ホームメッセージ人類の教師 ――「教養」の来た道(22) 天野雅郎

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人類の教師 ――「教養」の来た道(22) 天野雅郎

前回の末尾で、僕が君に紹介をした本が、実は上から順に、1950年代の孔子論、1960年代の孔子論、1970年代の孔子論、そして、1980年代の孔子論が2冊、最後に1990年代の孔子論が並んでいたことに、君は気が付いてくれたであろうか?別段、気が付いてくれなくても、いっこうに構わないけれども、このようにして20世紀の後半に出版された、10年刻みの孔子論を並べるだけでも、そこには当時の社会や世相を反映した、それぞれの孔子論の特徴が浮かび上がってくるのであるから面白い。それに、僕が君に紹介をした本は、目下、すべての本が文庫か新書で入手の可能な状態にあり、できるだけ君が手軽に、廉価で――例えば、君が今日の朝御飯か昼御飯か、あるいは「おやつ」を抜くだけで、買える程度の本を選んでおいたから、後は君の、言ってみれば、決断と選択の問題である。

ちなみに、僕自身は大学生の頃、必ず本を一日に一冊は読む、という誓い(!)を立てていた時期があり、その誓いを果たすべく、食事を抜いたり、パンの耳ばかりを齧(かじ)ったり、賞味(消費?)期限の過ぎたインスタント・ラーメンを箱で買い、これを喉に流し込んだり……と、このような食べ物に纏(まつ)わる武勇伝には、事を欠かないけれども、その代わりに、と言っては語弊があるが、夜ごと夜ごと、学生街の寿司屋の暖簾(のれん)を潜(くぐ)ることだけは止めず、その結果、節約に励んでいるのか、いないのか、よく分からない日々を送りながら、このような短期的で、決して長くは続くはずのない、実にチグハグな読書体験を積み上げた末に、どうにかこうにか、本を読む習慣が身に付いたり、本を読むことの楽しさを、知ることが出来るようになったりした次第である。

ところで、僕が前回、君に紹介をした本の中には、その一覧表(リスト)に、20世紀の前半に出版された孔子論と、21世紀(要するに、この10年余りの間)に出版された孔子論が、まるで含まれてはいなかったけれども、これは単に、後者であれば該当する本、すなわち、君が手軽に、廉価で買える本が僕の手許(「天野図書館」)には見当たらなかったのと、前者であれば、それが今回、僕が君に紹介をしたい本以外の、何物でもなかったからである。――と言う訳で、これから僕は20世紀の前半に出版された、君も僕も、まだ生まれてはいなかった頃の孔子論に、話を移すが、そのような孔子論が時代遅れの、古臭い、今の時代を生きる君には、まったく役に立たない孔子論であるかのように思うのは、実に大きな思い違いであることを、まず僕は、君に伝えておかなくてはならない。

ただし、これから僕が君に紹介をする本は、さしあたり君の目には時代遅れの、まさしくオールド・ファッション(正しくは、英語のold-fashioned)の、権化(ごんげ)のように見えるのかも知れない。何しろ、この本の冒頭は「人類の教師」という章で始まっており、そこには4人の「人類の教師」の名が連ねられているのであるから。……と、僕が書いた時点で、意外にも君が、この本を知っており、この本の挙げている「人類の教師」の名を、スラスラと答えることが出来るのであれば、ひょっとすると君は、僕と同類の古風な、昔ながらの趣味や嗜好の持ち主であるのか、それとも、場合によっては『伊勢物語』の主人公(「昔、男ありけり」)に心を奪われ、このような男の後を追いたい(!)と願っている、何とも麗(うるわ)しい、昔気質(むかしかたぎ)であるのかも知れない。

ともかく、このようにして今回、僕が君に紹介をするのは、和辻哲郎の『孔子』である。この本は、もともと昭和13年(1938年)、この哲学者が数えの50歳の時――「孔子について書くだけの研究も素養も準備もない」まま、岩波書店から「大教育家文庫」の第1巻として刊行されたものであり、やがて四半世紀後、昭和37年(1962年)になってから、同書店の『和辻哲郎全集』(第6巻)に収められ、さらに昭和63年(1988年)、今度は岩波文庫として出版された後、現時点では同文庫のワイド版にもなっている。その中から、僕が今回、君に紹介をするのは岩波文庫版であり、これは目下、新本で購入が可能であるし、古本であれば、さらに廉価で手に入るので、ぜひ君も、この「大教育家文庫」を手に取って、文字通りの「大教育家」としての孔子の生涯や、その学説を辿り直して欲しい。

実際、この本の冒頭が「人類の教師」という章で始まっているのも、それは著者である和辻哲郎が、この本で孔子のことを、そのまま「大教育家」として位置付けているからに他ならない。そして、その「人類の教師」は孔子を含めて、この本の並びに従えば、釈迦(シャカ)と孔子とソクラテスと、そしてイエス(=キリスト)の4人であり、この4人を合わせて、この本は「世界の四聖」とも呼んでいる。なお、このような「四聖」(漢音:シセイ、呉音:シショウ)という言い方は、その起源を遡ると、どうやら中国の仏教用語にまで辿り着くようであり、ここで試しに、久々に『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引くと、そこには中国の南宋の時代(13世紀後半)の用例(志盤『仏祖統記』)や、元の時代(14世紀前半)の用例(東陽徳輝『勅修百丈清規』)が挙げられている。

おまけに、この語は私たちの国にも、ほぼ時を違(たが)えず、同時代的(コンテンポラリー)に伝わった語であって、例えば鎌倉時代(13世紀)の『海道記』や『日蓮遺文』や『沙石集』の中で、あるいは南北朝時代(14世紀)の『神皇正統記』の中で、使われていたことが窺われうる。もっとも、このような用例の中の「四聖」とは、当然のことながら、あくまで仏教という枠の中の「四聖」……例えば、聖武天皇と婆羅門僧正と行基と良弁であり、それ以外の「四聖」の入り込む余地は原則的に無く、釈迦を別にすれば、孔子もソクラテスもイエスも、その候補ですらない。と言うことは、この4人を「四聖」と名付けて、一括りにする習慣は、あくまで近代以降の、私たちの国の習慣であり、おそらく「明治時代の我が国の学者が言い出したことであろう」と、和辻哲郎も述べている。

けれども、このような習慣が日本に固有の習慣であり、この語(「四聖」)によって、私たちの狭い、限られた視界のみが、そこに細々と浮かび上がってくるのであれば、それは俗に言う、島国根性以外の何物でもない。が、むしろ和辻哲郎に言わせれば、この語の中には「西洋にのみ偏(かたよ)らずに」、逆に「世界の文化を広く見渡すという態度が含まれて」おり、そこには「インド文化を釈迦で、シナ文化を孔子で、ギリシア文化をソクラテスで、またヨーロッパを征服したユダヤ文化をイエスで代表させ、そうしてこれらに等しく高い価値を認めよう」とする、何とも壮大な、スケールの大きい視界が開けていたことを、私たちは忘れるべきではない。そして、そのような視界を現在の、君や僕が、はたして身に付けることが出来ているのか、どうか、少なくとも僕は、不安である。

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