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濫読の時分 ――「教養」の来た道(23) 天野雅郎

濫読(ランドク)は、乱読と書いても構わない。――事実、今回は冒頭から『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「らんどく」の語を引くと、そこには濫読と乱読の、二つの漢字表記が並べられており、語釈には「むやみやたらに読むこと。いろいろな書物を手当たり次第に読むこと」という、ごく普通の、ありふれた説明文が置かれた後、この語の用例には今から100年ばかり前……厳密に言えば、107年前に国木田独歩の書いた『あの時分』(明治39年)が挙げられている。なお、この年は西暦に直すと1906年になり、ちょうど島崎藤村の『破戒』が刊行されたり、夏目漱石の『坊つちやん』が発表されたりして、日本の近代文学の歴史を辿る時には、とても重要な年であるが、それは同時に、いわゆる日露戦争の終結の翌年でもあったことを、ぜひ君には、記憶に留めておいて欲しい。

その意味において、この時期は日本の、文字通りの「戦後」に当たっており、仮に君が「戦後」と聞いて、ただちに(あるいは、もっぱら)第二次世界大戦や十五年戦争という名で、現在、私たちが呼んでいる戦争の、その「戦後」のみを想い起こす習慣を持っているのであれば、その習慣も、ぜひ君には改めて欲しい限りである。理由は簡単で、この、他ならぬ十五年戦争という呼び名によって、それまで一般に、満州事変と日中戦争と太平洋戦争と称され、それぞれ別個に、切り離されていた戦争が、逆に私たちには一貫した戦争として位置づけられるのと同様に、明治時代以降、私たちは幾つもの、度重なる「戦後」を経験してきたのであって、その「戦後」を共通の「戦後」として捉えることは、私たちの国の近代(モダン)という時代を推し測る、重要な物差しでもあったからである。

ところで、話は変わるが、君は本を買った時、あるいは、借りた時でも、いっこうに構わないけれども、その本を最初から最後まで、きちんと読まなくてはならない、という思い込みを持っているのではなかろうか? 仮に君が、そのような思い込みを持っているのであれば、それは相当に誤った思い込みであることを、僕は君に伝えよう。僕自身は、前回も触れたように、それほど子供の頃から読書好きであったり、よく本を読む子供であったりした訳では、まったく無く、むしろ子供の頃には山野を駆け巡り、と言っては、いくぶん誇張になるが、それでも周囲からは名の通った、虫好きの少年であり、魚(釣り?)好きの少年でもあったのであり、事実、僕の子供の頃の綽名(あだな)は「昆虫博士」であったし、特に「蝉(せみ)取り名人」の称号は、僕の縦(ほしいまま)であった。

……と、このような昔話を始めたのは、虫にしても魚にしても、あるいは本にしても、そこにウヨウヨと、群がっている何かと付き合う時には、とにかく気合を込めて、これらの雑多な、多種多様な何かと付き合う時期、と言おうか、心構えが必要なのであり、そのような心構えを欠き、時期を失しては、何時まで経っても、虫や魚や、あるいは本との付き合いは不充分な状態に留まる、という経験譚を、僕は君に物語りたかったからに他ならない。そのために、あえて今回は「濫読の時分」という表題で、この一連の文章(「教養」の来た道)の続きを書き、それが結果的に、たまたま『日本国語大辞典』の悪戯(いたずら)か、それとも、ことによると思し召しで、国木田独歩の『あの時分』に辿り着き、そこから私たちの国の、いわゆる日露戦争の「戦後」にまで、話が及んだ次第である。

もっとも、そこに「戦後」という、曰(いわ)く言い難い時期が訪れるのと、ほぼ時を同じくして、この翌年(明治40年)に国木田独歩は結核を患い、当時の文学運動の渦の中から、その姿を忽然と消さざるをえなくなってしまうのであり、それは明治41年、彼が数えの38歳……満年齢で言えば、いまだ36歳の頃であった。そして、この時期に書かれた、彼の短篇小説の一つが『あの時分』であり、それを『日本国語大辞典』は「らんどく」の用例に挙げていた訳である。今回、僕は君の便宜を考えて、ふたたび岩波文庫(1960年改版)の中から、その該当箇所を引いておこう。――「そうすると、私もただ乱読したというだけで、樋口や木村と同じように夢の世界の人であったかも知れません。そうです、私ばかりではありません。あの時分は、だれもみんなやたらに乱読したものです」。

