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作家の工房 ――「教養」の来た道(243) 天野雅郎

生まれて此方(このかた)本棚と呼ばれるものに、こだわりを持った覚えがない。唯一の例外は、僕が目下、暮らしている家の壁から壁へと、本棚を備え付けた際の記憶であるが、これとても僕にとっては、ただ本を置き、並べるために好都合なように、建具屋さんに本棚の、縦や横の寸法の注文を出したまでの話であって、それが建具屋さんの独断(......^^;)で寸法どおりに仕上がらなかった時には残念で、残念で仕様がなかったけれども、まあ、その程度の話である。であるから、例えば書斎に高価な、高級な本棚を設(しつら)え、そこにガラスの扉が付いていたり、スライド式で動いてみたり――要は、僕に言わせれば無用で、無駄な本棚を所有している人に出会うと、どうやら本棚と呼ばれるものに対する考え方自体が、まったく異なっているらしいことに気づかざるをえないのである。

ちなみに、現在のような形状をした本棚に、はじめて日本人が出会うのは、言うまでもなく、明治時代以降のことであり、例えば『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の「本棚」の用例にも、日本最初の和英辞典である『和英語林集成』(慶応三年→1867年)が挙げられているから、そもそも「本棚」自体が翻訳語(bookshelf→本棚)に他ならず、そのような「本棚」と日本人の付き合いには、はなはだ近代的で、西洋的な要素が付き纏(まと)っていたことも見逃されてはならない点であろう。なぜなら、このような要素を抜きにすると、あの夏目漱石(なつめ・そうせき)のように、この「本棚」という語と生誕の年を同じくする作家が、むしろ「本棚」ではなく「書棚」や「書架」という語を好んで用いていた理由も、君や僕には理解の行き届かなくなる虞(おそれ)があるからである。

さて、僕が今回、このような「本棚」の話を始めたのは、ふたたび君に中上健次(なかがみ・けんじ)の『枯木灘』のことで、あれこれ話題を提供しようか知らん、と思っているからに他ならないが、以前、僕が「中上健次論」(拾遺)と題し、この一連の文章(第237回)でも君に伝えたように、いつも彼は「物を書くのが、喫茶店である。十八で東京に出て来て、今日まで変らない」と言い、おまけに「雨の日も、風の日も、同じ喫茶店の、同じ場所に座って、物を書いている」と言っているから、この「不思議な場所」(『鳥のように獣のように』所収)というエッセイに従えば、この作家は小説を書く折、何の道具類も手に携えず、ただ「万年筆と紙があれば、どこでも書斎になる」という小説作法を、最初から会得し、実践していたことになる。この『枯木灘』という作品は、別にして。

もちろん、ある一人の作家が、どのようにして小説を書くのかは、その作家本人の小説作法の問題であり、突き詰めて言えば、その作家以外の誰かが、そこに立ち入るべき領域の話ではない。けれども、やはり小説は作家(すなわち、作者)と読者との間に成り立つものであり、成り立たざるをえないものでもあるから、そこには当然、読者の側の希望や願望や、その望(のぞみ)は介在してしかるべきであろう。とりわけ、毎月百枚の「締切り間際まで酒を毎日〔、〕浴びるほど飲み、締切り一週間前に部屋にこもるのだった。一週間のうち三日は使いものにならない。アルコールが体の芯から抜けず、ふらふらしている。万年筆を持つ事が〔、〕おっくうだし、万年筆を持っても文字を書く事が〔、〕めんどうくさい。それに、長篇の草稿の類は〔、〕いっさいない」という作家の場合には。

