ホームメッセージ学問について ――「教養」の来た道(296) 天野雅郎

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学問について ――「教養」の来た道(296) 天野雅郎

前回は経験について、いろいろ僕は君に話を聴いて貰(もら)ったのであるけれども、いささか話の筋道が横に(それとも、先に)逸(そ)れてしまった嫌いが、なきにしもあらずなので、その地点から今回は、ふたたび話を始めたい。と、このようにして試行錯誤(trial and error)を繰り返しながら、そもそも君や僕が段々、少しずつでも目的に向かって、前に進んでいくのが「経験」の特徴でもあったのであり、それは例えば『日本国語大辞典』(2006年、小学館)が「哲学で、一般的には、感覚や知覚を介して実際に生じた主観的状態や意識内容をいう。プラグマティズム〔pragmatism=「行為」主義+「実用」主義+「道具」主義etc.〕では自己と環境の交互作用を通じて発展していく〔、〕知性の過程全体」と、この「経験」という語の三番目の説明文で、述べている通りであった。

ちなみに、同辞典の一番目の説明文には「実際に見たり、聞いたり、行なったりすること。また、それによって得た知識や技能」とあって、その用例には江戸時代の随筆(『兎園小説別集』)が挙げられているので、この「経験」という語自体は近代(=明治時代)以降になって産み出された、いわゆる翻訳語ではなく、漢語(→中国語)であったことが分かるし、このような「経験」の使い方は現在でも、ごく普通に君や僕が用いている、この語の意味であったはずである。でも、それと並んで二番目の説明文には、同辞典は単に「実験」という語を挙げ、こちらは中村正直(なかむら・まさなお)訳の『西国立志編』を用例に挙げているから、どうやら江戸時代から明治時代へと、私たちの国の近代化が進む中で、一時的に「経験」は「実験」の同義語である時期が存在していたようである。

と、このように書き継いでから、ふと僕は、この話題を以前、別の形で一度、君に話をした機会があったのでは......と想い起こし、調べてみると、ありました、ありました。もう今から五年余りも前に、僕は君に太宰治(だざい・おさむ)の『津軽』や『思ひ出』のことを喋っていて、そこで「経験」と「体験」と「実験」の違いや、裏を返せば、その類似性や共通性について、あれこれ書き連ねていたのであった。そして、そこで僕は「明治初期に「実験」は、「経験」と混用された時期もあったが、「経験」は哲学に、「実験」は自然科学に〔、〕という使い分けが徐々に生じ、明治三〇年代以降に定着を見た」とする、同辞典の語誌も紹介しておいた訳である。まあ、その時以来、僕に言わせれば、結果的に哲学も自然科学も、そろって不幸な道を突き進むことになったのであるけれども。

論より証拠、ここで験(ため)しに――と、これは「経験」なのか知らん「実験」なのか知らん、はたまた「試験」なのか知らん。いずれにしても、ここで験しに日本最古の哲学辞典(『哲學字彙』)を引いてみると、そこに英語の experience の訳語に宛がわれているのは「経験」と「練過」であり、これに対して英語の experiment には「試験法」が、ラテン語の experimentum crucis には「精細試験法」が宛がわれている。これが明治十四年(1881年)の段階であり、この状態は明治十七年(1884年)の『改訂増補・哲學字彙』でも、まったく変わらず、はじめて変化(激変!)が生じるのは明治四十五年(1912年)の『英獨佛和・哲學字彙』であり、そこでは驚くべきことに experience の訳語に「経験」と「練過」に加え、さらに「親歴」と「閲歴」と「親践」と「実歴」が並んでいた次第。

これに対して、逆に experiment の方には「試験法」が消え、これが「実験」と「試験」という訳語に落ち着き、むしろ細かい区分として、そこに blank experiment(無実実験)や crucial experiment(精細実験・決定実験)や puzzle experiment(惑迷実験)が付け加わっている。おまけに、この時代(すなわち、20世紀)の特徴と言うべきであろうが、さらに形容詞の experimental(実験的)が登場し、とうとう experimental science(実験科学)も日本語として日の目を見るに至っている。なお、ご参考までに「実験科学」の項を『日本国語大辞典』で調べると、そこには「実験を研究の主な方法とする科学。思考および観察だけで行なわれる数学・天文学以外の自然科学の大半および心理学を含む」という語釈が置かれ、これで話は、ようやくフランシス・ベーコンに舞い戻った訳である。

さて、このようにして振り返ると、おそらく君も「実験」という語と「経験」という語が、あるいは「科学」という語と「学問」という語が、それほど容易に分別(ブンベツ?フンベツ?)が出来たり、要は分(わか=別)ったりすることの叶う、単純な言い回しではなく、そこには反対に、この150年ばかりの間の、日本の社会史や文化史や、政治史や経済史や、まさしく科学史(history of science)が、複雑に折り畳まれていることに気が付いてくれるに違いない。それどころか、そこには短く見積もっても、ほかならぬフランシス・ベーコンの生きていた、16世紀後半から17世紀前半へと及ぶ、はげしい歴史の渦が控えているのであって、そのような転換期(ターニング・ポイント)を生きた、一人の哲学者(+政治家)のことを、僕は目下、どうにか君に伝えようとしているのである。

その意味において、僕は前回、君にフランシス・ベーコンの『随筆集』の中から、もともと、その冒頭に据えられていた、あの「学問について」の一節を紹介しておいたのであるが、その際も触れた通り、この『随筆集』の初版を彼が出版したのは、何と35歳の折であり、それを若いと見るのか、見ないのかは、それこそ「経験」の問題であろうが、少なくとも人間が、その人生を50年程度で慮(おもんばか=思量)っていた頃の35歳は、昨今の君や僕の考える35歳とは、まったく別物であって当然であろう。例えば......と、僕が当時、彼と完全な、ただし地球の裏側の同時代人(コンテンポラリー)であった、織田信長(おだ・のぶなが)の好んだ幸若舞(こうわかまい)の『敦盛』の一節(人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり)を持ち出せば、君は変な顔をするであろうか。

ともあれ、ここでフランシス・ベーコンが「学問」と称しているのは、英語に直せば君も熟知の、あの「スタディー」(study)のことであり、これを彼は複数形にして、この章の表題(of studies)にしている。なぜ複数形なのか、と言えば、それは「学問」が彼にとって、以下のような様々な効用と、それに即した、年齢や立場や状況を伴っているからであり、また、そのために「学問」は、君や僕に何とも多くの、多様で多彩な「健康」と、翻れば「病気」の除去を約束してくれているからである。が、このような『随筆集』の一節を読み、それでも君がフランシス・ベーコンを、いまだ堅苦しい、教科書どおりの枠に封じ込め、彼を「近代科学」や「実験科学」の創始者に祭り上げ、彼を理解した心算(つもり)になっているのであれば、よほど君には、教養という名の治療が必要であろう。

 

学問は〔思考の〕楽しみと〔弁論の〕飾りと〔仕事を処理する〕能力のために役立つ。楽しみのためになる学問の主な効用は、私生活と隠退時にある。飾りのためになる主な効用は、会話にある。そうして能力のためになる主な効用は、仕事についての判断と処理にある。〔中略〕歴史は人々を賢明にし、詩人〔の作品〕は才気煥発(かんぱつ)にし、数学は明敏にし、自然哲学は考え深くし、道徳は厳粛にし、論理学と修辞学は議論好きにする。「学問は性格となる」(オウィディウス『名婦書簡』)それどころか、適切な学問によって除かれないような知能の傷害もしくは故障は存在しない。それは身体の病気に適切な運動があるのと同じである。

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