ホームメッセージ熱血教師について ――「教養」の来た道(24) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

熱血教師について ――「教養」の来た道(24) 天野雅郎

世の中には、熱血教師と呼ばれる人がいる、らしい。僕個人は、幸か不幸か、そのような熱血教師に出会ったことがないので、本当に、いるのかどうかは定かでないが、少なくとも虚構(フィクション)の世界では、そのような熱血教師が登場し、文字通りの「熱血漢」ぶりを発揮することは度々である。――とは言っても、そのような「熱血漢」ぶりが中身の点で、どのような類(たぐい)の「熱血」なのか、また、どの程度の「熱血漢」ぶりが「熱血」と評されうるのかは、それほど自明の事柄ではなく、それ相応の熱心や熱中を指し示している内は、まだ可愛気(かわいげ)があるが、そこから次第に飛躍して、これが熱情や熱狂と置き換えられる段に至ると、その先に待ち構えているのは大文字の、それこそキリストの受難(Passion)であったりするのであるから、話は面倒である。

実際、例えば英語では「熱血漢」のことを、どうやらpassionate manと呼び慣わすようである。が、そもそも「熱血漢」が、このようにして男性に限られた、男性に特有の、独占的な表現法であり、これを「熱血男児」と言い直すことが可能であるのに対して、それに相当する語(例えば、熱血女児や熱血婦人)が、どうして女性の側には宛がわれてこなかったのであろう。……このような疑問を、これまで君は感じたことがあったろうか。仮に君が、このような疑問に出会い、目下、幸運にもドイツ語やフランス語の勉強中であるのなら、その、ドイツ語のPassionやフランス語のpassionが、あるいは、それを裏返しにして、ドイツ語のAktionもフランス語のactionも、いわゆる「女性名詞」であるのは何故なのですか?――と、このようにドイツ語やフランス語の先生に訊いてみよう。

すると、君は高校生の頃までの、いわゆる英語(English)の勉強だけでは分からなかった、言語の性差(ジェンダー)という、実に不可思議な、世界と人間の結び付きと、そのコミュニケーションの秘密(!)にまで、立ち入ることができるに違いない。ちなみに、英語で言えば、このようなactionという語から導き出された、例えばactiveやactivityという語が、最近、私たちの身の回りで多用され、それに比べて、と言おうか、それとは逆に、と言おうか、これらの語の裏返しであり、もともと表裏一体の、不即不離の関係にあったpassionの方は、ひどく旗色が悪くなってしまい、例えばpassiveやpassivityと言えば、もっぱら受動性や消極性を指し示すのみの語となり、これらの語の本来の意味であった、熱情や激情は困ったことに、その影を潜めてしまっているのが実情である。

ところで、君は例えばTV番組で、これまで画面に登場してきた熱血教師の代表を選びなさい、と言われたら、誰を選ぶであろうか? 多分、君は躊躇(ためら)うことなく……と言っては、いたって失礼になるのかも知れないが、おそらく君は『3年B組金八先生』で、武田鉄也の演じた「坂本金八」を選ぶのではあるまいか。なにしろ、この番組は昭和54年(1979年)に放送が始まって以来、断続的にシリーズ化を続け、ようやく一昨年(2011年3月27日)のスペシャル放送(「ファイナル」)で打ち切りが決まったほどの、文字通りの長寿番組であり、君も中学生の頃、この番組の視聴者の一人であったとしても当然である。その意味において、この番組は放送年数(32年!)の長さも含めて、やっと主人公の定年で幕引きが可能になるほどの、熱血教師ドラマの代表であったことは疑いがない。

――と、このような尤(もっと)もらしい、知った風な口を利(き)いてはいるが、何を隠そう、僕自身は『3年B組金八先生』を、ほとんど観たことがなく、その内容については、口を差し挟むだけの情報も、経験も欠落している。理由は簡単で、僕の家にはTVが無く……と言うのは現在の、この10年ばかりの間の、我が家の状態であり、実は僕は逆に、人後に落ちない「テレビっ子」であって、君の、たっての願いとあれば、これまで青春ドラマや学園ドラマで歴代の熱血教師を演じた俳優の名を並べることなど、文字通りの朝飯前であり、試しに君に、僕の博学な知識の片鱗を披露すると、それは夏木陽介、竜雷太、浜畑賢吉、村野武範、中村雅俊と続くが、この程度は序の口に過ぎず、ここに東山敬司や中山仁の名を付け加えることができて、どうにかこうにか、幕内の関取クラスである。

なお、このような熱血教師の大多数は、まるで「馬鹿の一つ覚え」(失敬)のように、彼らが教師として着任するや否や、ラグビー部かサッカー部の、部長を務めることになるのであるが、その点に限って言えば、東山敬司が『炎の青春』(1969年)で演じた「猪木豪太郎」は、何と、女子バスケットボール部の部長であったし、より特筆すべきは、中山仁が『泣くな青春』(1972年)の中で演じた「大和田英一」は、元不良の教師――今風に言えば「ヤンキー先生」であり、しかも、その相手役の不良(「守屋親造」)を演じていたのが、やがて6年後(1978年)には『熱中時代』において、逆に熱血教師の「北野広大」を演じることになる、水谷豊であった点も興味深く、その役名の一つを取っても、この青春ドラマが従来の、学園ドラマとは一線を画する、斬新なものであったことが窺われうる。

さて、このようにして僕は、君が唖然(アゼン)として、口を開けたままの状態でいるのを物(もの)ともせず、さらに驚くべきことに、ここから熱血教師の元祖として、今回も孔子を引き合いに出しながら、その理由も含めて、彼の熱血教師ぶりを君に伝えよう。そもそも、孔子は現在の、君や僕の感覚で言えば、いわゆる塾(ジュク)の経営者であり、その意味においては、塾の教師(要するに、塾師)であったけれども、彼の塾舎に通う塾生の数は、実に3000人を超え、その中でも特に、優れた力量を持った72人が、いわゆる塾長や塾頭の役を務めている。したがって、それは塾(cram school=予備校)と言うよりも、むしろ私立大学(private university)と称する方が相応しい、きわめて巨大な教育機関であり、教育施設であったことを、まず君は、よく頭の中に思い描いて欲しい。

とは言っても、君も先刻承知の通り、またもや僕が孔子のことで、このような、見てきたようなことを書けるのは、司馬遷の『史記』が情報源であり、その記述に従えば、この塾を訪れて、わずかな教えを受けた人数は遥かに多く、このような人数も塾生の内に含めれば、いったい孔子には何人の、弟子や門弟と呼ばれる人物がいたのか、それを勘定することさえ不可能なほどである。もっとも、それは別段、遠い昔の中国の話であるとは限らず、例えば私たちの国でも、このような私塾や家塾と呼ばれる教育機関が存在し、そこから幾人もの、若い、有能な人材が巣立って行ったことは、この一連の文章(「教養」の来た道、第9回)の中でも報告済みであるし、よもや君が、吉田松陰の「松下村塾」や福澤諭吉の「慶應義塾」を、まったく知りません、と言い出すことなど、ないはずだよね。

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2017 Wakayama University