ホームメッセージ仏について ――「教養」の来た道(305) 天野雅郎

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仏について ――「教養」の来た道(305) 天野雅郎

神(かみ)について書いたので、ついでに仏(ほとけ)についても書いておく。と言い出すと、何やら「罰」(呉音→バチ、漢音→ハツ、慣用音→バツ)が当たるのではないか知らん......と妙に心が後ろめたく(→後ろ辺、痛く)なったり、胸の辺りがザワめいたり(→ザワザワ)するのは、やはり僕が一人の、これでも仏教徒の端(はし)くれであるからなのかな。とは言っても、このような言い回し自体が、おそらく同じ仏教徒であろう、若い君のような世代には理解しづらく、何のことやら、さっぱり訳が分からないと困るから、まず今回は『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「ばち」を引いて、その語釈を君に紹介することから始めたい。――「神仏が、人間の悪い行ないを罰して、その〔、〕こらしめ・つぐないとして苦しみを与えること。また、その苦しみ。天罰。たたり」。

なお、この説明の後に『日本国語大辞典』は補注として、もともと「悪行や罪の〔、〕つぐないとして科されるものを「ばつ」、神仏によって与えられる〔、〕こらしめを「ばち」と区別するが、ともに「罰」の字音」と述べていて、そもそも日本人は英語で言う、法律上の罪(crime)にも、また道徳上(=宗教上)の罪(sin)にも、いずれも「罰」という字を宛がっていたことが分かる。が、そのような「罪」(つみ)が古くから、例えば『古事記』や『日本書紀』や『万葉集』に、さまざまな用例を見出しうるのに対して、どうやら「罰」の方は遡っても、せいぜい『今昔物語』(平安後期)や、あるいは『平家物語』(鎌倉前期)が上限のようであるから、そうすると、この語と日本人の付き合いも存外、古代的ではなく、中世的であったり、近世的であったり、するのかも知れないね。

ともかく、このようにして「罰」が、これを「ばつ」と読んでも、はたまた「ばち」と読んでも、どちらも「神仏」から齎(もたら)されるものであることを、君は納得できる側であろうか。それとも、納得できない側であろうか。ちなみに、ここでも前者(すなわち、神)の科するのが「神罰」(しんばつ)と称されるのに対して、なぜか後者(すなわち、仏)の与えるのは「仏罰」(ぶつばつ)ではなく「仏罰」(ぶつばち)と呼ばれるのが普通であるが、ひょっとすると「神仏」も忙しくて、法律上の罪にも道徳上の罪にも、すべて顔を出すのは大変であるから、法律の方は神が受け持ち、道徳の方は仏が引き受ける――という役割分担、と言おうか、分業制度が取られているのか知らん。と、このようなことを想像すると、当たるのは「神罰」であろうか、それとも「仏罰」であろうか。

でも、いったい「神仏」は何の気まぐれで、君や僕に「罰」を下す存在になってしまったのであろう。なにしろ、もともと「神」とは漢語(→中国語)においても和語(→日本語)においても、ある種の「自然神」(=天神+地祇)を意味していた訳であり、それが地震や雷(かみなり=神鳴)や火事や、おまけに親父(おやじ)の姿を身に纏(まと)っていたとしても、その特徴は気まぐれで、まさしく「その時その時の気分で、心が変わりやすいこと。心に落ち着きがなく移り気なこと。また、そのような性質や行動」(同上)を意味するためにこそ、この「神」という語は作られ、用いられてきたはずなのであるから。その点、いわゆる「神」の性質や行動は予測不能であることに、その本質があるのであって、これを君や僕が予測したり、対処したりすること自体、無駄な話なのである。

ところが、そのような「神」が奇妙なことに、なぜか君や僕に対して、いつの間にやら「罰」を下す存在になってしまったのであれば、これは一体、どのような事態を指し示しているのであろう。ついでに......と、またもや付け足しのような言い回しになり、恐縮であるが、これと歩調を合わせるかのごとく、かつて古代のインドにおいて「覚者」を意味し、その名の通りの「覚(さと=悟)り」を開いた者である、あの「ブッダ」(Buddha)がインドから中国へと、そして朝鮮半島を通じて日本へと、長い、長い、はるかな旅を続けた果てに、とうとう「ほとけ」という日本語を産み出すに至っても、この「ほとけ」は「仏」(ふつ→ほと)の「気」(け)であれ、あるいは「化」(け)であれ「仮」(け)であれ「怪」(け)であれ、ことごとく「罰」とは、無縁な存在であったはずである。

