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長人(超人?)伝説 ――「教養」の来た道(21) 天野雅郎

孔子の伝記の最古のものは、司馬遷の『史記』である。今、その邦訳(岩波文庫『史記世家』)が全3冊で、僕の目の前には置かれており、その内の中巻に、孔子の伝記(第十七巻「孔子世家」)は収められている。が、この文庫本は目下、品切れの状態で、どうやら入手が困難のようであるから、あくまで君が孔子の伝記を新本で読みたいのであれば、ちくま学芸文庫版か、明治書院(新書漢文大系)版か、いずれにしても、全2冊の『史記世家』が出版されているので、ぜひとも手に取って、見て欲しい。もっとも、このような現代語訳では満足できず、さらに君が原文(すなわち、漢文)の『史記世家』を味わいたいのであれば、その際には図書館で、明治書院の新釈漢文大系を借りると、そこには訳文も訳注も、書き下し文も含めて、より濃密な、孔子の伝記との出会いが待っている。

さて、このようにして前々回から、僕が君に孔子のことで、知った風な口を利(き)くことが出来るのも、それは遡れば、司馬遷の『史記』の御蔭(おかげ)であり、それ以外の何物でもない。けれども、すでに君に伝えておいたように、実は孔子の生きていた時代と司馬遷の生きていた時代との間には、おおよそ400年もの開きがあり、例えば僕が、ちょうど今から400年前(1613年)――日本の年号で言えば、慶長18年、仙台藩主の伊達正宗(「独眼龍」)が、家臣の支倉常長(はせくら・つねなが)等を遣欧使節としてヨーロッパに派遣した……といった話を君にしたとして、その話を君が、どこまで真に受けてくれるのかは、僕の話し振りに拠るのか、それとも、その話の辻褄(つじつま)に拠るのか、いずれにしても、かなり曖昧模糊としたものであることだけは、やはり疑いがない。

そのことを踏まえた上で、僕は今回も孔子の伝記(biography=生命の記録)の中から、興味深い逸話(anecdote=秘密の物語)を君に伝えよう。例えば、君は孔子の身長が、司馬遷の『史記』によると「九尺六寸」に上り、これは現在の2メートル近いとも、それどころか、何と220センチ(!)にも達すると言われており、そのために彼は「長人」と称され、周囲から異様な目で見られていたことを、知っていたであろうか?実際、彼の故郷である魯(ろ)の国は、今の中国では山東省に当たっているけれども、この場所は昔から、音に聞こえた大男(「山東大漢」)の産地(?)として、有名な場所であった。なお、この山東省と目下、友好省県の関係にあるのが、他ならぬ和歌山県であり、また、山東省の省都の済南(さいなん、ジーナン)市は、和歌山市と友好都市の縁組も結んでいる。

ちなみに、山東省の山東(さんとう、シャントン)とは、もともと太行(たいこう、タイハン)山脈の東の意味であり、逆に、その西に位置しているのが山西(さんせい、シャンシー)省であったが、やはり私たちには、山東省に聳え立つ山(訓読:やま)と言ったら、かつて中国の歴代の皇帝が、いわゆる封禅(ほうぜん)の儀式を執り行ない、天と地に祈りを捧げた、泰山(たいざん、タイシャン)の方が、はるかに知名度は高いはずである。事実、この泰山が転じて大山(たいざん)となり、ここから私たちの国でも、例えば僕の郷里(島根県)の隣の鳥取県に聳え立っている、文字通りの大山(だいせん)の名も生まれてきたに違いない。もっとも、この山の名を「だいせん」と読むのは、あくまで呉音であり、これを漢音で読めば「たいざん」となるのが、この語の音読の順序である。

