ホームメッセージ日本人の宗教心 ――「教養」の来た道(311) 天野雅郎

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日本人の宗教心 ――「教養」の来た道(311) 天野雅郎

今日出海(こん・ひでみ)という名を聞いても、およそ当世風の大学生である君には、影も形もない名であろうが、彼が東京帝国大学の仏文(=仏蘭西文学)科に入学して、小林秀雄(こばやし・ひでお)や三好達治(みよし・たつじ)の同期生(クラスメート)となった頃から、今回の話は、はじまり、はじまり。この時、実に今から90年余りも昔の、大正十四年(1925年)のことであり、当時の東京帝国大学、仏文科の教員には辰野隆(たつの・ゆたか)や鈴木信太郎(すずき・しんたろう)がいる。とは言っても、このような「大先生」たちの名も、君には皆目(かいもく)さっぱりの状態であろうから、これ以上の説明は控えるけれども、とにかく、このような「大先生」たちの薫陶(クントウ)を受け、その謦咳(ケイガイ)に接することで、今日出海の学生生活はスタートを切った。

ちなみに、このようにして今日出海の生涯を語り出すと、さっそく君は彼が、フランス文学方面の仕事をした人物であるかのように、錯覚をすると困るので、あえて付け加えておくけれども、彼は確かに「文学者」ではあるが、その活動の中心は小説であったり、評論であったり、さらに演劇であったりしたのであり、いわゆる「文学者」というイメージで彼を捉えない方が、むしろ得策であろう。事実、結果的に彼を有名にしたのは兄の今東光(こん・とうこう)と並んで、昭和二十五年(1950年)に『天皇の帽子』で「直木賞」を受賞したことであったし、それ以外にも、やがて彼が昭和四十三年(1968年)以降、初代の「文化庁」の長官を務めたことに、はっきり示されている通り、どんどん彼自身は政治や権力の渦の中へと、身を投じていくことになる。これまた、兄の今東光と同様に。

さて、そのような今日出海が先刻、述べておいたように、大学時代の同窓生であった小林秀雄と、その出会いから数えて、ちょうど半世紀(50年!)後の昭和五十年(1975年)になって、その名の通りの「交友対談」をしている記録が、例の小林秀雄の対話集(『直観を磨くもの』2014年、新潮文庫)には収められている。そして、そこには御年(おんとし)70歳(=古稀)を過ぎた、この二人の間の興味深い逸話(anecdote)が、あれこれ語られているのであるが、僕が今回、この対話を君に紹介しようと思い立ったのは、他でもない。この対話の途中で、三年ほど前までの四年間、上記のごとく初代の「文化庁」の長官であった、今日出海が「今日は、実は宗教の事を〔、〕ちょっと話したかったんだ。日本に〔、〕いったい宗教が〔、〕あるのか、ないのか......」と言っているからである。

と、このように書き継いでも、君には事情が、よく分かり兼ねるであろうが、そもそも「文化庁」(Agency for Cultural Affairs→ACA)とは『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の語釈を借りると、まず「文部科学省の外局(もとは文部省の外局)の一つ」であって、そのスタートは「昭和四三年(一九六八)文部省文化局と文化財保護委員会とを統合」したのが始まりであり、この経緯からも窺えるように、その目的が「文化の振興」や「文化財保護」や、あるいは「国際文化交流の振興」に置かれている点は、きっと君も納得済みであったに違いない。が、それと共に、何と「文化庁」は「宗教に関する行政事務を行なうことを任務とする」ものであり、その意味において、ほかならぬ「宗教」は「文化」の一領域でもあり、その代表格でもありえたことを、君は知っていたであろうか。

その意味において、と僕は繰り返すけれども、このような「宗教」の話題を今日出海の側から、小林秀雄に「今日は〔中略〕ちょっと話したかったんだ」と持ち出していることに対して、いささか僕は関心を持っている。とは言っても、この時、具体的に今日出海と小林秀雄の頭の中に、どのような「宗教」の姿が浮かび上がっていたのか、僕自身はピンと来ない。けれども、この話題に先立って、例えば小林秀雄が今西錦司(いまにし・きんじ)の『生物の世界』(1941年、弘文堂→1972年、講談社文庫)を引き合いに出し、以下のように述べている辺りは、はなはだ僕には興味深い。――「人類の生物学的構造は、言ってみれば、バイオリンという楽器の如(ごと)く完成されていて、進歩などは考えられない。それだからこそ、バイオリニストに、新しい創造という事が可能になるのだ」。

