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コンフューシャニズムについて ――「教養」の来た道(20) 天野雅郎

前回は儒教を話題にして、やおら孔子のことや『論語』のことを、僕は書き始めたが、そもそも儒教は中国では、儒家や儒家思想と呼ばれているし、この語の方が、私たちの国へと伝来した時期も早く、すでに平安時代の最初期(818年)の漢詩集(『文華秀麗集』)には登場済みである。また、このような儒家や儒教や儒学のことを、例えば英語ではConfucianism(コンフューシャニズム)と称するが、これは実は、もともと孔子のことをラテン語でConfucius(コンフシウス)と呼び慣わし、そのまま「孔夫子」の音訳として用いてきたことに由来するものであり、遡れば17世紀の後半には、この表記(もしくは、Confutiusという表記)で、孔子が当時のヨーロッパ(すなわち、キリスト教世界)には広く、よく知られた人物であったことも、君には押さえておいて欲しい点である。

ちなみに、僕の目の前には今、トーマス&ドロシー・フーブラーというアメリカ人夫妻の書いた、まさしくConfucianismという本の日本語訳(1994年、青土社)が置かれているけれども、この本(鈴木博訳『儒教』)の冒頭には「今日、儒教徒を自称する人は全世界に約六百万人おり、その大半はアジア、特に東アジアで暮らしている」という一文が据えられている。……何だ、600万人か、と君は感じた側であろうか? それとも、それは単に「儒教徒を自称する人」の数に過ぎず、この数は見方を変えれば、10倍にも100倍にも、それどころか、それ以上に膨れ上がることに気が付いた側であろうか?無論、正解は後者である。何しろ、そこには二千年以上に及んで、この宗教を政治や経済を始めとする、社会の様々な場面に、その隅々にまで行き渡らせた、中国が控えているのであるから。

要するに、現在の中国(すなわち、中華人民共和国)の人口を、13億とするか、15億とするか、17億とするか、いずれにしても、その総人口の相当数の、生活と人生の中にまで深く入り込み、浸透しているのが、他ならぬ儒教であることを、とりあえず君は理解する必要がある。そして、それは台湾であろうと朝鮮半島であろうと、シンガポールであろうとヴェトナムであろうと、そして現在、君や僕の暮らしている、この日本(!)であろうと、基本的に変わらない状況にあり、その意味においては、このアジア(Asia)という場所を外部から、他者として、文字通りに「日の昇る地」と呼んだ人々の目線(いわゆる、オリエンタリズム)で眺めれば、この場所を包括し、特徴づけ、場合によっては差別化をする目安の最たるものは、例えば仏教よりも、むしろ儒教なのではなかろうか。

理由は簡単で、いくら仏教がキリスト教とイスラム教(イスラーム)と並んで、世界の「三大宗教」(これって、誰が決めたの……?)と言われはしても、その信者数は一般に、3億6千万人程度に留まるのであって、これはキリスト教徒の20億人、イスラム教徒の13億人と比べれば、はるかに規模の小さい、はなはだ勢力の弱い宗教である、と見なさざるをえないからである。――とすれば、このような「世界宗教」(world religion)の仲間(と言うよりも、ライヴァル)に、どうして儒教が入り込んでこないのか、君は不審に感じたことはなかったであろうか?その点では、例えばヒンドゥー教が推定、約9億人の信者数を抱えているにも拘らず、現時点では多分、このインドで生まれた、インダス川流域の宗教を、私たちが決して「世界宗教」に数え上げないのと、よく事情は似ている。

もっとも、君はキリスト教がイエス・キリストを、イスラム教がアラー(アッラーフ)を、それぞれ唯一絶対の神として崇め、これを信仰の対象とするのとは違い、儒教にもヒンドゥー教にも、そのような特定の「神」が存在してはいない以上、儒教やヒンドゥー教は「宗教」ではなく、せいぜい民族的(あるいは、民俗的)な生活習慣であり、伝統儀礼である、と決め付けてはいないであろうか?仮に君が、そのようなカチカチの、ガチガチの宗教観を持っているのであれば、とても僕は残念であるけれども、君や僕が結果的に、このような民族宗教や民俗宗教、あるいは生活宗教という名で呼ばれる、はなはだ日本的な、神道や仏教や儒教との付き合いを続け、そのような付き合いの中から、これまた日本的な、社会や文化や歴史を築き上げ、今に至っている点は忘れるべきではない。

ところで、そもそも孔子(あるいは、孔夫子)という呼び方は、言うまでもなく、この人物の尊称であり、もともと彼の諱(いみな=実名)は丘(キュウ)であり、字(あざな=通称)は仲尼(チュウジ)であったので、そもそも孔子の姓名(フル・ネーム)は孔丘(コウ・キュウ)となり、これを乱(みだ)りに、直(じか)に使うことを避け、文字通りの「忌み名」として用いる際には、孔仲尼(コウ・チュウジ)と呼ぶのが、中国における慣例である。なお、この内の後者に宛がわれている、仲尼の尼(漢音:ジ、呉音:ニ)は、これを訓読すると「あま」になり、尼僧を指し示すことにもなり兼ねない。――とすれば、君が孔子のことを尼僧と思い、いわゆる比丘尼(ビクニ)であったと勘違いをする危険性も、決して皆無では無かろうから、一応、僕は君に、注意だけはしておこう。

ただし、このような注意は半ば、冗談では済まされない面もあって、例えば中国に限らず、私たちの国でも遣隋使となり、はじめて隋に渡った小野妹子(おの・の・いもこ)のことを、女性と思い、言ってみれば、女性の外務大臣と勘違いをしていた話……等々は、はるかに笑い話の頻度を超えている。そのような時、君が試しに白川静の『字統』(1984年、平凡社)を引けば、そこには子(音読:シ、訓読:こ)が、元来は「特定身分の王子たることを示す」字であり、これを尊称として使う用法も、そこから導き出されたものに他ならない点を、君は理解することになるし、それが君の「転ばぬ先の杖」ともなれば、さらに子が「王子の称であったことは、卜辞に子某と称する六・七十名のものが、すべて殷の王子・王族であることからも知られる」と、その証拠を押さえることも出来る。

おまけに、続けて白川静の『字統』によると、漢字の「尼を僧尼の字に用いる」のは、この字の「最も不適当な使いかたをしたもの」であり、この字は「人が二人前後にもたれあう形」を示し、露骨に言えば、男女が「二人相接する形」を象ったものであり、それが男女の、どのような姿を象っていたのかは、君にも察しが付くはずである。したがって、例えば孔子の字(あざな)の仲尼にしても、これは「孔子の母が尼山(じざん)に祈って生れたので、その尼と山とを丘と仲尼とに分ったものとするほかなく、この伝承には史実性があるとすべきである」と記されている。そして、その当時、すでに70歳(!)を過ぎていた孔子の父(孔紇、コウ・コツ)が、いまだ16歳の孔子の母(顔徴在、ガン・チョウザイ)と「野合」(フリー・セックス)をして生まれたのが、何と、孔子であった。

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