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若葉の季節 ――「教養」の来た道(26) 天野雅郎

若葉の季節……とは、いささか季節外れの表題で、恐縮であるが、たまたま昨日(6月6日)の新聞を読んでいて、このような表題を思い付いたので、ご容赦を願いたい。また、いささか事情があって、僕は今、パソコンの画面と睨(にら)めっこ――正しく言えば、睨競(にらみくら→にらみっくら、にらめくら→にらめっくら)をしていることが困難な状態にあり、この文章が君の手(と言うよりも、君の目)に届くのは、おそらく数日後のことになるであろうが、この点についても大目に見て欲しい。それにしても、このようにして連日、何かに付けてパソコンと向かい合わざるをえない生活を、コンピュートピア(computopia)と呼んだ人は、その「ユートピア」のことを、呑気にも「理想郷」と思っていたのか知らん、それとも、逆に「無可有(むかう)郷」と思っていたのか知らん。

ところで、このようにして僕に、この文章を書く糸口を与えてくれた新聞記事については、もう少し後で、君に報告をすることにして、いったい君は「若葉」という語から、どのようなイメージを呼び起こすであろうか?仮に君が、大学生になって車の運転免許を取り、目下、颯爽(さっそう)と車の運転をして大学に通っているのなら、君が真っ先に思い浮かべるのは、君の車に貼られている「若葉マーク」こと「初心者マーク」であるのかも知れない。もっとも、この「若葉マーク」は正式には、初心運転者標識と称され、れっきとした道路交通法上の標識であって、これが制定されたのは昭和47年(1972年)であったから、もう40年も前の標識になるけれども、これが「初心者」を表示し、識別するマークに用いられていることに対しては、僕自身は幾分、釈然としない思いを抱いている。

そもそも、どうして片方(右側かな? 左側かな?)が緑で、片方(左側)が黄色に塗られている、この標識を、私たちは「若葉マーク」と呼ぶのであろうか。……と、ことさら僕は、今日が不機嫌で、不愉快な一日であり、とかく周囲に当り散らし、文字通りの「八つ当り」をしようとしている訳では、まったく無い。それどころか、ちょうど今日は逆に天気も好く、僕の仕事机の前に広がる窓越しには、かつて聖武天皇(!)が登り、夏目漱石(!)が登り、僕も登った、和歌山の和歌浦の、奠供(てんぐ)山が見えており、その山を埋め、こんもり生い茂っている緑の草木を眺めている内に、ついつい僕は、芭蕉(本名:松尾宗房)の一句――「若葉して/御目(おんめ)の雫(しづく)/拭(ぬぐ)はばや」を想い起こし、この「若葉」という語に少々、こだわってみたくなったのである。

と言えば、すでに君は僕の読んだ、新聞記事に察しを付けてくれているに違いないが、それは一昨日(6月5日)、奈良の唐招提寺で国宝の、いわゆる「鑑真和上座像」(ガンジン・ワジョウ・ザゾウ)に、その模像(コピー?)が作られ、この「お身代わり像」の開眼(!)法要が営まれた、という記事であった。この座像は、きっと君も高校生の頃、日本史の教科書あたりで、その姿に一度は、お目に掛かっているはずであるが、この座像は何と、私たちの国で最古の肖像彫刻のようであり、鑑真の没後、弟子(忍基)の手で作られたものとされている。そして、その座像の模像が今年、鑑真の亡くなった年(天平宝字7年)から数えて1250年後の、その命日(6月6日)――正しくは、旧暦の5月6日に合わせて、その前日に開眼法要を営まれ、一般公開をされるに至った、という次第である。

