ホームメッセージ養生について ――「教養」の来た道(293) 天野雅郎

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養生について ――「教養」の来た道(293) 天野雅郎

三木清(みき・きよし)の『人生論ノート』の「健康について」の章から、ふたたび話を始めたい。とりわけ、この章の冒頭に彼が、フランシス・ベーコン(Francis Bacon)の『随想集』(Essays)を引き合いに出していることに対して、かなり僕は興味を持っている。そして、それが前回、君に紹介を済ませておいた、あの「何が自分の為(ため)になり、何が自分の害になるか、の自分自身の観察」という一文であり、これが『随想集』の中では次のように述べられている。「このこと〔すなわち、養生法〕については、医術の通則を越える知恵がある。それは自分自身の観察であって、自分が有益だと思うもの、および有害だと思うものが、健康を保つ最善の医術である」――と、今回は岩波文庫の旧訳(1935年、神吉三郎訳)ではなく、新訳(1983年、渡辺義雄訳)の方から引いておく。

なお、このようにして古くから、私たちの国でもフランシス・ベーコン......とは言っても、これは昨今流行の、同姓同名の画家のことではなく、あくまで哲学者のベーコンのことである。と書き継ぎながら、実は哲学史の教科書には中世(13世紀)にロジャー・ベーコン(Roger Bacon)という名の、もう一人のベーコンが登場するのであって、ややこしい話である。そこで、まず最初に、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の説明文を掲げ、君に読んで貰(もら)うことにしよう。ご一読を。――「イギリスの哲学者、政治家。下院議員・検事総長・国璽尚書・大法官を歴任。主著『ノウム・オルガーヌム』で、観察・実験に基づく帰納法を主張して近代科学の方法を確立。実践哲学を説いた『随筆集』やユートピア物語『ニュー・アトランティス』を著わす」(一五六一~一六二六)

さて、いかがであろう。このようにして振り返ると、彼が日本の年号では永禄四年の生まれであり、要は「戦国時代」(Warring States period)の末期の頃(室町時代→安土桃山時代)に、地球の裏側で生きていた哲学者であり、かつ政治家であったことが分かる。実際、この年には戦国大名の、井伊直正(いい・なおまさ)や福島正則(ふくしま・まさのり)が産声(うぶごえ=初声)をあげているし、この前年には君も知っているであろう、織田信長(おだ・のぶなが)の「桶狭間(おけはざま)の戦い」も起き、その天下統一への野望が、スタートを切った折に当たっている。逆に、彼が亡くなるのは私たちの国で言うと、今度は江戸幕府の三代将軍、徳川家光(とくがわ・いえみつ)の治世に当たっていて、こちらは刻一刻、江戸時代(260年!)の礎が固められていく時期であった次第。

言い換えれば、このような大きな、歴史の転換期(ターニング・ポイント)に際して、いわゆる中世から近世(=中世+近代)へと、人であれ物であれ、さまざまな変化が惹き起こされる訳であるけれども、そのような変化(チェンジ)の最たるものに、君や僕が現在、科学(サイエンス)や技術(テクノロジー)と呼んでいる、知(=理論知+実践知)の枠組の変革や変動も含まれていたのであって、言ってみれば、そのような「新時代の喇叭(ラッパ)手」を自認し、自称したのがフランシス・ベーコンであった。したがって、この「喇叭手」は文字どおりに、ラッパの吹き手であると同時に、ひょっとすると、それ以上に法螺(ほら)を吹く人でもあり、大言壮語の名人でもあったのかも知れないから、ご用心。――その点で、彼がシェイクスピアに擬せられるのも、ゆえなしとはしない。

