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蛸壺(たこつぼ)の夢 ――「教養」の来た道(29) 天野雅郎

今回の表題の中の「蛸壺」に、僕は一応、平仮名で「たこつぼ」という「ルビ」(=振り仮名)を振っておいたけれども、この「ルビ」という語が元来、英語の「ルビー」(ruby)に由来する語であったことを、君は知っていたであろうか? 知っていたのであれば、ひょっとすると君は、この「ルビ」という語が英語(すなわち、イギリス語)とは繋がっていても、米語(すなわち、アメリカ語)とは繋がっておらず、この語が米語では「アゲート」(agate)と称されていることも、また、こちらの方は「ルビー」ではなく「瑪瑙(メノウ)」を意味する語であったことも、君は知っていたかも知れない。もちろん、その際にも「瑪瑙」という語で、僕が「ルビー」と同様、赤い瑪瑙(要するに、赤瑪瑙)を連想していることは、今回の表題の中の「蛸壺」という語が、暗に示している通りである。

さて、僕は今回、その「蛸壺」という語を使いつつ、君に幾つかのことを伝えたく、この一連の文章(「教養」の来た道)の続きを書き始めているが、その背景には、昨今、君や僕の周囲で教養や教養教育のことが話題になる度に、この「蛸壺」という語を度々、目にし、耳にするようになった、という事態がある。そして、その折には、教養と真反対の状態――要するに、文字通りの「無教養」を指し示すために、この語が好んで用いられるようである。……そのような時、僕は不意にタイム・スリップでもして、学生時代に舞い戻ったかのような錯覚を覚えることがある。と言ったのは、この「蛸壺」という語は僕の学生時代にも、しばしば使われた語であり、具体的に言えば、かつて丸山眞男が『日本の思想』(岩波新書)の中で用い、一般に流布することになった語であったからである。

ちなみに、ここに今、僕の手許にある『日本の思想』の奥付を見ると、その発行年は1961年(昭和36年)とあるから、すでに半世紀余りも前の本であり、表紙も中身も、かなり日焼けのした、痛みの激しい本である。とは言っても、僕が当時、仮に「神童」の名を欲しい儘(まま)にしていたとしても、それでも小学校に入る前から、この本を読むほどの早熟ぶりを発揮するのは不可能であって、この本を最初に手にしたのは、後日、僕が大学生になってからのことであり、この本を僕は、たまたま古本屋で見つけ、それが結果的に初版本であった、と言うに過ぎない。なお、このような古本屋が当時、大学周辺には当たり前に存在し、場合によっては軒を並べていたのが、ごく普通の「大学門前」の、あるいは大学周辺の風景であったことを、ぜひとも君には、知っておいて欲しい限りである。

言い換えれば、そのような風景の中で、そのような風景と共に、当時の大学生は本を読む習慣を身に付けていったのであり、裏を返せば、そのような風景が姿を消すことで、例えば君の周囲にもゾロゾロといる、はなはだ「無教養」(^^;)な、まさしく「蛸壺」男や「蛸壺」女が平然と、大学を闊歩(カッポ)するに至った次第である。――と、いささか過激な発言を、あえて僕は、君に打付(ぶつけ←ぶっつけ←ぶちつけ←うちつけ)ているけれども、僕個人は必ずしも、一人の人間の品格(要するに、人品や人格と呼ばれる、ある何か)が、そのまま読書という行為によって左右され、決定されるとは思っておらず、いくら本を読んでも、品格の下劣な人間は、結果的に下劣な状態に留まるのであって、そこには読書とは違った、別の要因が不足し、欠落している、と見なさざるをえない。

