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経験について ――「教養」の来た道(295) 天野雅郎

フランシス・ベーコンが『随筆集』の――と今回以降、僕は『随想集』ではなく『随筆集』という言い方に、この本の呼び名を改めるけれども、まあ、どちらであっても原題の『エッセーズ』(Essays)の語感は、ここに呼び覚ましようがないから、あきらめるしかない話ではある。が、このようにして何かを、あるいは誰かを諦(あきら)めることで、はじめて君や僕には見えてくる、ある種の明(あき)らかな、明(あき)らめの境地が存在することも確かであって、そのような二重の、光と影(かげ=光)の交錯する季節を、ひょっとすると日本語で秋(あき)と称するのではなかろうか......と、ふと僕は思い付いた所であるけれども、要するに、このような物言いが口を衝(つ)いて、さらりと飛び出すことが、僕に言わせれば、人生の秋(=白秋)を迎えたことに他ならないのである。

裏を返せば、いまだ人生の春(=青春)や夏(=朱夏)を過ごしているにも拘らず、そのような春や夏の装(よそお=粧)いに似合わぬ、そぐわない言葉づかいや立居振舞(たちい・ふるまい)や、それこそ服の着方や、ご飯の食べ方や酒の飲み方や部屋の設(しつら)えや飾り付けの一つに至るまで、ある種、何らかの「季節外れ」を演じることが、どこかしら僕は気に入らない所があって、そのような態度や趣味や、あるいは発言や動作に出会(でくわ)すと、つい僕は瞬発的に、生理的な拒絶反応を催してしまうのである。例えば、と先刻、ここから僕の今回の「エッセー」は始まる予定であったので、もう一度、文頭に立ち戻り、繰り返そう。――フランシス・ベーコンが『随筆集』の筆を執ったのは、いまだ彼が三十代の半ばを過ぎたばかりの、厳密に言えば、36歳の時のことであった。

そして、そこから15年後、第二版が出版されるのは、彼が51歳の折の、1612年のことであり、この段階で、ちょうど「エッセー」の数は40篇に上り、さらに最後の、第三版では58篇に達し、これが今、君や僕が彼の『随筆集』を手に取る際の、基本的な順序と構成になっている。なお、かなり細かいことを付け加えると、実は最初の、第一版においては、わずかに10篇が収められていたのみで、この中の一篇(「名誉と評判について」)が第二版では除かれたり、第三版では戻されたりしているし、第二版では別々の表題であったもの(「庶民について」「戦争と平和について」)が第三版では同じ一つの表題(「王国と国家の真の偉大について」)に括られたりもしていて、とうとう巻末に未完の一篇(「噂について」)も添えられ、これで最終的に、確定版の『随筆集』は出来上がっている。

何が言いたいのか......と言うと、それは彼の存命中から、もう『随筆集』には多大の人気があって、当時の貴族社会と、その宮廷文化において、このような「エッセー」を書いたり、読んだりすることが、まさしく流行現象になっていた訳である。が、そのような流行現象は当時のイギリスで、おのずから生じたものではなく、そこには逆に、むしろフランスからの輸入が先立っていたことも、見逃されてはならない。と書き継ぐと、きっと君は16世紀のフランスで、あのモンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne,1533 -1592)が「エセー」(essais)という語を使い、その名の通りの『エセー』(Les Essais)を刊行していたことを、想い起こしてくれるに違いない。こちらは、初版が1580年であったから、フランシス・ベーコンの『随筆集』を遡ること、さらに17年前の出来事である。

ちなみに、この影響関係自体は、そのまま『随筆集』の冒頭(「献呈書簡」)でも、フランシス・ベーコンが「この言葉〔エッセーズ〕は最近のものですが、その実体は昔からあります」と、セネカの『道徳書簡』を引き合いに出し、強がり(?)を言っている箇所があるから、かえって明瞭である。言い換えれば、このようにしてフランスで、モンテーニュから始まった「新哲学者」(nouveaux philosophes)の系譜は、なるほど、その後継者を17世紀の、デカルトやパスカルや、いわゆる「モラリスト」(moraliste)たちの中に、さまざまな形で見出すことにはなるのであるが、その影響は意外にも、はるかに海を越え、17世紀のイギリスに飛び火をし、君や僕が「経験論」(empiricism)と呼んでいる主義主張(イズム)に対し、かっこうの表現方法と、その様式を提供することになる。

また、それが再度、今度はヴォルテール(Voltaire,1694-1778)等を介して、ふたたび18世紀のフランスに舞い戻り、要は「逆輸入」をされるに至るのも、君は充分に弁(わきま)えてくれているのではあるまいか。なにしろ、そもそもフランス語の「エセー」にしても、あるいは英語の「エッセー」にしても、これらを単に字面どおりに、何かを試(ため)すとか、試(こころ)みるとか、このように置き換えているだけでは――実は何も、これらの語の含み持つ、哲学的な志向性と、その情熱は理解されないからである。事実、そこには従来の、通例の「講壇哲学」に対する、断固たる反抗の精神と、その端的な、わかりやすい意志表示として、あくまで君や僕の経験(experience)に即し、それを踏まえながら、お互いの生活と人生の哲学を、構築しようとする願いが込められていた次第。

なお、このように言い出すと、よもや君は僕が「経験論者」であって、ごく普通に日本語で、次のような「経験主義」の信奉者であるかのごとく、誤解をすると困るので、ここで『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の語釈を紹介しておくと、まず「経験主義」とは「哲学で、あらゆる認識の源泉は経験にあり、経験的事実だけが真理の基準であると考える立場」であったり、ごく一般には「物事を理論より経験に基づいて考えようとする態度」を意味していたりする訳である。その限りにおいて、このような態度を僕自身は、それほど嫌いではないし、日常生活において、それなりに共感できたり、賛同できたりすることも、少なくはないけれども、それは飽くまで日常生活の、ありきたりの付き合いに際してのことであり、このような考え方を徹頭徹尾、推し進めるのとは違った話である。

その点、哲学史の教科書あたりでは、このような「経験論者」の代表と目される......フランシス・ベーコンその人が、むしろ狭隘な「経験主義」とは別の所で、違う目で物を考えたり、人と交わったりしていたことは忘れられてはならないであろう。もちろん、このような彼の、まさしく経験自体も、それ相応に年齢と共に変化をしたり、変節を遂げたりしていることは確かであるし、そのような変貌を楽しむことも、この『随筆集』に収められた、彼の三十代から六十代へと至る、おおよそ30年間の「エッセー」の軌跡を辿ることに通じていたはず。でも、それにも拘らず、やはり一人の人間にとって、変わらないものは変わらないことも、これまた確かであって、その点、この『随筆集』の冒頭に当初、以下のごとき「学問について」が掲げられていたことに、僕は関心を示さざるをえない。

 

学問に時間を〔、〕かけすぎるのは怠慢である。それを飾りのために利用しすぎるのは気取りである。何もかも学問の規則で判断するのは、学者の習性である。学問は本性を完全にし、経験によって完成される。生来の能力は自然のままの植物のようなものであって、学問による刈り込みを必要とするからである。また〔、〕学問そのものは、経験によって抑制されなければ、余りにも漠然とした指図を与える。すばしこい人間は学問を軽蔑し、単純な人間は〔、〕それに感嘆し、賢い人間は〔、〕それを利用する。学問は〔、〕それ自身の使用法を教えないからである。しかし、それは学問外の、学問以上の、観察によって得られた知恵である。

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