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『日本文学史』入門 ――「教養」の来た道(230) 天野雅郎

小西甚一(こにし・じんいち)の『日本文学史』(1993年、講談社学術文庫)は、とても面白い、興味深い「日本文学」の歴史である。なぜなら、この歴史(ヒストリー)には通常、君や僕が学校で教わってきたような、ありきたりの歴史とは異なる、お定まりの歴史ではない、その原義(history→historia=調査探求)どおりの歴史が語られているからである。論より証拠、この『日本文学史』の目次に目を通すだけで、そこに君は一般の、いわゆる古代・中世・近世・近代・現代という時代区分......ただし、そのような時代区分の成立根拠が何であり、何に根差しているのかも、よく分からないまま、とにかく君や僕が試験のために、ただ暗記する(させられる?)に至った、至って不分明な歴史の見取り図とは違う、別の見取り図を、君は発見(diecover=被覆除去)することが叶うはず。

第一、この『日本文学史』には普段、君や僕が「上代」と「中古」と称している、あの「日本文学」の歴史に特有の、時代区分の呼び名が存在していない。それだけでも、ずいぶん僕はスッキリした気分になるのであるが、これに加えて、近世との間に置かれている「近古」という表現まで、ごく当たり前のように登場するのが「日本文学」の歴史なのである。と言い出すと、このような古臭い表現には幸運にも、君は出くわしたことがないのかも知れないから、あえて注釈を施しておくと、要は君や僕が日本の歴史において、奈良時代と称しているのが「上代」であり、平安時代と呼んでいるのが「中古」であり、さらに鎌倉時代と室町時代を含めて、このような時代区分では「近古」という語まで用いられる訳である。そして、その後に続くのが江戸時代を指し示す、近世という表現になる。

僕自身は、どうして「日本文学」の歴史を語るに当たって、このように細かい、複雑な時代区分が必要とされるのか知らん、と不思議に思いつつ、現在に至るけれども、残念ながら、その起源や由来を知らないまま、この齢(よわい=世延)に達している。――が、この、今から65年ばかりも前(昭和二十八年→1953年)に書かれた、小西甚一の『日本文学史』を読むと、そこには「上代」も「中古」も「近古」も、ついでに「近世」さえもが姿を見せず、ただ使われているのは古代と中世と近代のみであり、さらに清々しいことに、そこには現代までもが存在していない。と言い出すと、この『日本文学史』が至極、簡便な、お手軽な歴史の通読書や解説本であるかのように、君が白~い目を向け出すと困るので、付け加えておくけれども、この『日本文学史』は実に重厚な、入門書なのである。

と言い出すと、またもや僕が意味不明の、言語矛盾のような表現を(......^^;)し始めたのではあるまいか、と勘繰(ぐ)られるのも嫌なので、さっそく説明を添えておくが、まず「入門」とは『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の語釈にもある通り、さしあたり「門の中に〔、〕はいること」が、その第一義であるけれども、それは「弟子となって、師の教えを受ける」ために、その門は入(はい→はひ=這)るべき門であり、潜(くぐ→くく=泳)るべき門なのであった。その意味において、そもそも「弟子入りすること」が「入門」という語の原義であり、真義であって、そうであったからこそ、その用例に『日本国語大辞典』が挙げているのも――あの、曹洞宗の開祖、道元(どうげん→ダウゲン)の『正法眼蔵』(しょうぼう・げんぞう→シャウボフ・ゲンザウ)であった訳である。

言い換えれば、このような「弟子入り」の感覚を失ってしまうと、たちまち君や僕には入門(ひいては、入門書)も、まるで弟子であることや、逆に師匠であることや、また、この両者の邂逅から産み出される、はなはだ濃密な人間関係を期待することは不可能になってしまうのではなかろうか、と僕は思うけれども、さて君は、いかがであろう。まあ、そのような人間関係が大学の中から、それどころか、広く社会全体の中から姿を消し、そのような人間関係に遭遇すること自体が困難になってしまった時代の、君は大学生であるから、このような僕の言い回しも、よく君には事情が、分からないのかも知れないね。でも、そのような幸運な、奇跡のごとき背景が存在していなかったら、例えば夏目漱石(なつめ・そうせき)の『門』も書かれなかったに違いない、と僕自身は思っている次第。

ともかく、このような文脈に即して言うと、小西甚一の『日本文学史』は君や僕が、まさしく入門書として読むべき本であって、そこには「日本文学」の歴史を実に簡潔に、一方の極には「雅」(=完成)という表現理念を、もう一方の極には「俗」(=無限)という表現理念を置き、この二つの表現理念の交錯の中に、そのまま「日本文学」の全体像が提示されている。そして、そのような「雅」が尊ばれ、重んじられた時代を、この『日本文学史』では「中世」として位置づけ、それが更に、第一期と第二期と第三期に分かれ、それぞれ君や僕が、平安時代と鎌倉・室町時代、江戸時代と呼んでいる時代に宛がわれている。しかも、この三つの「中世」を扱った部分が、この本の大半を占めており、残りの「古代」と「近代」については、わずかなページが割かれているに過ぎないのである。

ましてや、その内の「近代」に至っては、冒頭から「いよいよ〔、〕わたくしは筆を近代に進めるべきであろう。しかし、また、近代まで足を延ばさないほうが〔、〕よいようにも感じられる」......と述べられているほどで、おそらく昨今の、普通の「日本文学」の歴史の多くが、その叙述の中心を「近代」や「現代」に置いているのとは大きな違いである。理由は簡単で、それは「近代そのものが〔、〕まだ明確な姿を定めていないからである。わたくしどもは、いま、展開の途上に在る近代の「かけら」を見るにすぎない。すでに展開を終わったものなら、たとえ「かけら」しか存在しなくても――古代のごとく――、その全貌を推定することは放棄するにおよぶまい。が、これからどう変化するかわからない世代について、その史的性格を考えることは、ほとんど至難というべきであろう」。

と、このように小西甚一が書き記しているのは、繰り返すまでもなく、今から65年ばかりも前の時点であり、そこから現在に至るまで、すでに「近代」は着々とした歩を進め、もはや「かけら」と評することの方が難しい、確固とした歴史を所持している、と大多数の日本人は信じているのではあるまいか。事実、そのような歴史の中に君や僕の、これまでの生活と人生も含まれている訳であり、それが「かけら」であっては困るし、たまったものではない(!)と訴えたいのが君や僕の、偽らざる人情でもあったろう。でも、そのような人情と、君や僕が「日本文学」の歴史を考えることは違っていて、僕は素直に、以下のような小西甚一の発言を納得するのに吝(やぶさ)かではないが、そのようなことを言い出すと、とうてい君の『日本文学史』への入門は、果たされえないのであろうか。

 

西洋的な精神は、これまで無かったもの、これから〔、〕どうなってゆくかわからない無限性に、日本人の眼を開いてくれた。従来の意識からは醜悪としか見えないような在りかたまで、価値あるものとして追及されるにいたった。それは、従来の「雅」に対して、まさしく「俗」なるものである。〔中略〕そうした西洋的な「俗」が、別種の「雅」として再び確立されるとき、わたくしどもは、はじめて、近代の全貌を見ることができるのではなかろうか。ただし、さような別種の「雅」が〔、〕いつ完成されるか、それがどのような性質の「雅」であるのかは、いま予見できない。いや、そうした「雅」が〔、〕はたして訪れるのかどうかさえ、そもそも不明なのである。近代が「かけら」でしかないといったのは、その意味にほかならぬ。

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