この文章では、このようにして「らんどく」が、乱読と表記されているから、ことによると、その使用時期は乱読の方が、濫読よりも古いのかも知れないけれども、乱読と濫読では、やはり字面の意味が相当に違っていることも、忘れられてはならない。例えば、ここで白川静の『字統』(1984年、平凡社)の助けを借りると、そもそも乱読の乱(ラン)は訓読すれば、一方で「みだれる」(乱)となるのに対して、もう一方では「おさめる」(収)となり、この字が一見、相反する義を含み持つかのような印象を与えるが、それは実は、この字の左側が「糸かせの上下に手を加えている形で、もつれた糸をあらわす」のに対して、右側は「骨ベラなどの形で、それをほぐして解きおさめる意」を表現しており、この二つの意味を重ね合わせる形で、この語は成り立っていたからに他ならない。

それに対して、濫読の濫(ラン)は訓読すれば、こちらは「はびこる」や「みだりに」となり、例えば氾濫(ハンラン)という語が字義通りには、そのまま川の水が溢れて、岸を越えて流れ出すように、ある何かが「節度を失うこと」を指し示す字であり、白川静の『字統』には、濫行、濫刑、濫罪、濫用という例が挙げられている。なお、この字には一方で「浮かぶ意」もあり、ここで僕の、得意技である孫引き(※)をすると、例えば『荀子』(子道編)には「その源は以て觴(さかづき)を濫(うか)ぶべし」(濫觴)とあり、それは「長江万里の流れも、その源は杯を浮かべるほどの小流である。大なるものも、すべて微よりおこることにたとえる」と書かれている。今回、この文章の表題を選ぶに当たって、僕が乱読ではなく、濫読を採用したのも、以上のような理由に拠っている。

さて、そのような濫読という語に導かれつつ、僕が君に伝えたかったのは、この、例えば国木田独歩の『あの時分』に描かれているような、当時の大学生の生態(?)である。とは言っても、その頃の国木田独歩(本名:国木田哲夫)は、やがて彼の退学後、20年近い時間が経ってから、ようやく「早稲田大学」と呼ばれることになる「東京専門学校」に通っていたのであり、それは結果的に、いまだ私たちの国に大学と呼ばれる教育機関が、たった一つ(帝国大学!)だけしか存在していなかった頃の話であり、それにも拘らず、いや、そうであるからこそ、この小説の主人公(私=窪田)を始めとする青年は、その学生時代を通じて、呆れ返るまでに本を読み、君や僕が、ふと切なくなるほどの「美しい事、高いこと、清いこと、そして夢のようなことばかり」を、考えていたのである。

 

そう言いますと、あの時分は私も朝早くから起きて寝るまで、学校の課業のほかに、やたらむしょうに読書したものです。欧州の政治史も読めば、スペンサーも読む、哲学書も読む、伝記も読む、一時間三十ページの割合で、日に十時間、三百ページ読んでまだ読書の速力がおそいと思ったことすらありました。そしてただいろんな事を止め度もなく考えて、思いにふけったものです。〔改行後、ここから前掲の一文が続いているので、念のために、ふたたび引いておく。〕そうすると、私もただ乱読したというだけで、樋口や木村と同じように夢の世界の人であったかも知れません。そうです、私ばかりではありません。あの時分は、だれもみんなやたらに乱読したものです。

 

(※)今回、強いて白川静の『字統』を取り上げたのは、この『荀子』の典拠が「正道」と書かれており、おそらく「子道」の間違いではなかろうか、という点を書き記しておきたかったからに過ぎない。新訂版では、すでに修正済みであれば有り難い。

 

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