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蛸(たこ)のエピソード ――「教養」の来た道(30) 天野雅郎

前回、僕は「蛸壺(たこつぼ)の夢」と題して、あれこれ蛸壺に纏(まつ)わる話を君に聴いて貰(もら)ったけれども、今回も性懲(しょうこ)りも無く、僕は蛸壺ならぬ、蛸壺の中に住んで(棲んで?)いる、蛸(たこ)の話を君に聴いて貰いたい、と思っている。その意味において、もともと古代のギリシア人が、いわゆる「ギリシア悲劇」の二つの合唱の間に差し挟んだ、対話の部分を意味するギリシア語(epeisodion)に因(ちな)んで、その名の通りのエピソード(episode=挿話)を、僕は君に語りたい。が、あまり蛸の話ばかりを続けていると、なんだか君に変な目で見られてしまいそうな気がしないではなく、そうなってしまうと、いささか僕も心外な気がしないではなく、そこで今回は趣向を凝らし、君に嫌われないような蛸の話をする積もりでいるので、大目に見て欲しい。

とは言っても、ひょっとすると君が「関西人」(これって、はたして何処から何処までを許容範囲とする語であるのか、僕自身も、よく使い方の分からない語であるから、困っているのであるが、例えば「和歌山人」は「関西人」に含まれるの、含まれないの……?)で、一家に一台は「たこ焼き器」を持っている、という伝説の家で生まれ、育ったのであれば、決して君が頭ごなしに、蛸の話を馬鹿にするはずはない、と密かに僕は思ってもいる。なお、もともと「たこ焼き」は大阪で、昭和10年(1935年)に誕生した、とするのが通説であるけれども、そのルーツを遡ると、どうやら明石で江戸時代の終わり頃から食べられていた、現在の「明石焼き」(地元の呼称は「玉子焼き」)にまで辿り着くようであるから、ここでも蛸壺と並んで、ふたたび「たこ焼き」の故郷は、明石のようである。

ところで、そもそも君は、蛸の寿命(!)が平均的に、たかだか1年程度に過ぎず、君や僕が「たこ焼き」にしたり、刺身や煮物や酢の物や、場合によっては「しゃぶしゃぶ」にしたりして食べている、いわゆる真蛸(まだこ)が例外的に、その寿命は2年から3年であることを、知っていたであろうか? 知っていたのであれば、例えば前回、僕が君に紹介した芭蕉の一句(蛸壺や/はかなき夢を/夏の月)も、その「はかなき夢」を、より君や僕の身近なものとするように感じられるのであるが、いかがであろう。――とは言っても、このような知識を蓄えて、君や僕が「たこ焼き」や、あるいは蛸飯(たこめし)や蛸の寿司(「にぎり」)や、蛸のカルパッチョや「おでん」を口に運ばなくなるとは、とうてい考えられず、むしろ事態は逆ではなかろうか、と思えるのであるから不思議である。

と言ったのは、驚くべきことに、蛸を「悪魔の魚」(devilfish)と呼び、反対に、食べない国も存在しているし、古来、ユダヤ教徒は蛸を禁忌(タブー)と見なし、断じて「その肉を食べてはならない」と規定する、旧約聖書(『レビ記』第11章)の伝統も存在しているからである。……君や僕には、まったく遵守不能な規定であるが、その理由を、参考までに引いておくと、蛸は「すべて水に群がるもの、また、すべての水の中にいる生き物のうち、すなわち、すべて海、また川にいて、鰭(ひれ)と鱗(うろこ)のないもの」であって、それらは「あなたがたに忌むべきもの」とされなくてはならない。――「これらは、あなたがたに忌むべきものであるから、あなたがたは、その肉を食べてはならない。また、その死体は忌むべきものとしなければならない」(日本聖書協会、1955年改訳)。

ところが、そのような蛸の学名が、ラテン語のoctopodaであることを、仮に君が知っているとしたら、ひょっとすると君は生物学(biology=生命学)を専攻する学生であるのかも知れない。でも、そうであるのならば、なおさら僕は君に、蛸の学名……直訳をすれば「二項名」(binominal name)や「科学名」(scientific name)が、どうしてラテン語で表記されなくてはならないのか、しかも、それが蛸の場合には、これを「デヴィル・フィッシュ」と称して、きっと「たこ焼き」にも、蛸の刺身にも煮物にも酢の物にも、一度として舌鼓を打ったことがないに違いない、イギリスの生物学者、ウィリアム・エルフォード・リーチ(Willam Elford Leach, 1790-1836)の名を冠し、その栄誉を称えなくてはならないのか、釈然としない思いを僕が抱いていることも、正直に、君に伝えておこう。

ちなみに、君も英語で蛸のことを、オクトパス(octopus)と呼ぶのは、知っていたであろうが、この語は遡ると、そのまま「8本足」の意味に他ならない。と言うのも、この語は元来、ギリシア語の「8」(okto)と「足」(pous)から産み出された、まさしく「8本足」(oktopous)のことであり、これが古代の、ギリシア人からローマ人へと受け継がれ、ただし、それをローマ人は、どうやらヒドラやイソギンチャクと一括りにして、文字通りの「多本足」(polypus)と呼んでいたようであるけれども、これが再度、英語の中に息を吹き返すのは、何と1758年(私たちの国の年号で言えば、宝暦8年)のことであり、さらに、これがoctopodaという形を取って、結果的に学名として登録されるのは、1818年(私たちの国の年号で言えば、文化14年から文政元年への、改元の年)の出来事であった。

そもそも、この蛸という漢字を、私たち――君や僕のような「日本人」は、ごく当たり前に「たこ」と読み、それ以外の読み方を知らないことに対して、何の不審感も抱いてはいないのが通常である。もっとも、この漢字を君が「たこ」と読めない懼(おそ)れも、ない訳ではなかろうが、そのこと自体、それほど嘆かわしいことではないから、心配しなくても構わない。……なぜなら、ここで例えば僕の愛用の漢和辞典、白川静の『字通』(1996年、平凡社)を引くと、この漢字を「たこ」と読むのは日本語(と言うよりも、和語)に独自の、固有の読み方(すなわち、国訓や和訓と呼ばれる読み方)であり、この漢字のルーツである中国語(と言うよりも、漢語)では、その字面(虫+肖)の通りに蟷螂(かまきり)や、あるいは蜘蛛(くも)のことを、指し示すのが本来の用法であったから。

と言ったら、ことによると君が、大の虫嫌いで、文字通りに虫(むし)が蒸(む)し蒸(む)しする頃、群(む)れを成し、ゾロゾロと生(む)している姿(「蟲」)など(白川静『字訓』)、想像しただけでも失神してしまいかねない、虫アレルギーである可能性(危険性?)も、ない訳ではなかろうから、そのような時には、どうか今回の話には、目を瞑(つぶ)って欲しい限りであるが、それでも君が我慢をして、もともと蛸(呉音:ショウ、漢音:ソウ)という漢字は、蟷螂や蜘蛛のように、足が細く、長く、6本も8本も生えている、小さい虫の類いを指し示していたことを知っておいても、損は無い。裏を返せば、そのような君が平然と、それでも蛸をパクパクと口に運ぶことが叶うのは、なぜなのか。言うまでもない。それが君の、蛸を虫ではなく、魚と見なす、日本人の性(さが)である。

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