 

それと関連させて宗教というものを考えたら〔、〕どうか、そういう事を思うのだよ。〔中略〕人類という完成された種は、その生物学的な構造の上で、言ってみれば、肝臓という器官を〔、〕どう仕様もなく持っているように、宗教という器官を持っている。〔中略〕宗教心というものは、宗教のドグマとは違うのだ。〔中略〕宗教心というものは、人間性の組織の中に〔、〕しっかり組み込まれている。だけど、ドグマは〔、〕そこから抽(ひ)き出されて来た第二次的なものだ。だから、イデオロギーは〔、〕その使用を誤れば〔、〕すぐ人間性に敵対して来る。

 

いわゆる「宗教」の話をする際に、このようにして「バイオリン」や「肝臓」の譬(たとえ=喩)を用い、それを人間の「器官」(organ→オルガン)として語ることが出来るのであれば、それは君や僕にとっても、どんなに素晴らしいことであろう。でも、このような話法や話術を、なかなか認めてくれず、許してくれないのが......これまた「宗教」の特徴でもあって、そのような「宗教」の「ドグマ」や「イデオロギー」とは違う、切り離された所で、君や僕が「宗教」の話をすることが叶うように、小林秀雄も今日出海も、お互いに「宗教心」という語を使いながら、君や僕に「日本人の宗教心」を訴えている訳である。「まあ聞けよ。日本人には宗教的なものがあると思うんだな。非常に豊かにあると思う。〔中略〕日本人は宗教的国民だとすら思うくらい、宗教的なものがあると思うね」。

このような今日出海の発言に対して、小林秀雄の応答は次の通り。――「日本人の宗教という問題で一番の困難は、他の部門の文化と同様に、やっぱり〔、〕その外来性にあるんだなあ。〔中略〕素朴な宗教的経験のうちから教理が生まれ育って行くという過程がなく、持って生まれた宗教心と外来宗教のドグマとの露骨な対立、その強引な解決というものが〔、〕まずあった。そこから宗教の歴史が始まっている」。そして、そのような「外来宗教」の代表として、小林秀雄は仏教とキリスト教を挙げているけれども、もちろん、ここに儒教や道教を加えても、まったく問題は変わらない。すなわち、このような「外来宗教」の問題は、ほからならぬ「外来学問」の問題でもあれば「外来芸術」の問題でもあり、さらに、それらは総じて「外来文化」(foreign culture)の問題であった次第。

やれやれ、またしても「たどり着いたら、いつも雨ふり~♪」(モップス)か......と僕は嘆かざるをえないが、それにも拘らず、この「交友談話」の末尾で意外にも、今日出海が小林秀雄の「おっ母さん」のエピソードを聴き、かなり酒も回ってきたのか、とうとう「日本人の親孝行」について喋り出す件(くだり)は印象的である。このような発言を目(耳?)にすると、結果的に今日出海は「職業としての文士は止め」て、たとい「官僚になろうが何になろうが、僕は文士かも知れないよ」と言っている通りの、そのような人物であったのかも知れないな、と僕も同意したい気分になってしまうのであるから、まいってしまう。まあ、このような「雨ふり」の日には「おふくろさん」でも口ずさみながら、また次回。――「雨の降る日は傘になり、お前も、いつかは世の中の~♪」(森進一)

 

親孝行は、日本人には自(おのずか)ら伝わっている。孝行の美徳じゃないんだ、〔中略〕何も〔、〕この人には美徳はないかも知れないが、本当に小林が〔、〕おっ母さんの事を思う時に、僕は感動するんだよ。〔中略〕それは〔中略〕日本人が〔、〕みんな持っている事じゃないかなと思う。僕は今の流行なんて信じられないし、馬鹿にしているんだ。こんな事を言うのは〔、〕おかしいけれど、これで、私も一種の世捨人〔よすてびと〕なんだよ。〔中略〕日本人は表面的に変わっても本質的には変わりませんよ。変わらないと思うから信じられるんだ。

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