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初恋について ――「教養」の来た道(2) 天野雅郎

今回、この一連の文章(「教養」の来た道)を書くに当たり、あれこれ表題を考え、思いを巡らせた挙句(あげく)――という、この「あげく」の一語を引き合いに出すだけでも、優(ゆう)に日本の「芸能」の歴史を振り返り、そこから和歌や連歌や、相撲や神楽や、猿楽や能や、生け花や茶の湯や、狂言や俳諧や、浄瑠璃や歌舞伎や、そして、その「挙句の果て」には落語や漫才に至るまで、これらの成り立ちを、この「あげく」の一語で説き起こすことができるのは驚き以外の何物でもないが、昨今、不知不識(しらずしらず)に僕の心(スピリット)にインスピレーションを与え、大袈裟(おおげさ)に言えば、そこに「命の息」(『創世記』)を吹き込んでくれていたのは、映画である。――「そこで人(アダム)は生きる者となった」(同上)。

と言えば、その映画の表題が『初恋のきた道』であり、張藝謀(チャン・イーモウ)の監督した、1999年の中国映画であったことに気が付いてくれる君は、やはり僕と同類の、映画好きの一人であろうか。もっとも、この映画が日本で公開されたのは翌年のことであり、ちょうど20世紀の最後の年(2000年)の、その最後の月(12月)であったから、ひょっとすると君は小学校の、まだ低学年の頃であったか、それとも、これから小学校に入るのを間近に控えた、幼稚園児や保育園児であったのかも知れない。そうなると、この映画(シネマ)を、きっと君はTVやDVDを通じて、別の媒体(メディア)を介して追体験したことになり、その点では僕と違った、かなり異質な体験をしたことになるが、それは残念ではあっても、致し方の無い次第であろう。

ただし、これから僕が君に語りたいのは、この映画の内容、すなわち、この映画の物語(ストーリー)ではなく、この映画の表題、それも、原題の話である。実は、この映画は日本語で『初恋のきた道』と訳され、と言うよりも、まったく原題とは違う、別の日本語に置き換えられており、多分、その置き換えの先駆けは英語名(The Road Home)にあり、この英語名にヒントを得て、日本語の表題も導き出されたのであろうが、もともと中国語の原題は『我的父親母親』であり、そのまま訳せば「私の父親(フーチン)と母親(ムーチン)」(要するに「私の両親」)となり、かなり日本語の表題とは違った印象を与えるものとならざるをえない。ちなみに、この点は同じ張藝謀の、この映画の直前の監督作品(『あの子を探して』)にも当て嵌まる。

こちらの原題は『一個都不能少』であり、これに日本語を宛がうとなると、例えば「一人少なくても駄目」といった辺りであろうから、このような言い回しは結果的に、英語名(Not One Less)には置き換えが可能であっても、ほとんど日本語の表題には置き換えが不能であり、その意味においては『あの子を探して』も、また『初恋のきた道』も、悪戦苦闘の成果であったには違いない。が、それでは同じ張藝謀の、この二作と並んで「幸せ三部作」と称される『至福のとき』が、ほぼ原題(『幸福時光』)の通りの翻訳でありながら、はたして適切な翻訳と見做しうるのであろうか、と問えば、むしろ事態は逆であり、この映画の英語名(Happy Time)とは違い、日本語の表題は意外にも、中国語としては通用しない、はなはだ日本的なものであったことが分かる。

なお、この『至福のとき』には先日(2012年10月11日)、中国籍の小説家としては最初の「ノーベル文学賞」の受賞者となって話題になった、莫言(モー・イェン)の原作があり、その原作は日本語でも、すでに同名の表題で翻訳され、刊行されているけれども(吉田富夫訳、2002年、平凡社)、その原作の表題は『師傳越来越幽黙』であり、これを日本語に置き換えると、かなり砕けた言い回し――例えば「師匠、ユーモア(幽黙)がキツイですよ」とならざるをえず、これでは映画の表題(『至福のとき』)と、まったく不釣り合いなものになってしまう。序(ついで)に、強いて個人的な蛇足を加えるとすれば、この映画が「幸せ三部作」の中では一番、見劣りのする映画であったことも告白せざるをえないが、この点については「言う莫(なか)れ」。

――と、このようにして映画の話題を持ち出しながら、ややこしい話を続けてきたが、このような煩わしい、面倒な作業が、映画の話をする時には必要になることも、ぜひ君には知っておいて欲しいことの一つであるけれども、それと並んで、やはり今回も僕自身が気になって仕方が無いのは、例の日本語の壁であり、それは端的に「初恋」……と書くよりも、ここでは「初戀」という旧字体を使って、書きたい所であるが、そもそも「初恋」は日本語の中で、何時、誰によって使い始められた語なのであろう、という点である。この点については、残念ながら『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引いても、前回のように参考になる記述は見当たらず、この語が精々、江戸時代の浮世草子(『小夜衣』1683年)に用いられていることを、確認できる程度である。

この点は、例えば京都の島原(「遊里」)の俳人、不夜庵(ふやあん)こと炭大祇(たん・たいぎ)の俳諧(「初恋や/灯籠(とうろう)に寄する/顔と顔」)でも確認できるから、すでに江戸時代の前期から中期の頃には、この語が普通に罷(まか)り通る語であったことは、疑いが無い。ただし、この語の用例が『日本国語大辞典』の場合には、その直後に有島武郎の『或る女』(1919年)にまで飛んでおり、その時間差たるや、厳密に数えれば236年にもなる。が、その間には君も、例えば島崎藤村の『若菜集』(1897年)の中の、あの有名な「初恋」の詩を想い起こしてくれるであろうし、そこに国木田独歩の『初恋』(1900年)を付け足すこともできれば、そこから下って、さらにツルゲーネフの『初恋』の翻訳が産み出されるまでの距離も、それほど遠くないはずである。

このようにして振り返ると、実は前回、君に伝えておいた、いわゆる「教養」という語の流行と、この「初恋」という語の流行は、ほぼ同時期の出来事であったことが分かり、それどころか、ひょっとすると両者は表裏一体の、まったく同じ種――「人の心」(『古今和歌集』仮名序)から芽を吹いて、やがて「万(よろづ)の言の葉」(同上)となったものに他ならないのではなかろうか、という興味深い推測も生まれ、その推測を前にして、今の僕は堪(たま)らなく嬉しく、その嬉しさの余りに、ついつい村下孝蔵の『初恋』(1983年)を口遊(くちずさ)みたくなってしまったほどである。「五月雨(さみだれ)は緑色/悲しくさせたよ、一人の午後は/恋をして、淋しくて/届かぬ想いを暖めていた/好きだよと言えずに、初恋は……」

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