ところで、丸山眞男の『日本の思想』は、現在でも版(80刷以上?)を重ね、新本として、書店に並んでいるようであるから、君も手に取り、そのページを捲(めく)って欲しいが、この本の中で、丸山眞男が「蛸壺」という語を使っているのは、第三章(「思想のあり方」)であり、そこでは日本の社会や文化の特質を表現するために、この語が「タコツボ型」や「タコツボ化」という形で用いられている。察するに、この語を目下、教養談義の中で使っている人の多くは、そのような時代や年代や世代を、共有する人ではなかったであろうか。……ところが、この文章を今回、僕が書くに当たり、この本を本棚から探し出し、埃(ほこり)を払い、久し振りに読み直した時点で、まず感じざるをえなかったのは、むしろ曰く言い難い、半世紀という時間の消失や、その剥離と脱落の感覚であった。

例えば、丸山眞男が私たちの国の大学や、学部や学科の「タコツボ」状態を憂え、嘆いている、以下のような箇所の迫真性を、どのように君は受け止めるであろう? 詳しい説明は、今は措くけれども、問題は何よりも、このような丸山眞男の発言が、すでに半世紀余りも前の、正確に言えば1957年(昭和32年)の講演中のものでありながら、その言わんとする所は、君や僕の眼前の、この「21世紀」の、大学の実情と変わる点はなく、それどころか、その実情は加速度的に、ますます「皮肉」の度合いを強めている、と思い至らざるをえないことである。試しに、君も以下の『日本の思想』の一節を、例えば教育学部や経済学部や、システム工学部や観光学部と置き換えて、要するに、和歌山大学の現状と置き換えて、虚心坦懐(キョシン・タンカイ)に読み直してみては、いかがであろう。

 

文化系、理科系のいろいろな学部をもっている大学を綜合大学といいますが、綜合という言葉は実に皮肉でありまして、実質はちっとも綜合ではない。法科とか経済とか、いろいろな学部があって、それが地理的に一つの地域に集中している、各学部の教室や研究室が地理的に近接しているというのを綜合大学というにすぎない。そこで綜合的な教養が与えられるわけでもなければ、各学部の共同研究が常時組織化されているわけでもない。ただ一つの経営体として、大学行政面で組織化されているというだけのことです。ユニヴァーシティという本来の意味からは甚だ遠いのが実情です。

 

もっとも、僕自身は丸山眞男のように、一方に本来の大学があり、有り体に言えば、それが大学という制度を産み出した、ヨーロッパの大学であり、そこには構成員の「連帯意識」や「コミュニケーション」が存在し、お互いが「共通のカルチュアやインテリジェンスでもって結ばれて」いる、と楽観的な判断を下すことは出来ない。そのような大学のことを、丸山眞男は「ササラ型」(※)と呼び、これを「タコツボ型」の大学と対比しているけれども、そのような対比が有効なのであれば、目下の教養談義の到達点も、とっくに視界には見えているはずである。が、そのような到達点が「タコツボ型」ばかりか「ササラ型」の大学でも見失われ、そもそも何処に向かって、私たちは教養談義の舵取りを進めるべきなのか、よく分からなくなっているから、とかく教養談義は喧(かまびす)しい。

このように、教養談義の現状を僕は理解している。その繋がりにおいて、今回は最後に僕の好きな、芭蕉の一句を引いておこう。この一句は、前書きに「明石夜泊」とあるので、現在の兵庫県明石市で詠まれたようであるが、どうやら「蛸壺」自体が弥生時代、明石発祥のものでもあるらしい。その点では、この一句には驚くべき、長く深い、時の流れが降り積もっている。……時は夜、夏の月は煌々(コウコウ)と、青白い光を海に放っている。そして、その海の底では蛸が、明日は捕われの身となるのも知らず、のうのうと「はかなき夢」を貪(むさぼ)っている。そのような対照(コントラスト)が、この一句の構図ではあろう。けれども、それでは芭蕉の視点は、何処に据えられているのであろうか。蛸壺の外であろうか、蛸壺の内であろうか、それとも、それ以外の何処か、であろうか。

 

蛸壺や はかなき夢を 夏の月

 

(※)ササラとは、これに漢字(正確に言えば、和字)を宛がうと「簓」になり、もともと私たちの国の、民俗芸能の楽器の一種である。

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