へ行ったんですね。詩のほうが〔、〕やっぱり青春のもので、小説というのは〔、〕かなり高度に洗練されないと出てこない形式ですね。

 ほんとに〔、〕そうだと思いますね。ですから〔、〕これは主題は青春であるけれども、書き手のほうは相当成熟した、技法的にも内容的にも自由に小説世界を扱える人でなければならない〔、〕ということになると思います。

 

ましてや、それが当時の、一般の日本人であれば......いかがであったろう、と言うのが僕の、いたって素朴な疑問である。ちなみに、このようにして『春』を「苦闘」の末に書き上げた、島崎藤村は折しも、私たちの国の「改暦」の年(明治五年→1872年)に生まれているから、小栗風葉よりも三歳、年長であるけれども、結果的に『春』よりも早く、逆に三年前に『靑春』の筆を執り始め――言ってみれば、それ自体が「青春」の行為とも見なされかねない、小栗風葉にとっての「青春の発見」とは、どのような事態を指し示していたのであろう。そのことが、うまく理解できないと、いつまで経っても『靑春』は、この作家が日本文学の近代化(modernization=westernization)に際して遺した、せいぜい挫折や頓挫の一里塚として、その名を文学史上に留めるに過ぎないのは、必定である。

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