と、このように述べているのは、上記の第一エッセイ集(『鳥のように獣のように』)に引き続き、その三年後(昭和五十四年→1979年)に同じ出版社(北洋社)から刊行された、中上健次の第二エッセイ集(『夢の力』)であるけれども、どうやら彼は自分自身の「処女長篇」である『枯木灘』を、このようにして「毎月百枚、都合六回に渡る雑誌への短期連載という形式」(「軽蔑したドストエフスキイ」)で書き上げたらしく、なお驚くべきことに、この作家は「処女作からこの方、小説を原稿用紙に直接〔、〕書いた事が」なく、その代用品として「もっぱら大判の細かい縦の線だけが入った集計用紙」を使い、そこに安い「極細のペン先の万年筆」で、ほぼ「顔を紙にくっつけ、活字のような細い字で、カリカリと音〔を〕させて書く。いや、ひっかくのである」(「私の文章修業」)。

おそらく、このような「万年筆」や「原稿用紙」や、あるいは「集計用紙」という語自体が、もはや君を始めとする、昨今の大学生には理解し辛いであろうし、下手をすると生まれてから、これらの道具類を一度も使ったこと(見たこと?)のない可能性すら、ない訳ではなかろうから、よく事情が分からなくても仕方がないのであるが、僕のようなロートル(老頭児)には「万年筆」と「原稿用紙」と言えば、それは単純に小説家が小説家であるために、なくてはならない「三種の神器」の代表であり、これに付け加わるものがあるとすれば、せいぜい煙草くらいではなかろうか。......と思って、目下、僕の膝の上に乗っている雑誌(『熊野誌』第39号、特集:中上健次)の表紙を見ると、そこには実際に、この作家が左手の中指と人差し指の間に煙草を挟んで、柔らかい表情を浮かべている。

なお、この上に小説家が、さらに小説を書くに当たって必要不可欠なものは、あるのか知らん、と問うてみれば、それはコーヒーであったり、紅茶であったり、あるいはチョコレートであったり、チューインガムであったり、するのであろうが、これらは最終的に、それぞれの作家個人の嗜好品(luxuries)であって、それを「万年筆」や「原稿用紙」と同列に扱うのは筋違いであろう。その意味において、もともと煙草も一種の嗜好品であることに、まったく変わりはないけれども、結果的に煙草と、それから「酒とバラの日々」(Days of Wine and Roses)が特別な、言ってみれば、小説家の必需品(necessaries)になったのは、それが近代的であると共に非近代的で、反近代的でもあらざるをえない、この小説家という職業の抱え込んでいる、宿病のごときものであったのかも知れないね。

でも、そのために無理矢理、吸えない煙草を吸い、飲めない酒を飲み、そのことで多くの、どれほど優れた才能を持った若者が、志(こころざし=心指)なかばで小説家への道を閉ざしたり、行き倒れになったりしてしまったのかを振り返れば、それを「時代病」の名で一括りにして、片の付く話ではなかったのではなかろうか。もっとも、この点に限って言えば、たしかに中上健次の場合、彼が人並み外れた酒豪であり、ヘビースモーカーでもあったことは疑いがなく、したがって、彼が連日、浴びるように酒を飲み、ようやく締め切り間際になって部屋に籠り、いつも三日や四日を費やすだけで、原稿用紙に換算すれば百枚程度を埋め、そこから『枯木灘』という作品を書き上げたのであるから、それは恐れ入谷(いりや)の鬼子母神(きしもじん)としか、評し様がないのであるけれども。

 

物を書いている時、飯も酒も受けつけない。だから小説を書くと〔、〕やせる。物を書いていないと肥る。恋に焦れて身も細るとは乙〔おつ〕なものであるが、この工房〔=喫茶店〕から離れていると体は肥り、万年筆と集計用紙〔を〕もって〔、〕ここに通いはじめると身は細る。工房とは断食〔だんじき〕道場でもある。〔中略・改行〕ところで書斎とは〔、〕いやな言葉だ。工房とは〔、〕いい言葉だ。工房で物を書くとは、紙と万年筆で読者の〔、〕はらわたを吹っとばす爆弾を作っている気になる。読者諸賢、喫茶店で〔、〕うつむいて紙に細かい字を書きとめている者をみても、ゆめゆめ油断めさるな。紙と万年筆の使いようで、ニトログリセリンができる。私は、そう確信している。(「犬の私」)

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