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宗教は、お好きですか? ――「教養」の来た道(31) 天野雅郎

宗教は、お好きですか? ……と訊かれたら、君は何と答えるであろう。好きです、と答える側であろうか。嫌いです、と答える側であろうか。どちらでも構わないけれども、僕自身は多分、さしあたり声を高く張り上げて、大嫌いです(!)と答えるであろう。とは言っても、もともと問い(question)と答え(answer)の間には、それ相応の人間関係が前提とされているのが通常であり、そのような約束事を踏まえた上で、私たちは普段、誰かに何かを問うたり、答えたりしているのであるから、いつも僕が決まった形で、同じ答え方をするのか、どうかは保証の限りでなく、場合によってはニコニコとして、あるいはニヤニヤとして、これでも案外、見た目(?)とは違って「宗教好き」なのですよ、と抜け抜けと応じたりすることも、ありうる話であり、その点、実に人間は恐ろしい。

でも、このような僕の、いかにも「いい加減」な態度においてすら、そもそも僕は「宗教」という語に対して、どのようなイメージを持ち、どのようなメッセージを、この語から受け取っているのであろう。――そのことを振り返るために、まず今回は『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引くことから始めたい。すると、そこには冒頭に「宗と教、または宗の教、あるいは宗すなわち教の意」という、まるでチンプンカンプンの説明文が置かれているのであるから、驚かされる。しかも、その後には続けて、この「教」は「教説」の意であり、もう一方の「宗」は、その「教が主とするところの理」の意である、という補足が加えられていて、どうやら僕のような門外漢は、門の外で立ち往生(!)をせざるをえないようであるが、その理由は元来、この語が「仏語」であったから。

したがって、そのまま『日本国語大辞典』も「仏語。仏の教え。また、宗門の教え」という語釈を、この語の第一の語釈に掲げているけれども、そのことで逆に、この語が現在の君や僕とは、相当に違った使い方をする語であったことを、君に知って貰(もら)うことにはなったはずである。言い換えれば、君や僕は平生、この「宗教」という語で世界中の、ありとあらゆる「宗教」のことを指し示すことに慣れており、そのことを訝(いぶか)しく感じたり、不審に思ったりすることもないのであるが、よく考えてみれば、このような事態は世界中に、はなはだ多くの、さまざまな「宗教」が存在していることを知っていなければ、起こりえない事態であって、そのためには君や僕の頭の中で、この語が単数形(singular)ではなく複数形(plural)で、理解をされているのが前提である。

このような前提は、手っ取り早く言えば、君や僕の生きている世界が、文字通りの国際的な世界であり、それどころか、それはグローバルな世界に他ならないことを、呆れ返るほどにアケスケに、物語っているけれども、このような「世界」が姿を見せる、それ以前(「国際化以前」)の時代には、世界は観念的に球体であっても、決して現実的に球体であった訳ではなく、世界には複数(と言うよりも、無数)の、多様な中心が散在(と言うよりも、混在)し、それが周囲に向かって、それぞれ同心円状の世界を描き合っていたはずである。その意味において、君や僕が普段、とかく「宗教」を古めかしい、昔ながらのものであるかのように見なしているのは、それ自体が時代錯誤の、いわゆるアナクロニズム(anachronism)の産物であることを、しっかり把握しておかなくてはならない。

ところで、このようにして「宗教」という語の、第一の語釈の典拠(初出?)に『日本国語大辞典』が挙げているのは、中国の宋代の禅僧、圜悟克勤(エンゴ・コクゴン)の『碧巌録』(1125年)であり、それは折しも、私たちの国が古代の終焉を迎え、古代から中世へと、歴史的な転換期(ターニング・ポイント)が訪れようとする頃の出来事であった。裏を返せば、そのような激動期に「宗教」という語が生まれ、育ち、当時の人々の心に強く訴え掛ける力を持つ語となりえた事態を、あらためて私たちは想い起こす必要がある。なぜなら、そもそも「宗教」という語の根源には、いつも革新性や革命性が宿っており、そのような改革(reformation)や変革(revolution)の力を備えているからこそ、そもそも「宗教」は世界中で、歴史的な影響力を揮(ふる)い続けてきたのであろうから。

ここまで来ると、いったい僕の、何処が「宗教嫌い」であり、何処が「宗教好き」であるのかを、君は察してくれているのではあるまいか? とは言っても、これ以上の個人的な「宗教」への好悪を、ここで僕は君に話し続ける積もりはなく、その代わりに、この場で僕が君に知っておいて欲しいのは、この「宗教」という語が中国から、やがて私たちの国へと伝えられ、そこに独自の、豊かな実を結んだことである。そして、それは同時に日本の中世の、最も華やかな時代……その意味においては「中世の春」と称しても構わない、南北朝時代から室町時代の初期の頃に当たっており、ふたたび『日本国語大辞典』を参照すると、そこに典拠として挙げられているのも、蕉堅道人(しょうけん・どうじん)こと絶海中津(ぜっかい・ちゅうしん)の、漢詩文集(『蕉堅藁』)であった次第。

と、僕が書いた時点で、君が「ヘエ~」とか「ホオ~」とか、ある種の驚きの声を挙げてくれるのであれば、もう君は、これから僕の駄文を読む続ける必要はなく、どんどん自分で、君は君の「教養」の道を歩いて行くのが似つかわしい。が、断じて僕は、君を見縊(みくび)ったり、侮(あなど)ったりしている訳では、ないけれども、そのような奇跡(ミラクル)は、とうてい現代の日本には起こりえない奇蹟であろうから、僕も今回を限りに、この駄文の筆を折らずに済むはずである。とは言っても、ひょっとして君が高校生の頃、日本の文化史(cultural history=教養史)に興味を持ち、その中でも特に、宗教や文学に関心のある、何とも頼もしい高校生であったとすれば、この絶海中津という禅僧の名を、君も一度は教科書あたりで、目にしたことがあったのではなかろうか?

また、そこには多分、この禅僧が室町幕府の、第三代将軍(足利義満)の頃に花を開いた、いわゆる「北山文化」を代表する存在であり、彼を始めとする臨済宗の僧――例えば春屋妙葩(しゅんおく・みょうは)や義堂周信(ぎどう・しゅうしん)によって、日本の中世の最高の文化が形作られたことも、説明されていたはずであるし、いささか世代は異なるが、そこには頓知(とんち)話で有名になり、ゆくゆく絵本や漫画や、TVのアニメやドラマの「一休さん」として知られることになる、一休宗純(いっきゅう・そうじゅん)の名も、付け加えられていたに違いない。それどころか、私たちが「日本文化」という名で呼んでいる、典型の幾つかは、文学であれ、絵画であれ、建築であれ、演劇であれ、実は、この時代の「宗教」を母胎として、産み出されたものに他ならなかったのである。

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