言い換えれば、このような「仏」(ほとけ)の教えである仏教(Buddhism=覚者主義)とは、あくまで君や僕が生まれ、生き、やがて誰かと恋愛をしたり、結婚をしたり、家族を営んだりしながら、とうとう年を取り、老人となり、ある時は病気になり、ある時は怪我もしつつ、そのような悲喜こもごもの体験を経て――最後には死んでいくことが待っている、そのような人生行路の中に、どのようにしたら君や僕の、まさしく「覚悟」の念を持ち込むことは叶うのか、そのための、はなはだ実践的な解決策を提供するものであったに違いない。そうであるとするならば、仏教とは君や僕にとって、あまり宗教とか信仰とか、このような語と結び付ける必要のない、むしろ、結び付けてしまうと仏教の、いちばん大切な要素が何処かに、見失われたり、忘れられたりするものなのではあるまいか。

と、このようなことを書き継ぐと、まさか僕を「罰当たり」だとか「罰は目の前」だとか、面と向かって叱ったり、罵(ののし)ったりする人は、この「無宗教」や「無信仰」の御時世には、それほど多くは、いないであろうが、これが仮に僕の幼年期や少年期であったとしたら、さて、いかがであったろう。多分......と言って、僕が想い起こすのは明治時代に生まれた、例えば祖母の顔であるけれども、要するに君や僕の生きている、この日本という国が「経済成長」を遂げていた頃には、いまだ明治時代に生まれ、育った日本人(大日本帝国人!)が老人となって暮らしていて、その人たちの口からは繰り返し、あたりまえのごとく「仏」(ほとけ)の「道徳」が飛び出していたのである。さながら明治四十二年(1909年)に生まれた、あの太宰治(だざい・おさむ)の『思ひ出』のように。

 

たけ〔といふ女中〕は又、私に道徳を教へた。お寺へ屢々〔しばしば〕連れて行つて、地獄極楽の御絵掛地〔おゑかけぢ〕を見せて説明した。火を放〔つ〕けた人は赤い火の〔、〕めらめら燃えてゐる籠〔かご〕を背負はされ、めかけ〔妾〕持つた人は二つの首のある青い蛇に〔、〕からだを巻かれて、せつながつてゐた。血の池や、針の山や、無間奈落〔むけんならく〕といふ白い煙のたちこめた底知れぬ深い穴や、到るところで、蒼白〔あをじろ〕く痩〔や〕せたひとたちが口を小さくあけて泣き叫んでゐた。嘘〔うそ〕を吐〔つ〕けば地獄へ行つて〔、〕このやうに鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。

 

おそらく、このような事態は太宰治の亡くなった、昭和二十三年(1948年)以降、この国の風土や風物の中から次々と姿を消した、代表的な風景の一つであったに違いない。そして、その背景には当然、この二年後に始まった「朝鮮戦争」と、それが齎(もたら)した「特需」(special procurements=特別調達)に象徴される、いわゆる「高度経済成長期」が控えている。――と、このようなことを僕が今日(6月19日)思い付いたのは、たまたま今日が太宰治の「桜桃忌」であったからなのか知らん。その意味において、僕は以下、ついでに......と言い出すと、また「罰当たり」の一つにも、なりかねないが、この『思ひ出』という小説(処女作!)の冒頭を太宰治は、次のように書き出していて、そのこと自体が僕には実に興味深く、これを君にも紹介しておくことにしよう。グッド・バイ。

 

黄昏〔たそがれ〕のころ私は叔母と並んで門口に立つてゐた。叔母は誰かを〔、〕おんぶしてゐるらしく、ねんねこ〔→半纏〕を着て居た。その時の、ほのぐらい街路の静けさを私は忘れずにゐる。叔母は、てんしさま〔天子様〕が〔、〕お隠れになつたのだ、と私に教へて、生き神様、と言ひ添へた。いきがみさま、と私も興深げに呟いたやうな気がする。それから、私は何か不敬なことを言つたらしい。叔母は、そんなことを言ふものではない、お隠れになつたと言へ、と私をたしなめた。どこへ〔、〕お隠れになつたのだらう、と私は知つてゐながら、わざと〔、〕さう尋ねて叔母を笑はせたのを思ひ出す。〔改行〕私は明治四十二年の夏の生れであるから、此の大帝〔=明治天皇〕崩御のときは数へどしの四つを〔、〕すこし越えてゐた。

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