ホームメッセージ交友について ――「教養」の来た道(312) 天野雅郎

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交友について ――「教養」の来た道(312) 天野雅郎

前回は小林秀雄(こばやし・ひでお)と今日出海(こん・ひでみ)の「交友対談」(→小林秀雄対話集『直観を磨くもの』2014年、新潮文庫)の話題を、僕は君に提供したのであるが、いささか喋り残している点もあるので、今回は再び、その「交友対談」の続きである。――と書きながら、ふと僕は、これまでにも「交友」という語を使い、あれこれ君に話を聴いて貰(もら)った覚(おぼ=憶)えがある、と気付いたので、調べてみると、ありました、ありました。実は今年の年頭に、僕は「詩人の幸福」(第五回)と題し、君に『和漢朗詠集』のことを喋っていて、その下巻に収められている、まさしく「交友」の部立に説き及び、それにも拘らず、その「交友」という語が忘れられ、見失われてしまった時代を、どうやら君や僕は生きているのではあるまいか、と嘆いていたのであった。

まあ、これは僕に限った話ではなかろうが、人間の記憶とは総じて、いい加減なものだな、と感じざるをえない。が、その際に感じていた嘆(なげ)き自体は、今でも少しも、変わっていないけれども、いつまでも長(なが)い息(いき)を吐き、いわゆる溜息(ためいき)を漏らすのは正直な所、僕の趣味ではないし、そもそも「趣味」とは文字どおりに、君や僕が生活を営み、人生を送る際の、その趣(おもむ=面向)きや味わい方のためにこそ、生まれ、育まれるべきものであって、いつも難しい顔をして、眉間(呉音→ミケン、漢音→ビカン)に皺(しわ)を寄せ、悲しみに浸り、涙を流し続けているのは、それこそ「詩人」(poet→poietes→制作者!)には似つかわしくない、いちばん「詩人」らしからぬ態度ではなかろうか、と僕は考えているけれども、さて君は、いかがであろう。

それに付けても、例えば僕が君に、その折に紹介した、あの高橋英夫(たかはし・ひでお)の『友情の文学誌』(2001年、岩波新書)に登場する面々は、それが夏目漱石(なつめ・そうせき)であっても正岡子規(まさおか・しき)であっても、あるいは森鷗外(もり・おうがい)であっても賀古鶴所(かこ・つるど)であっても、そこに成り立っている「交友」は、どこか君や僕が昨今、理解している「交友」とは、なにか違う、濃さや深さを抱えていることは疑いがない。ましてや、それがプラトンやアリストテレスを筆頭にして、ヨーロッパの「交友論」(=交友哲学)に名を連ねる面々になると、モンテーニュであれベーコンであれ、ヴォルテールであれゲーテであれ、その「交友」の鮮度は強烈であって、そこから自由と平等と友愛の、近代社会の三大スローガンも産み出されている。

と言うことは、そのような近代社会の理念を踏まえ、これを引き継ぐ形で、上記の夏目漱石や正岡子規や、あるいは森鷗外や賀古鶴所は、それぞれの「交友」を成り立たせていたのか知らん。......と、このように問われれば、なるほど、と答えざるをえない面があることは確かである。なにしろ、そのような彼らの「交友」が姿を見せるのは、あくまで当時の東京大学(明治十年設立→1877年)や帝国大学(明治十九年改称→1886年)という名の、はなはだ近代的な教育制度の中の出来事であって、逆に彼らが、このような「大学」という教育機関に身を置かなければ、彼らは一生、出会うこともなく、その「交友」を成り立たせる余地は皆無であったに違いなく、その意味において、もう10年とか20年とか早く、彼らが生まれていたら、彼らは「大学」に行くことすら、なかったはずである。

その意味において、と僕は繰り返すけれども、おそらく日本人の「交友」の歴史を辿り直す時に、このような教育制度や教育機関の問題は、無視することが出来ず、それどころか、それを抜きにして「交友」の歴史を振り返ることは不可能なのではなかろうか、と僕は考えている。と書き継ぐと、どんどん話が近代的な教育制度や教育機関に限定され、まるで近代社会が創出されなければ、そこに人間同士の「交友」も姿を見せることはない、という極端な方向に話が進むと困るので、付け加えておくけれども、むしろ「交友」を産み出すためには、いつの時代も、それに見合った教育制度や教育機関を所有しており、所有してきたのであって、例えば古代にも、また中世にも、はたまた近世にも、このような「交友」を産み出すための仕組自体は、あらかじめ存在していたに違いないのである。