ところで、そのようなフランシス・ベーコンの『随想集』は、すでに触れた通り、私たちの国でも戦前には岩波文庫で、戦後には角川文庫(1968年、成田成寿訳)で、いずれも『ベーコン随筆集』として出版され、多くの読者を獲得してきたことが知られているし、後者は今でも「中公クラシックス」に収められている。が、これが1970年代には「世界の名著」で、1980年代には「中公バックス」で、いまだ廉価で購入でき、そこには『学問の発達』も『ニュー・アトランティス』も、そろって収められていた訳であるから、これを「中公クラシックス」版で2,000円近くを支払わなくてはならない、昨今の大学生は気の毒だな、と僕は感じざるをえない。まあ、それを買い、読む大学生が、いったい何処に、何人いるのですか(......~_~;)と問われたら、僕は返す言葉が、ないけれども。m(_ _)m

ところで、と繰り返すが、このようなフランシス・ベーコンの『随想集』を、三木清は当然、原書で読んでいたのであって、そのこと自体、現在の君や僕との間にある、とてつもない隔たりを、僕は感じざるをえないけれども、その点において想い起こされるのは、あの『三四郎』の冒頭で夏目漱石(なつめ・そうせき)が、明治四十一年(1908年)に故郷の九州を離れ、大学生になって東京へと向かう、主人公(小川三四郎)の鞄にフランシス・ベーコンの、この『随想集』を忍ばせていたことである。とは言っても、この場面には汽車の座席で、たまたま高校生の主人公が気を紛らわそうと、鞄から「手に障(さは)つた奴を何でも構はず引出すと、読んでも解らないベーコンの論文集が出た」と書かれていて、はたして小川三四郎には、この『随想集』が理解できたのやら、どうなのやら。

もちろん、夏目漱石の生前の書架には、この『随想集』が『学問の進歩』と一緒に、ちゃんと並べられていたから、漱石自身がフランシス・ベーコンの読者であったことは、疑いがないのであるけれども。ともあれ、このようにして明治時代から大正時代へと及ぶ、当時の旧制の、エリート高校生の本棚には、その必読書の一冊として、どうやらフランシス・ベーコンの『随想集』が顔を揃えていたようである。その意味において、当時の高校生が大学生になる年齢は、この物語の主人公のように数えの23歳であったから、結果的に僕とは違い、まだ君にはフランシス・ベーコンの『随想集』を原書で、英語で読む可能性が残されている、とも見なしうるのであり、その限り、この本を翻訳(translation=超越移動)でしか読んだことのない、僕よりも君は未来に対して、開かれているのである。

でも、そのような読書と共に、このような「養生法について」の知見であれば、わざわざフランシス・ベーコンの『随想集』の一章を繙(ひもと=紐解)かずとも――と言い出すと、いささか語弊があるが、私たちの国にも優れた、養生(ようじょう=養性)論の系譜は引き継がれ、受け渡されているのであって、その代表が、きっと君も名前を聞いたことがあるに違いない、貝原益軒(かいばら・えきけん)の『養生訓』であり、この本が物されたのは、江戸時代の中期、正徳三年(1713年)のことであった。こちらであれば、君も簡単に、岩波文庫でも中公文庫であも講談社学術文庫でも、手に取ることが叶うはず。とは言っても、読書は元来、強制されるものではないし、読書に負担やストレスを感じるのであれば、それこそ馬鹿げた話である。フランシス・ベーコンも述べていたごとく。

 

食事や睡眠や運動の時間に、のんびりかまえて快活にしていることは、長生きをする最もよい教えの一つである。心の激しい動き〔情念〕や熱意〔欲求〕について言えば、妬み、気ぜわしい恐れ、内攻する怒り、こせこせした煩雑な詮索、喜びの余り〔、〕はしゃぎすぎること、人に言えない悲しみは避けるがよい。希望、歓喜より〔、〕むしろ快活を、快楽の飽満より〔、〕むしろ変化、驚異および感嘆を、したがって〔、〕また新奇なものを、さらに歴史、寓話、自然の観察のような、心を輝かしい〔、〕すぐれた対象で満たす研究を受け入れるがよい。

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