と言ったのも、もともと日本が古く、遣隋使や遣唐使と称される、国家使節を中国へと送っていた頃、そのコースは元来、北路を辿っており、日本の九州(筑紫)から、朝鮮半島の百済(くだら)を経て、黄海――まさしく、黄河の運んだ黄土によって黄濁した、その名の通りの黄色い海(Yellow Sea)を横切って、一行は山東半島に上陸し、そこから陸路で中国の都……隋の時代には大興(だいこう)と呼ばれ、唐の時代には長安(ちょうあん)と呼ばれ、現在では陝西(せんせい、シャンシー)省の省都となり、西安(せいあん、シーアン)と呼ばれている、この目的地を目指して、長い、長い旅を続けた次第である。したがって、例えば前回、話題にした小野妹子も、当然、このコースを辿って、当時の日本の摂政(聖徳太子)の、したためた国書を、隋の煬帝の許へと届けたことになる。

裏を返せば、このコース(すなわち、北路)を辿ることが叶わなくなってから、今の私たちにも周知の、あの、遣唐使の悲惨な、苦難の旅は始まったことになる。子細に言えば、彼らが北路から南路へとコースを変え、いまだ船自体も、航海術も、幼稚の域を脱しえなかった頃、一気呵成に東シナ海を横断し、今度は黄河ではなく、揚子江の沿岸地帯を目指すことは、文字通りに命懸けの、危険この上ない行為であった。しかも、その背景には困ったことに、日本と朝鮮半島との間のギクシャクした関係があり、いわゆる白村江(はくすきのえ、はくそんこう)の戦いの後、新羅(しらぎ)が朝鮮半島を統一したことで、この関係は一層、険悪なものとなる。言い換えれば、このような国際関係の軋(きしみ)の中から、皮肉にも「日本」という国は、その産声を上げることにもなったのである。

ところで、僕の手には今、三年ばかり前に中国で買い求めた――と言うよりも、僕の女房が何を血迷ったか、済南市の観光地(趵突泉公園)で買い求めた、孔子のキーホルダー(この語が和製英語であったのは、ご存知?)が握られているけれども、この、金色に輝く、いかにも中国風(失敬)のキーホルダーには、孔子の漢語名と並んで、しっかり英語名(CONFUCIUS)も刻まれている。そして、その二つの名の間には、まさしく「長人」と噂をされたに相応しい、立派な体格をした、孔子の姿が浮き彫りになっている。どうやら、この長身ぶりは前回、名前を挙げた孔子の父(孔紇、コウ・コツ)から受け継いだ、文字通りの「父親譲り」の特徴であったらしく、孔子の父は当時、幾つかの戦争で武勲を立てた、かなり勇猛果敢な、それでいて、かなり冷静沈着な、武人であったようである。

この点については、孔子と同じ国(魯)で、同じ時代(春秋)を生き、孔子の弟子であったとされている、左丘明の『春秋左氏伝』が典拠となる。とは言っても、この場で今、僕が左丘明の『春秋左氏伝』を繙(ひもと)いている訳では、さらさら無く、もっぱら僕は孔子の生涯を描いた、何冊かの本(下記)を並べ、そのページをパラパラと、めくっているに過ぎない。その意味において、僕は単に孫引きをしているのであって、君には恐縮の限りであるが、このような読書も時によっては、予想外の収穫に恵まれることがあり、例えば今回、僕は自分の生まれる前に出版され、かつて僕が大学生であった頃、きっと手に取ったまま、放り出していたに違いない、貝塚茂樹の『孔子』の面白さを再発見、と言うよりも、新発見をして、いささか晴れ晴れとした、浮き浮きとした気分である。

 

貝塚茂樹『孔子』(1951年、岩波新書)♥♥♥

内野熊一郎・西村文夫・鈴木總一『孔子』(1969年、清水書院 Century Books)♥

白川静『孔子伝』(1972年、中央公論社→2003年、中公文庫)♥♥♥

金谷治『孔子』(1980年、講談社→1990年、講談社学術文庫)♥♥

加地伸行『孔子』(1984年、集英社→1991年、集英社文庫)♥♥♥

蜂屋邦夫『孔子』(1997年、講談社現代新書)♥♥

 

(注)♥マークは、僕の個人的な愛好度―― ♥(1ハート)から ♥♥♥(3ハート)までを表示しているので、ご参考までに。

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