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提灯文明論 ――「教養」の来た道(206) 天野雅郎

この所、ふと気が付くと、僕は君に続けて、いろいろ照明具(light=発光体)の話を聴いて貰(もら)っている。最初が、いわゆる提灯行列の「提灯」(ちょうちん)で、その後が前回の、岡本綺堂(おかもと・きどう)の『ランプの下にて』に因(ちな)んだ「ランプ」であり、実は次回以降も、さらに性(ショウ)懲(こ)りもなく(......^^;)今度は「行灯」(あんどん)の話でもしようかな、と僕は考えている始末。――と、このようにして並べてみると、いずれの照明具も名前からして、きわめて異国風の、まさしくエキゾチック(exotic=外来的)なものであったことが分かるのであるが、そのような理解も残念ながら、おそらく昨今の日本人には常識の範囲を超えているであろうし、むしろ逆に、これらの照明具に日本人は、ある種の「郷愁」をも呼び起こしかねない有り様である。

とは言っても、その「郷愁」(キョウシュウ)という語自体が日本人には、もともと外来語なのであるから、話は面倒(メンドウ)である。この点については、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「郷愁」の語を引くと、そこには一番目に「異郷にいて、故郷を懐かしく思う気持。懐郷の想い。ノスタルジア」という語釈が置かれていて、その用例には、あの「水戸黄門」こと徳川光圀(とくがわ・みつくに)の遺文集(『常山文集』享保三年→1718年)が挙げられている。と言うことは、この語は元来、中国語であって、それが漢詩文を通じて私たちの国に輸入され、そして明治時代以降、この語は今度は英語の「ノスタルジア」(nostalgia→ギリシア語→nostos〔帰郷〕+algos〔苦痛〕)の翻訳語となり、言ってみれば、君や僕には二重の意味で外来語であったことになる。

事実、この後に『日本国語大辞典』の語釈には、さらに二番目に「昔のことを懐かしく思ったり、ひかれたりする気持」と述べられていて、この語が中国の唐代(8世紀)の詩人の、岑参(シン・シン)の漢詩(宿関西客舎寄厳詳二山人詩)に由来する語であったことが分かる。また、その用例に挙げられているのは、横光利一(よこみつ・りいち)の『上海』(昭和三年→1928年)であったし、ここに彼の『旅愁』(昭和十二年→1937年)や、あるいは、ヘルマン・ヘッセの『郷愁』(原題:Peter Camenzind→『ペーター・カーメンチント』)を付け加えれば、この「郷愁」という語が日本語(すなわち、日本人)の中に浸透していった経緯も、ある程度まで窺い知ることが出来て、興味は尽きない。なお、その『郷愁』の最初の邦訳は、昭和十四年(1939年)であり、まったく同時期に当たる。

さて、このようにして振り返ると、かつては「提灯」であれ「ランプ」であれ、これらの照明具が私たちの目に、今では信じられない眩(まばゆ=目映)さを伴って、蠱惑(コワク)的に光り輝いていた時期があり、そこから次第に、これらの照明具は眩(まぶ)しい視線の対象から、ありふれた、何とも陳腐な視線の向かう先へと姿を変えて、とうとう最後には、その名の通りの「郷愁」の対象となり......戻りたくても戻れない、ある種の苦痛すら、そこに表現するものとなりえた訳である。――とは言っても、いつの時代にも人間は、このようにして人(すなわち、者)であれ物であれ、すべての「もの」と関(かか=係・拘)わり合い、その「かかわり」の中で、それらの「もの」に慣(な=馴・狎)れ、親しみ、飽(あ=倦・厭)き、やがて退屈と怠慢に陥るのが、常ではあったけれども。

言い換えれば、このようにして「提灯」にしても、あるいは「ランプ」にしても、これらの照明具が元来、飛び切りの「文明の利器」として、私たちの国に輸入されたものであったことを、君や僕は踏まえておく必要がある。そして、その輸入の都度、これらの舶来品(=船で来た品→foreign goods, imported goods)は日本人の目の前に、あたかも外国を彷彿(ホウフツ=髣髴)とさせ......そこに外国が、まるで姿を現(あらわ=露・顕)したかのような目新しさや、文字どおりの物珍しさを、提供するものであった訳である。前回、そのことを「ランプ」を通じて、いささか僕は君に伝えておいた次第。でも、ひょっとすると君には、これらの照明具の蠱惑的な姿を、どうにか「ランプ」に宛がうことは出来ても、それを「提灯」に対して宛がうことは、至難の業であったのではなかろうか。

と言ったのは、おそらく君が「ランプ」以上に、まったく「提灯」に興味を示さない可能性は、いたって強く、それならば僕の、今回の話も「提灯に釣鐘」の状態で、いっこうに功を奏さないことになるであろう。が、例えば江戸時代には、このようにして「提灯」を使った、粋な言い回しも登場していたのであって、もともと「提灯」は「忍び会いの明かりから」生まれた(!)という説まで、僕の手許の「生活史事典」(樋口清之監修『起源のナゾ』1980年、光文書院)には述べられているから、ご一読を。――「後堀河天皇の御代(一三世紀はじめ)、京都西山の〔、〕けいかい律師(りっし)という僧が、三井寺(園城寺)の梅若という稚児(ちご)に恋をした。この二人が夜忍び会うときの明かりとして、薄い綾布の中にホタルを入れて使ったのが、ちょうちん(提灯)のはじめとか」。

まあ、この手の起源譚を、どこまで君が信用するのかは......君の自由であるけれども、そもそも「提灯」が「室町時代、禅寺によって広められたとされている」(秋山忠彌『ヴィジュアル〈もの〉と日本人の文化誌』1997年、雄山閣出版)のは事実であって、それは「提灯」(もしくは、挑灯)という語が、もともと中国から白居易(ハク・キョイ→白楽天)の『長恨歌』の言い回し(孤燈挑盡未成眠→孤燈、挑〔かか〕げ盡〔つ〕くして、未〔いま〕だ眠りを成さず)あたりを介して、私たちの国に受け容れられ、そこから次第に現在の、携帯用の照明具に姿を変えたのは、この「提灯」という語が漢字の、いわゆる宋音(ソウオン)や唐音(トウオン)であった点からも窺われうる。要するに、この語の輸入者でもあれば、媒介者ともなったのは、日本の中世の、禅宗の僧侶であった訳である。

そして、そこから形態上、この照明具は籠(かご)型のもの(=籠提灯)や、あるいは箱型のもの(=箱提灯)に、分化を遂げていくことになるのであるが、この分化の過程は最終的に、この照明具が携帯用(portable=移動可能状態)のものであったことから、これを折り畳んで、持ち運べるのかどうかが重要な要素にならざるをえない。そこから産み出されたのが、例の「小田原提灯」であり、これは「ぶらちょうちんの一種。折りたたみできる円筒状のもの。天文年間(一五三二-五五)小田原の甚左衛門という者が創始したという。おだわら」と、これまた『日本国語大辞典』には述べられている。――とは言っても、その「小田原提灯」が旅(たび)提灯や懐(ふところ)提灯と呼ばれ、江戸時代の粋な男女の足元を照らす、ほのかな明かりであった頃は、とうの昔に闇の中であるが。

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