ホームメッセージ中上健次論 ――「教養」の来た道(236) 天野雅郎

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中上健次論 ――「教養」の来た道(236) 天野雅郎

前回は突然、僕が中上健次(なかがみ・けんじ)の話を始めたので、ひょっとすると君は結構、面(めん)くらっているのかも知れないね。でも、中上健次と言えば、おそらく和歌山......という言い方をすること自体が、非(反?)中上健次的なのであろうが、ともかく、和歌山に生まれ、育った小説家として、ごく普通に国語辞典あたりに名前を記載されているのは、彼を別にすれば、佐藤春夫(さとう・はるお)か有吉佐和子(ありよし・さわこ)か、せいぜい後は、沖野岩三郎(おきの・いわさぶろう)くらいではなかったのか知らん、と僕は思っているけれども、それは当然、これらの小説家が存命中ではなく、すでに鬼籍(キセキ→点鬼簿→過去帳→ranks of the dead)の人となっているからに他ならない。あくまで、その意味においての人選であるので、誤解のないように願いたい。

と言いながら、さっそく僕は恒例の『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引いている所であるが、ありました、ありました、中上健次。――昭和二十一年(1946年)に生まれ、平成四年(1992年)に没する。享年、46歳。そう言えば、それは僕が広島大学の助手から、和歌山大学の助教授になって、はじめて和歌山の土を踏み、和歌山大学の教壇に立ってから、ちょうど一年後の夏休みの出来事であったことが想い起こされる。たしか連日の、暑い暑い、まさしく真夏日が続いていた頃に、にわかに彼の訃報に接したのではなかったか、と記憶している。「小説家。和歌山県新宮市出身。故郷の紀州熊野の風土を背景として複雑な血縁関係に生きる人間を中心に描き、民俗、物語、差別などの問題を追及した。著「岬」「枯木灘」〔かれきなだ〕「千年の愉楽」「地の果て至上の時」など」。

ちなみに、これらの作品の冒頭に置かれている『岬』で、彼は昭和五十一年(1976年)の30歳の折、戦後生まれでは初の、芥川賞(第74回)の受賞者となる。なお、この際の受賞者には、もう一人、岡松和夫(おかまつ・かずお)の名を挙げることが出来るけれども、はたして君は彼を、その受賞作(『志賀島』)も含めて、知っていたであろうか。まあ、知っていても、知っていなくても、そのこと自体は、どちらでも構わないが、こちらの小説家(+国文学者)の方は生まれたのが、いわゆる昭和一桁の、昭和六年(1931年)であったから、一方の中上健次との間には15歳の年齢差がある。言い換えれば、この翌年の村上龍(むらかみ・りゅう)や、その翌年の三田雅広(みた・まさひろ)と合わせて、この頃の新進気鋭の小説家の一人であり、その代表であったのが、中上健次であった。

と、このように書き出すと、いかにも陳腐な「日本文学史」(日本文壇史?)の記述のようで、かなり気が引けるのであるが、むしろ中上健次が「日本文学史」において占めるべき位置や、その独自の立場があるとすれば、それは彼が端的に、その「日本文学史」を逸脱し、収まりの付かない点にこそ、あったに違いない。その点、彼が芥川賞の受賞直後から香港やマカオに取材旅行に出掛けたり、あるいは翌年、昭和五十二年(1977年)には自分で車を運転して、ぐるりと紀伊半島の全域を回り、それを「紀州(木の国・根の国物語)」として『朝日ジャーナル』に連載したり、その直後、今度は休む間もなくアメリカの、ニューヨークのハーレムの近くで暮らしたり、遂にはロサンゼルスに家族を連れて移住したり、言ってみれば、このような日本脱出の試みを繰り返しているのは興味深い。

ところで、僕個人は普段、自分で車を運転することがない。が、これでも意外や意外、大学生の時分に「運転免許」を取って、何度かは(......^^;)車を運転したことも、あるのである。ただし、そのような経験を通じて知ったのは、結果的に僕が車の運転には、どうやら不向きな性格(character=刻印)の持ち主であることと、別段、不向きな性格の持ち主が車を運転して、事故を起こしたり、おまけに、最悪の場合には自分が死んだり、誰かを殺したりする、取り返しの付かない事態を惹き起こしたりするよりも、要は必要な、相応の料金を僕が払い、バスやタクシーを使えば済む話であるし、それよりも何よりも、世の中には親切な人たちがいて、かわいそうな僕を度々、車に乗せてくれるのであるから、それほど日常生活において不便な状態で、苦しまなくても済むのが実情なのであった。

