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『枯木灘』を読み通す ――「教養」の来た道(242) 天野雅郎

実は先日、これまで何度か読み始め、読み通すことの出来なかった『枯木灘』を、はじめて読み通したのであるから、これだけでも僕が中上健次(なかがみ・けんじ)の好い読者であるとは、とうてい言えない理由は明白である。とは言っても、それは僕が単に、この小説が昭和五十二年(1977年)に河出書房新社から出版された折、読もうと思えば読めたものを、ずっと引き伸ばしにしていて、その時点から四十年後の読者の一人に加わったことを指し示しているに過ぎないのでもあり、例えば君のような大学生が現在、最初に中上健次の『枯木灘』を手に取る際のことを考えれば、それを遅れてきた、悪い読者であると決め付ける根拠は、どこにも存在していないはずである。その意味において、人が何時、どのような形で、どのように本のページを捲(めく)るのかは、人それぞれであろう。

なお、この本の表題ともなっている「枯木灘」は、そのまま「かれきなだ」と読むけれども......と、ここから僕は恒例の『日本国語大辞典』の語釈を君に紹介しようと、その項を調べ始めたのであるが、そこに「枯木灘」を見つけ出すことは叶わず、どうやら和歌山の、白浜(しらはま)町の瀬戸崎(せとざき)から、計約40キロメートルに及んで、串本(くしもと)町の潮岬(しおのみさき)へと至る、この岩石海岸(rocky coast)の全国的な知名度は低いらしい。とは言っても、今から四半世紀余りも前に、はじめて僕が和歌山の土を踏んだ時、恥ずかしながら、いまだ購入したままで読了したことのない、この『枯木灘』という小説の表題そのものに魅せられて、僕はJRの「くろしお」号に乗り、このゴツゴツとした、奇怪な形状の岩が姿を連ねている海岸を、はるばる訪ねたのであった。

それ以来、このようにして僕の一方通行の、中上健次の『枯木灘』との関係は、まさしく不即不離の、即(つ)かず離れずの状態が延々と続き、ようやく先日、その一里塚を越えた訳である。しかしながら、これまで僕が敬遠して、この小説を表面的に敬し、裏面的に遠ざけてきた背景には、どのような事態が潜んでいたのか知らん――と振り返っても、その事情が僕にも、よく分からないのが実情である。と言うよりも、この小説が世間一般に、重いとか暗いとか、要は人間関係のドロドロとした、陰惨な雰囲気に満ち満ちていると見なされることが、この小説と僕が疎遠であった理由では決してない。なぜなら、この小説を僕自身は、いとも容易に......と言い出すと、語弊があるが、かなり容易に読み進めることの出来る側であり、先日も数時間を費やしただけで、この小説を読了した次第。

このような経験は、ひょっとすると君が中上健次の、すでに『枯木灘』の読者であったとしたら、いかにも奇異な感じを与えるか、それとも逆に、とても納得の行く感じを与えるか、どちらかであったのではなかろうか。と言ったのは、この小説を読み辛く、それどころか、すぐに放り出してしまう読者がいるとすれば、それは通常、この小説の冒頭から次々と、ひっきりなしに顔を覗かせる登場人物たちが、何の前触れもなく、読者への説明も欠いたまま、交渉をし始めるからに他なるまい。まあ、そのような読者を想定して、この小説には登場人物たちの相関図(相姦図?)まで、ご丁寧にも差し挟まれているが、そのような手助けも僕に限って言えば、ほとんど必要ないし、そのような手助けを受けてしまうと、むしろ僕の中にある、ある種の「路地」が、見え難くなってしまうのである。

言い換えれば、この小説において中上健次の描き出している、人間の世界(microcosm=小宇宙)と、その周囲を取り巻く自然の世界(macrocosm=大宇宙)の振る舞いや、その佇(たたず)まいが、僕には実に、よく分かるのであり、それどころか、よく見える(見えてしまう?)のである。理由は簡単で、それは僕が子供の時分、彼の言う「路地」(=被差別部落)の隣町に生まれ、育ち、小学生から中学生の頃まで、いわゆる級友(クラスメート)を通じて、その「路地」と僕は、これまた不即不離の付き合いを続けていたからである。したがって、この小説の末尾で、この物語が最高潮(クライマックス)を迎えることになる、あの「盆踊り」の場面も、どこかで僕には懐かしい、今でも昔の級友の顔が、そこにチラリホラリと浮かんだり、消えたりしかねない、旧知のシーンなのであった。

おそらく、このような経験は君や僕の生きている、この「日本」という国が、きっと昭和三十年代の頃まで、あたりまえに抱え込み、露呈させていた、猥雑(ワイザツ)きわまりない「何か」であって、その「何か」に覆いを被せ、包み隠すことで、そこから昨今、君や僕が日常的に受け止めている、ありふれた風景は姿を見せることになる。――と、このように言っても、おそらく21世紀の「日本」(=JAPAN)の風景しか、せいぜい20世紀の末年の風景しか、感受したことのない君には、僕の伝えようとしていること自体が理解できないのかも知れないし、そのような経験の欠落や断絶を、君は下手をすると、ひどく頭でっかちな言葉で埋め、その差異性をも、まるで存在しなかった、ある特定の世代の思い込みであるかのごとく見なすのであれば、それは至極、残念な事態でもあったろう。

もっとも、そのような猥雑な経験を積み重ね、繰り返したはずの僕自身が、今度は高校生になり、その名の通りの思春期(puberty=恥毛期!)を通り過ぎることで、やがて大学生になり、故郷を離れることになる。そして、先刻の「盆踊り」も毎年の「盆帰り」(君が着た花がすり、君が舞う花まつり、ひとときを故郷の、ふところに遊ぶ~♪)の折、我が家の裏山に見える灯や、そこから聞こえてくる歌声を介して、関わるものに姿を変えてしまった訳である。そう言えば、この『盆帰り』という歌(作詞+作曲=小椋佳)が昭和五十一年(1976年)のヒット曲となり、巷(ちまた=道股)に流れていた折、それは中上健次が『枯木灘』を、彼自身初の長編小説として、ちょうど雑誌(『文藝』)に連載していた時期とも重なり合っている。あまりにも、場違いの連想のようではあるけれども。

 

  せせらぎに素足で水をはねた

  夕暮れの丘に星を数えた

  突然の雨を木陰に逃げた

  故郷(ふるさと)の君の姿 ぬぐいきれないと知りながら

  ララララ ララララ ラララ......

 

ところで、この『枯木灘』という小説を、僕自身は小説(novel)としては、それほど高く評価する側ではない。と、ここまで話が来て、それは何分にも問題発言であり、爆弾発言ではなかろうか、と僕自身が感じない訳ではないが、この作品を通じて中上健次は「毎日出版文化賞」(第31回)と、さらに「芸術選奨文部大臣賞」(第28回)を受賞し、その意味において、この作品の世間的評価は確定している。したがって、それから四十年の時を隔てて、僕が個人的な感想を述べても、この作品の評価に異議を差し挟んだりすることには繋がらないであろうから、それを承知の上で、あえて告白するけれども、僕は正直に言うと、この小説を中上健次に一人の作家として、あまり酒を飲まずに(......^^;)せめて節酒の状態で、とにかく書き上げて欲しかった、と願わずにはいられないのである。

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