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交友について、ふたたび ――「教養」の来た道(313) 天野雅郎

今日出海(こん・ひでみ)の『私の人物案内』を紹介して、前回は幕切れとなったし、うっかり君には、その典拠を明記することも忘れていたので、続きの筆を執(と)る。この本を、僕は昭和六十年(1985年)に発行された中公文庫版で読んでいるけれども、もともと創元社から単行本が出たのは、それより30年以上(厳密に言えば、34年)古い、昭和二十六年(1951年)のことであり、まだ......と書くのは、もう僕自身が50歳を疾(とく→とう)に過ぎ、どうやら「天命を知る」(=知天命)とは年齢的に、このような事態を指し示すものらしい、と分かっているからに他ならないが、その点、この『私の人物案内』が出版された時点では、まだ今日出海も、また小林秀雄(こばやし・ひでお)も、どちらも50歳に満たない、それを目前に控えた時期であったから、これは少々、驚きである。

とは言っても、どんどん日本人が明治時代生まれから大正時代生まれへと、ひいては昭和時代――と言う、この言い方自体が相当、僕には違和感があるけれども、とにかく、その昭和時代生まれから平成時代生まれへと、よくも悪くも、確実に年の取り方がルーズになっていることは、疑いがない。そして、そのルーズ(loose=自由)な状態が皮肉なことに、お互いの自由を今度は、反対に制限し、拘束し合う関係へと陥ってしまうのであるから、なんとも人間関係は複雑である。そして、それが20世紀の末年あたりから21世紀の初年あたりに流行した、あの「ルーズ・ソックス」さながらに、ほとんど制服(uniform=均一形態)に等しいものになってしまい、これが日本全国、津々浦々(=港町+漁村)を征服するまでに至ったのも、それは遠い昔の話ならぬ、とても近い、今の話であった。

おそらく、そのような動きとも連動しているのであろうが、どうやら下手(へた→端→はた)をすると人間は、この国では幾つになっても人間になることが出来ず、困難を極めてしまい、そうであるからこそ、和歌山大学の「教養教育」も「人間になるための教育」(the art of being a human)という名の、一見、不可解な看板を掲げ、目下の所、これを下ろさずに済んでいるようなのである。であるから、幾つになっても一向に、学(呉音→ガク、漢音→カク)を志(こころざ=心指)さず(=志学)而(しか→しこう)して立つ(=而立)ことも叶わず、何から何まで人(ひと→他人)に頼り、人任せにして、いわんや(と言う、この言い方自体が何とも、おそろしく古風なことに、われながら再度、驚いているけれども......^^;)自分の生活や人生に惑(まど)うことばかりを、繰り返す。

もっとも、このような惑(まど=目訪)いには漢字を宛がうと、もう一つ、迷(メイ→慣用音、呉音→マイ、漢音→ベイ)の字を宛がうことが出来るが、こちらは多くの場合は迷(まよ=目酔)う、と訓読する。まあ、どちらでも構わないじゃん、と君は思うかも知れないが、もともと「まよう」(→まよふ)が「進む道や目標が〔、〕わからず、あちこち動き回る〔、〕という行動に重点がある」のに対して、もう一方の「まどう」(→まどふ→まとふ)は「どちらかというと〔、〕どうしたらよいか〔、〕わからず〔、〕おろおろする〔、〕という心理状態に重点があると言われる」と、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の「まどう」の語誌にはあるから、この暑い中、迷うことや惑うことを余儀なくされ、止(や)めようにも止められない、君への暑中見舞としても、ぜひ。

でも、それでは余りに無愛想で、いかにも素気(すげ→そっけ)ないから、せっかく君が暑い中、このブログに汗を滴らせ、読んでくれている可能性も、ない訳ではなく、その返礼も兼ね、そのまま『迷う人迷えぬ人』と題された、これまた今日出海の一冊を紹介しておこう。――この本は、もともと昭和三十八年(1963年)に新潮社から刊行されているので、この作家の経歴においては、もう後期のものに属するけれども、このような人物批評と言おうか人物評論と言おうか、ひょっとすると今日出海の遺した仕事の中で、いちばん今後も、読者を獲得し続けるとしたら、それは結果的に、この類(たぐい=比)の評伝(critical biography)なのではないか知らん、と僕は思っていて、その点も含め、前回の『私の人物案内』を手始めに、この作家の話を君に聴いて貰(もら)っている次第。