裏を返せば、そのような仕組が一体、誰のために産み出され、誰のために存在し、誰のために機能するべきものであるのかを、問い掛け、問い直す作業を介して、おそらく人類は、それこそ古代から中世へと、近世から近代へと、その歴史の歩を進めてきたのであった。その限りにおいて、人類の歴史は人間関係(human relations)の歴史に他ならず、それは「教育」の歴史でもあれば、ほかならぬ「交友」の歴史でもあった。――とすれば、そのような試行錯誤(trial and error)の果てに、君や僕が広く、総じて「交友」の人間関係を築き上げることの叶う、可能性も現実性も、かなり出揃った段階で、むしろ君や僕は皮肉なことに、その「交友」の人間関係を蔑(ないがしろ=無代)にしたり、不必要に感じたり、これを忌み嫌ったりする事態に陥っていることに、なるのではなかろうか。

仮に、このような推測が間違っていないのであれば、どうやら君や僕は「交友」の人間関係と、その歴史に対して、きわめて大きな、取り返しの付かない過ちを、しでかしてしまっていることにもなりかねない。と言うよりも、それは君や僕の歴史に対する、幾分、過激な物言いにはなるけれども、裏切りであったり、冒瀆であったり、しかねない話なのである。......と、このようなことを言い出すのは、いたって単純に僕自身が、いわゆる社会(society)とは「交友」(socius)の人間関係以外の何物でもない、と考えているからに他ならないが、そのような人間関係にも当然、好い関係と悪い関係はあるし、お手本になる関係と、ならない関係はあって、その点を踏まえれば、やはり君や僕は好い、お手本になる人間関係を見つけ、これこそが「交友」なのだ、と納得するより他に道はない。

その点、そのような人間関係が小林秀雄の対話集には、あちらこちらに鏤(ちりば)められていて、たしかに、と僕を頷(うなず=首肯)かせることも度々である。その度に、どうやら「交友」とは彼らが生きていた時代にも、また同様に、君や僕が生きている時代にも、そろって「対話」を必要とするものであり、それが言い換えれば、きっと君や僕の「教養」の出発点でもあり、到達点でもあったに違いないのである。その限りにおいて、何時(いつ)でも何処(どこ)でも何人(だれ)でも、このような「対話」や「教養」のスタート地点は、それ自体、与えられているのであるが、そのようなスタート地点の最たるものに、やはり「大学」ほど相応しいものはないのではなかろうか、と――次のような今日出海の『私の人物案内』を読んでいて、つくづく僕は感じ入ってしまうのである。

 

彼〔=小林秀雄〕は無駄話は一切せず、「中島ベーカリー」に行き、坐ると途端に「バルザックの意志というものはね......」とやり出す。小林の考え方の斬新さ、その角度の独自性というよりも、彼の独特の言葉自体が既〔すで〕に私には魅力だった。〔改行〕若くして死んだ批評家〔、〕ジャック・リヴィエルは芸術の好きなことでは人後に落ちぬ男で、文学は勿論、美術〔、〕音楽〔、〕悉〔ことごと〕くに彼は憑かれ、「エチュード」一巻を残したまま死んでしまったが、小林の若い時分もまたリヴィエルに劣らぬ情熱を以て、阿修羅〔あしゅら〕のように芸術に立ち向っていた。〔改行・中略〕彼の情熱は芸術に闘いを挑んでいるような激しさと気魄〔きはく〕を持っていた。彼は対象を焼き尽す熱火を蔵していた。それは確かに焼き尽すので、対象は彼の熱火に完全に焼かれ、あとには無惨な残骸しかなくなると彼は次に進んで行った。〔中略・改行〕黒い帽子に黒い服、黒いネクタイをしめ、研究室の扉が壊れるほど〔、〕どしんと開け、ばたんと閉めて、入って来る姿は、己が影を悪魔に売った大学生のようだった。

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