とは言っても、それほど運好く、いつも誰かの車に便乗させて貰(もら)える訳でもないし、通常は仕方なく、バスを利用したりすることが大半なのであるが、そのような折、例えば雨の降り頻る中をバス停で佇んでいたりすると、世の中には何とも無神経な、無作法な運転手が多いらしく、次から次へと、僕に道路の水溜りの水を容赦なく撥(は)ね掛けては、通り過ぎていく始末。――本当は、これは立派(?)な「道路交通法」違反なのになあ、と嘆きつつ、いちばん僕が気になっているのは、このようなドライバーが生来、根っからの性悪(しょうわる)であったり、いわゆる「自己チュー」であったりするのではなく、おそらく車に乗った瞬間、人は文字どおりの自己中心的(egoistic)で、わがままで、身勝手な状態へと姿を変えてしまうのではないか知らん、という点なのである。

さて、このような話題を俄(にわか)に、突拍子もなく、僕が持ち出したのには理由がある。実は先刻、その書名を挙げておいた、中上健次の『紀州』(1993年、朝日文庫)という「ルポルタージュ」(reportage=報告文学)を昨日、僕は読み直していて、この「木の国・根の国物語」の中で、いちばん僕が興味を催したのは、その「伊勢」の章であったからである。......と書き出して、そこから君が僕の「車」(car→motorcar→automobile→自動車)の話にまで辿り着いてくれるのであれば、きっと君は相当に熱烈な、中上健次のファンであるのか、それとも、この本を何度か、これまで熟読した経験があり、この作家の「車」が伊勢への旅の帰途、まるで予定されていたかのように壊れ、大破して、この作家が危うく、一命を失う寸前であったことを、想い起こすことが叶うからに違いない。

 

伊勢を離れる日の深夜、その墓地に行った。二度道をたがえた。月夜だった。〔中略〕車を墓地と〔中略〕住宅と神社の森の三か所の真ん中に停め、降りる。物音はなかった。月明かりに照らされた神社の森を見つめて坐る。私の背後は墓地であり、右手に、寝鎮〔しず〕まった住宅がある。〔改行〕風が吹く。森の樹木が蠕動(ぜんどう)するように動いている。そこに〔、〕たとえば折口信夫〔おりくち・しのぶ〕の『死者の書』のように不死の人が、眠り込み、いま目を開けはじめていると思った。月明かりの夜空は雲の形が〔、〕はっきりと見分けられ、その空に黒く浮きあがった森に、いま〔、〕めざめたばかりの者が寒さに鳥肌立て、あまりの寒さの為〔、〕氷粒のような涙をにじませている。〔中略・改行〕雨が降っていた。新宮に向かうトンネルを越した〔、〕すぐのカーブを曲がりそこね、車は転倒した。硝子〔ガラス〕の全てが破れた。車はグシヤグシャになった。胸と腰を打ちつけ〔、〕しばらくガソリンのもれる車内で呼吸する事も出来ずいたが、死ぬ事はなかった。外へ出て、雨の降る道で、一時座り込み、ふと外傷もなく、なによりも生きている事に気づいて涙が出た。その夜から一日、私は、自分の為に通夜にこもった。

 

このような文章表現を、事実と称するべきなのか、虚構と称するべきなのか、いたって僕は無関心である。と言うよりも、このような文章表現こそが「文学」であり、その名の通りの「ルポルタージュ」(re-port-age)でもあったのではなかろうか、と僕は考えている。なにしろ、この作家が「本来〔、〕生きている者と死んだ者の魂鎮(たましず)めの一様式」として「小説」を位置づけ、そのような様式を「現代作家として十全に体現する者」であろうとする以上は、このようにして「言葉によって地霊と話し、言葉によって頬すりよせ〔、〕地霊と交感し〔中略〕傷ついた地霊を慰藉(いしゃ)しよう」とすることは、この作家にとっても――そして、それは多分、この作家とは余りにも多くの条件を異にする、君や僕にとっても、ごく普通の、あたりまえの営みであったはずであるから。

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