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ヒーロー談義 ――「教養」の来た道(286) 天野雅郎

ヒーローという語や、その女性形である、ヒロインという語を、普段、君や僕は当たり前に使っているけれども、このカタカナ書きの日本語(すなわち、外来語)が日本人の間に普及し、定着するに至ったのは、いったい何時の頃の話であったのか知らん。――と書き始めても、僕は別段、安室奈美恵(あむろ・なみえ)が去年の大晦日(おおみそか=大三十日)にNHKの『紅白歌合戦』(第68回)で歌った、あの『Hero』という曲のことを念頭に置いている訳では、まったく無い。なにしろ、この曲が前年(2016年)にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた、夏季オリンピック(第31回)のテーマ・ソングであったことさえ、僕は知らなかったし、その『Hero』という曲が記録したらしい、最高視聴率(48.4%)の瞬間にも、もう僕は、なかば夢現(ゆめ・うつつ)の状態であったから。

したがって、この『Hero』を大文字にした、今度はフジテレビの『HERO』というドラマにしても、僕は一度も目にしたことがなく、これが木村拓哉(きむら・たくや)を主人公に配して、何と2001年以降、映画版も含めて、えんえんと作品化をされていること自体が驚異(脅威?)である。であるから、どうやら僕は21世紀の日本の、このような「ヒーロー文化」の流れからは、完全に切り離され、取り残された所で生活をしている訳であり、その点で振り返ると、せいぜい20世紀の、1980年代の中盤に放映されていた、例の......と言っても、むしろ逆に君の方がチンプンカンプンであろうけれども、それでも例の、大映テレビの『スクール☆ウォーズ』や、その主題歌に使われていた、麻倉未稀(あさくら・みき)の『ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO』を想い起こすことが出来る程度である。

とは言っても、この「学園ドラマ」(副題→「泣き虫先生の7年戦争」)も年齢的に、すでに僕自身は「学園ドラマ」を観るには、薹(とう=花茎)が立っていたから、むしろ馬場信浩(ばば・のぶひろ)の原作(『落ちこぼれ軍団の奇跡』)の方に興味があったような為体(ていたらく)であり、その意味において、結果的に僕個人は今から30年余りを遡っても、なかなか「僕だけのための hero」には巡り合えない始末。――と、ここまで書き継いで、ふと気が付くと、どうやら1980年代以前には、そもそも「ヒーロー」という語自体が日本人の中に、それほど根を下ろし、根を張った語ではなかったのではあるまいか、という臆測に辿り着かざるをえない。多分、僕自身の記憶に間違いがなければ、この「ヒーロー」という語が罷(まか)り通っていたのは、唯一、アメリカ映画くらいであった。

例えば、それは1960年代の後半から、あの『俺たちに明日はない』(原題→『ボニー&クライド』1967年)や『卒業』(同年)を皮切りに、やがて1970年代の中盤に『カッコーの巣の上で』(1975年)や、あるいは『タクシー・ドライバー』(1976年)で幕を引くことになる、いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」(=和製英語)が終焉を迎え、それに代わってスタートを切った、きっと君も知っているであろう、シルヴェスター・スタローン主演の『ロッキー』(1976年)や、その翌年(1977年)に公開された『スター・ウォーズ』が、いちばん分かりやすい例であろう。要するに、この類の「アメリカン・ドリーム」(=英語)を鼓舞し、表現するアメリカ映画を通じて、おそらく日本人は「ヒーロー」という語に慣れ親しみ、それを自分たちの口から、連呼するまでに至ったのではなかろうか。

事実、この両作品が21世紀に至るまで、次々と続編を産み出し、シリーズ化をされたことは印象的であるし、それを踏まえれば、この影響は優に40年を超えており、そこから昨今の日本人が、もはや逃れる術(すべ)も、その気も欠いているらしいことは、ほとんど疑いがない。もっとも、その背景には『スター・ウォーズ』のネタ本となった、ジョーゼフ・キャンベル(Joseph Cambell)の『千の顔を持つ英雄』が控えていたりもするのであるから、このような神話学や宗教学の知見も踏まえ、もっと日本人が「ヒーロー」という語の深層を探る気でも起こせば、それはそれで、興味深い文化交流(cultural exchange)であるのかも知れないけれども。なお、この本の原題は The Hero with a Thousand Faces であって、私たちの国では昭和五十九年(1984年)に翻訳が出ているから、ご一読を。

ところで、このようにして「ヒーロー」という語は、もともと神話や宗教の中で用いられ、その活躍の場を与えられてきた語であったし、その起源もギリシア神話に登場する、その名の通りの半神(heros)であった。すなわち、てっとりばやく言えばヒーローや、その女性形であるヒロインとは、その誕生の際に親側の、父親であれ母親であれ、どちらかが神であり、裏を返せば、どちらかが人である存在......と定義づけるのが、もっとも簡便であり、それはギリシア神話で言えば、あのヘラクレスやペルセウスや、あるいはアキレウスに相当するし、これをキリスト教に宛がえば、意外や意外、まさしくヒーローの中のヒーローは、ほかならぬイエス(=キリスト)であった次第。ちなみに、これと等しく日本神話で、いちばん明解なヒーローが天皇であることを、君は知っていたであろうか。

ともあれ、このようにして辿り直すと、かなり「ヒーロー」や「ヒロイン」という語の射程も違ってくるし、その到達距離も格段に、はっきりしてくるに違いない。――論より証拠、そこには最近、僕が填(は=嵌)まっている、例の『東海道四谷怪談』で鶴屋南北(つるや・なんぼく)の造形した、民谷伊右衛門(たみや・いえもん)や直助権兵衛(なおすけ・ごんべえ)のような「色悪」(いろあく=色男+悪人)が、たちまち、その仲間入りを果たすことになるし、彼らの魅力も俄然、輝きを増してくる訳である。特に、この内の民谷伊右衛門は前回、僕が君に話を聴いて貰(もら)ったように、その素性から言っても、申し分のないヒーロー(半神)の資格を身に纏(まと)っている可能性が高く、現に彼自身の最も有名なセリフの一つは、何と「首が飛んでも動いてみせるワ」であった。

もっとも、このセリフ自体は後世(→『いろは仮名四谷怪談』)付け加えられたものであり、鶴屋南北の考案したものではない。けれども、このセリフが如何(いか)にも民谷伊右衛門に相応しいものである、と考えられたからこそ、このセリフは現在でも、この「色悪」を表現するために用いられているし、例えば森一生(もり・かずお)の監督した、昭和四十四年(1969年)の『四谷怪談 お岩の亡霊』でも、このセリフが効果的に、主役の佐藤慶(さとう・けい)の口から発せられていたのが想い起こされる。と言い出すと、はたして民谷伊右衛門は本当に、この『東海道四谷怪談』の大詰で佐藤与茂七(さとう・よもしち)に切られ、死んだのかであろうか......と、それ自体が疑わしくなってくるから困った話である。まあ、これも彼がヒーローの、ヒーローたる所以(ゆえん)であろうか。

 

与茂七「民谷伊右衛門、爰(ここ)動くな」

伊右衛門「ヤ、われは与茂七。なんで身どもを」

与茂七「女房お袖が義理ある姉、お岩が敵(かたき)の、その方(ほう)故、この与茂七が助太刀(すけだち)して」

伊右衛門「いらざる事を、そこのけ佐藤」

与茂七「民谷は身どもが。(ト、立ち回って、キッとなる......)これにて成仏(じょうぶつ)得脱(とくだつ)の」

伊右衛門「おのれ与茂七」

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