鑑真(正しくは、鑑眞)は、言うまでなく中国(唐)の、仏教(律宗)の僧であり、日本の年号で言えば、持統天皇2年(688年)に揚州(現在の、江蘇省揚州市)で生まれているが、やがて彼は日本を訪れ、私たちの国に最初の、仏教の戒律(要するに、仏教徒の守るべき、個人的で自律的な規範である戒と、集団的で他律的な規則である律)の精神と、その制度(すなわち、儀礼)を伝えた人として知られている。しかも、それが10年を超える、文字通りの艱難辛苦の末、度重なる渡航の失敗(5度!)にも挫(くじ)けず、盲目となった彼が遣唐使船に乗り、天平勝宝6年(754年)に私たちの国に辿り着いた話は、君も何らかの形で、例えば井上靖の『天平の甍』(1957年、中央公論社)や、これと同名の映画(1980年、東宝)を通じて、読んだり観たり、したことがあるのではなかろうか?

なお、先刻の芭蕉の俳句(正しくは、明治以前の用語では俳諧、明治以後の用語では俳句)は、この俳人が貞享5年(1688年)の、おそらく4月10日(旧暦!)の頃、唐招提寺に詣でた際、まさしく「鑑真和上坐像」の前で吟じたものとされており、やがて彼の死後、宝永6年(1709年)になってから、門人の河合乙州(かはひ・おとくに)によって編纂され、刊行されることになる、彼の遺稿(『笈の小文』)の中に収められている。また、これに先立つ3月の末日(旧暦!)には、芭蕉は和歌山の和歌浦にも足を運び、そこで「行く春に/和歌の浦にて/追ひ付きたり」という句も遺しているので、これも君の参考にして貰(もら)いたく、この場に付け加えておくことにしよう。なお、さっきの「若葉」の句の方には、次のような前書きが添えられているので、これも合わせて、再読を。

 

招提寺(=唐招提寺)鑑真和上来朝の時、船中七十(しちじふ)余度の難を凌(しの)ぎ給(たま)ひ、御目(おんめ)のうち塩風吹入(ふきいり)て、終(つひ)に御目盲(しひ)させ給ふ尊像を拝して、

若葉して 御目の雫 拭はばや

 

さて、このようにして振り返ると、どうやら「若葉」は芭蕉にとって、柔らかく、しなやかな、その感触を持前(もちまえ)とし、その本性(nature=自然)とするものであると同時に、そこには「若葉」と「御目」を繋ぐ、言ってみれば、葉(訓読:は)と目(訓読:め)との間に成り立つ、形姿(image=模像)の類似も、重ね合わされているようである。なぜなら、この時、この「鑑真和上坐像」の目から流れ出している(と、芭蕉の目に見える)のは、まるで「若葉」から滴り落ち、初夏の光を浴びながら、清らかに輝いている「雫」でもあれば、また、その一方で確実に、この「鑑真和上座像」の、それどころか、鑑真和上その人の、涙以外の、何物でもなかったからである。その意味において、この句の中では人間と、その人為(=人工)と、さらに自然とが、渾然一体となっている。

以降、この一句を起点として、俳諧や俳句の世界では、実に多くの「若葉」の句が生まれ、今に至っているけれども、僕自身は目下の、僕の体調(physical condition=「からだ」条件)や、それにも拘らず、僕が性懲りも無く、このようにして夜明け前から起き出して、机に向かい、本を読み、辞書を引き、パソコンのキーボードを叩いては、あれこれ取留(とりとめ)の無い文章を書いている、そのような僕の、固有の精神状態(mental condition=「こころ」条件)に通じる句を、以下に並べておきたい。並べたのは、すべて明治以降の、その意味において、俳句であるが、この語が元来、俳諧の句の略である以上は、その精神には文字通りの、俳(訓読:わざおぎ)と諧(訓読:やわらぎ)と、そして、その潤滑油として不可欠な、湿り気(humor=ユーモア)が宿っていなくてはならない。

 

     目を病むや 若葉の窓の 雨幾日 (森鷗外)

     朝まだき 書読む窓の 若葉哉 (正岡子規)

     若葉して 籠り勝ちなる 書斎かな (夏目漱石)

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