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学生便覧について ――「教養」の来た道(25) 天野雅郎

仮に君が、和歌山大学の学生であるのなら、この大学に『和歌山大学ひとり歩き』と題された小冊子があることを、君は知っているであろう。ただし、この小冊子の正式名称は『学生便覧』であり、それが英語でhandbook for studentsと称されていることも、君が手許にある『和歌山大学ひとり歩き』を見れば、ただちに了解できるに違いない。僕個人は、この小冊子の英語名が、例えばStudent Handbookと、大文字で書かれているのではなく、いかにも奥床しい、小文字の表記を用いていることや、その際の学生(student)が単数形ではなく、複数形で表示されていることに対しても、それ相応の敬意を表したり、好感を持ったりするのに吝(やぶさ)かでないが、そもそも、この便覧(handbook)という語の成り立ちや、その意味について、どの程度の知識を、君は持っているであろうか?

試しに、ここで今回も、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)に御出座(おでまし)を願うと、その「ハンドブック」の項には、まず英語でhandbookという但し書きが添えられ、それに続いて「簡便な案内や、手ほどきを記した小冊子。便覧。マニュアル。ハンドブーフ」という語釈が並べられた後、末尾には1912年の『舶来語便覧』が、この語の典拠に挙げられている。なお、この『舶来語便覧』は日本の年号に直すと、ちょうど明治から大正へと年号が切り替わる年の、明治45年に光玉館から出版されたものであり、正式名称は『日用舶来語便覧』と称し、文字通りの日用的な舶来語、要するに、私たちの国で明治以降、外来語や翻訳語という形で日本語の中に持ち込まれた、1500余りの語が収められ、その語義に解説が施されている、まさしく「ハンドブック」に他ならなかった。

著者は、棚橋一郎と鈴木誠一であるが、この二人(とりわけ、漢学者であり、倫理学者でもあった、棚橋一郎)については、また別の折に、別の形で、君に報告をすることにして、ここでは、この「便覧」という語が明治時代の初頭には、もう使用済みの語であった点を、君に伝えておこう。すなわち、この語は厳密に言えば、明治4年(1871年)、木戸孝允(きど・たかよし)が出資して、東京日新堂より月2回、刊行を開始し出した『新聞雑誌』――言ってみれば、当時の文明開化の推進新聞の紙面に、すでに顔を覗かせている語であったことが、ふたたび『日本国語大辞典』からは窺われうる。もっとも、この便覧自体は「京都中小学校生員便覧と題したる一枚摺の表なり」と書かれているように、とうてい「ハンドブック」と呼べる代物(しろもの)ではなかったことも、分かるのであるが。

ところで、この「便覧」という語を、君は「ビンラン」と音読する側であろうか、それとも、これを「ベンラン」と音読する側であろうか? ……驚くなかれ、実は後者(「ベンラン」)の方が、本来の、その意味においては、正しい読み方である。それと言うのも、この「便覧」の「便」という字に対して、いわゆる呉音では「ベン」を、漢音では「ヘン」を宛がうのが、この字の本来の読み方であり、これに「ビン」という音を当て嵌めるのは、たまたま私たちの使っている、慣用音に他ならないからである。したがって、君が例えば辛い便秘(ビンピ)の果てに、便意(ビンイ)を催し、便所(ビンジョ)に入って便座(ビンザ)に座り、久し振りに便通(ビンツウ)があってスッキリ(!)した、と言うのであれば、これまで同様、君は便覧を「ビンラン」と読み続けても、いっこうに構わない。

事実、先刻の『新聞雑誌』の引用文中でも、便覧には「べんラン」と、ひら仮名とカタ仮名を交えた、振り仮名(ルビ)が振られている。残念ながら、この「京都中小学校生員便覧」を、僕自身は目にしたことがなく、これが実際に、どのような「一枚摺の表」であったのか、まったく分らないけれども、この当時は現在の、いわゆる「生徒」が「生員」とも呼ばれていた点については、いささか興味が湧かないでは、ない。何しろ、このような呼称が私たちの国では、明治以降にコロコロと変わり、例えば「生徒」が今では、もっぱら中学校と高等学校の生徒を指し、君も知っての通り、小学校では「児童」という語が、大学では「学生」という語が、それぞれ使われているからであり、うっかり君も誤って、小学生や大学生のことを「生徒」とは呼ばないように、気を付けて欲しい限りである。

とは言っても、もともと明治時代の初頭には、大学生も中学生も小学生も、ことごとく「生徒」と、一括をされていたのが本来の順序であって、この頃には高校生が、まだ姿を見せてはいないし、さしあたり「学校」という場で「教育」を受ける、と言うよりも、その場で国の、まさしく施(ほどこし)を受ける側であれば、これを等しく、何でも「生徒」と呼んでおくのが、私たちの国の実情であったに違いない。ここから、やがて大学生が「学生」と呼ばれ、自他共に特権的な、自意識を手に入れるようになるのは、明治19年(1886年)の「帝国大学令」の発布以降のことであり、これが戦前から戦後へと引き継がれて、昭和22年(1947年)の「学校教育法」の公布以降も、私たちは新制大学に入学すれば、大学生となり、そのまま「学生」と呼ばれる時代が続いて、今に至っている訳である。

ちなみに、そのような大学生が「学生」であり、それ以外の「児童」や「生徒」とは違う、決定的な理由は何であろうか? ――そのことを知りたければ、まず君は、君の手許にある『和歌山大学ひとり歩き』を捲(めく)り、その最初のページ……と言うよりも、最初のページの前のページを、見て欲しい。すると、そこには「和歌山大学学生倫理規程」と題された、4つの倫理規程(下記)が置かれているのを、君は目にするはずである。そして、そこには「和歌山大学生として、将来に向け実践すべき倫理規定を以下に示します」という前文と共に、この規程が平成23年(2011年)、わずか2年前に制定され、それを制定したのが、目下、和歌山大学に置かれている4つの学部(教育学部、経済学部、システム工学部、観光学部)の、それぞれの「学生自治会」であったことが、明記されている。

 

1.学問の重視

2.自律の精神の向上

3.権利の尊重

4.経験の蓄積

 

僕個人は、このような倫理規程の作成に、直接に関わった訳ではなく、間接に関わったに過ぎないが、それでも和歌山大学の「学生」が、あくまで「学生」の側から「学生」の立場で、このような倫理規程を作成したことに対しては、それ相応の敬意を表したり、好感を持ったりするのに吝かでない。――と、まったく今回の文章の、冒頭の一節と同じ言い回しを、僕は繰り返そう。なぜなら、そもそも「学生」とはstudentの翻訳語であり、そうである以上は、もともと忙しく、骨を折るのが当然の、必然の責務であらざるをえない「勉強」(study)を、その身に引き受ける側の呼び名であって、そこに複数の、多様な労苦を背負い込んだ、それぞれの「学生」(students)が存在してはいても、そこに暇な、楽ばかりをしようとする「学生」がいるのは、言語矛盾に決まっているからである。

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