ただし、あくまで僕自身が好感を持つのは、この作家の個人的な人物評であって、例えば『私の人物案内』に収められている、その名の通りの「英雄部落周游紀行」や、あるいは「鎌倉の紳士たち」や「鎌倉婦人」になると、とたんに興醒めがしてしまうのであるから、始末が悪い。が、この性癖は僕自身の、持って生まれた性(さが)と、その癖(くせ=曲)であったから、ご容赦を。なにしろ、僕自身は子供の頃から、幼稚園の時も小学生の時も、中学生の時も高校生の時も、いずれも自分の周囲に多くの人間が集まっていた、ためしはなく、いつも僅かな、二人とか三人とか、そのような級友(クラスメート)と付き合っていれば、それで満足であったし、それ以上の人数に囲まれ出すと、にわかに居心地が悪くなったり、さながら空気が、急に薄くなったり、し始めてしまうのであった。

もちろん、この傾向(tendency=性向)は大人になっても、まったく変わらないし、それどころか、どんどん酷くなっているのかも知れないね。事実、僕自身は大学の教員を40年近くも続けながら、実は「学会」という場に身を置いていない。この事実は、きっと大学の教員をしたことがなく、する気もない君には、よく分からないことに違いないけれども、それはそれは、変梃(へんてこ)りんな、なんとも奇怪なことなのである。そのような事態を、どうにかして君に伝えようとしたら、それは君が「クラブ活動」や「サークル活動」が嫌いで、これまで一度も、そのような「友だち」づきあいに興味を持ったことがなく、いつもイヤイヤ......このような集団行動に参加させられ、このような娯楽団体(営利団体?)に所属させられ、憂鬱な日々を送っているのと、少しばかり似ているかな。

であるから、僕自身は今日出海が、ある特定の「友だち」について、あれこれ語り出す時には、これに関心を示すことが叶っても、その「友だち」が集まって、どこかで酒を飲んだとか、どこかに旅をしたとか、ましてや彼らが、文壇や歌壇や俳壇という名の下に、いわゆる「同好の士」として集い、ごく近隣に住み、ご近所づきあいをしながら暮らしているとか、そのような雰囲気が漂うだけでも、要は、胡散(ウサン)臭いのである。――と言った辺りで、その「友だち」という語を80歳にもなって、また、その翌年には亡くなることにもなる......今日出海が逆に、その同じ80歳で亡くなった、小林秀雄の葬儀委員長を務めた際、その場で読んだ弔辞(「こよなく桜を愛した君」)が遺されているので、これを『レクイエム・小林秀雄』(1983年、講談社)の冒頭から抜き出して、お仕舞い。 

 

小林についても、いろんな方が、いろいろに見ておられると思いますが、私は一番そばにいて、一番見なかったのではないか。私は〔、〕とても小林を観察するような立場にはなかったと思う。〔改行〕ただ、よく一緒にいたし、一緒に遊んだし、一緒に旅をした。なんか離れることができない友だちである。それだけが〔、〕ひしひしと迫ってまいります。きょうは涙もこぼさないで、この葬儀を全うしたいと思います。〔改行〕小林は〔、〕やはり二人といない人間であります。どうして生まれてきたのか〔、〕わからないような男であります。そして心は〔、〕まことにあたたたかい、天才でもなければ〔、〕なんでもない。一個の立派な友だちであり、父親であり、夫であった。これを貫いて、死ぬまで黙って平静心を失わずに人生を全うした男であります。希有〔けう〕なる男であります。どうか、その友のために、みなさまと一緒に〔、〕ここで〔、〕お別れをしたいと思います。

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