ホームメッセージ岡倉天心覚書 ――「教養」の来た道(329) 天野雅郎

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岡倉天心覚書 ――「教養」の来た道(329) 天野雅郎

目下、授業で岡倉天心(おかくら・てんしん)を扱(あつ)かっている。と書き出したら、お察しの通りに僕が、とても熱(あつ)かったり、また暑(あつ)かったり、していることを、なんとなく君に分かって貰(もら)えるのであれば、いたって幸いである......と、まあ、このような前回同様の一文で話を始めたのは他でもない。なにしろ、君や僕は普段、まったく気が付いていないけれども、もともと日本語の「あつかう」という他動詞は、さかのぼると自動詞の「あつかう」(熱・暑)に辿り着き、文字どおりに「熱病・心痛など「事態に対して身をもって苦しみ煩う」意」から派生したものであって、実際、すでに『日本書紀』(720年)にも、例えば「悶熱」とか「惋痛」とか、このような表記を宛がわれて、この「あつかう」(→あつかふ)という自動詞が使われているのであった。

な~んて説明を、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引きながら、それらしい風を装って、僕は君に伝えている訳である。が、どうやら同辞典に従えば、このような説明自体が推測(憶測?)の域を出るものでは、ないらしく、その後に同辞典は続けて、これが今度は「身を煩わせて事態に対処する」意に転じ、そこから「他動詞に変化するのにともない、「①身を煩わせる」ことよりも「②事態に対処する」ことの方に重点が移り、やがて前者の意味特徴は忘れられ、単に「③物事を処理する」意となったものか」と書き記している。また、その用例として同辞典は、おおよそ①と②には平安時代のものを挙げ、これに対して③には江戸時代のものを挙げているから、このような意味変化は実に長い、一千年にも及ぶ歴史を抱え込み、そこに畳み込んでいることになるであろう。

ともあれ、このようにして日本語の、たった一つの語を取り上げるだけでも、そこには君や僕が「伝統」(tradition)と呼んでいる、その名の通りの「受け渡し」や「引き継ぎ」の作業が必要とされるのであり、それを欠いてしまうと、たちまち君や僕は薄片(うすぺら→うすっぺら)な、単なる言葉の遣(や)り取りを会話(=話す+聞く)や、あるいは思考(=読む+書く)と勘違いし、思い込んでしまうことにも、なり兼ねないから、ご用心。裏を返せば、そもそもコミュニケーション(communication)とは君や僕が、いったい誰と、何を分かち合い、これを共有するのかによって、まったく違ったものにならざるをえないし、そのような共有に与(あずか=預)るために、どの程度の努力や鍛錬を積み重ねるのかで、君や僕のコミュニケーションの質は、まるで別物ともならざるをえない。

そのような事態を、僕は最近、岡倉天心の『茶の本』(The Book of Tea,1906)を読み返すことにおいて痛感している。多分、10年ぶりくらいかな、と想い起こすのであるが、定かではない。と、このように書き継いだのは、意外や意外、僕は以前に授業で、いわゆる「茶の湯」や、そこから生まれた「茶道」(ちゃどう→さどう)について、何年間かに亘って講義をしていた時期があり、当然、そのような茶道(=茶頭)の筆頭、千利休(せん・の・りきゅう)に関しても、いろいろ映画を観たりもしながら、話をしていた経緯がある。そして、その際に「茶の湯」の古典(classic=最高級)を、中国の『茶経』(陸羽)や、日本の『喫茶養生記』(栄西)を手始めにして、あれこれ読み漁(あさ)ってもいたのであって、そのような折にテキストに使ったのが、岡倉天心の『茶の本』であった。

とは言っても、このような「茶の湯」との繋がりを、さらに遡ると、これまた意外や意外、僕の郷里(島根県松江市)の「不昧公」(ふまいこう)こと松平治郷(まつだいら・はるさと)にまで、この話は辿り着かざるをえず、彼が江戸時代の後期になって創始した「不昧流」の茶道は、広く僕の郷里に普及していて、僕は子供の時分から、あたりまえに「茶の湯」に親しみ、これを特別な習慣や作法として、むしろ意識することのない家族の中で育ったのである。であるから、逆に茶道の作法や、お点前(てまえ=手前)を意識しなくてはならない場面(すなわち、茶会や茶席)に身を置くと、これが嫌(いや)で嫌で、身の置き場がなくなり、たちまち逃げ出したくなってしまうのである。その点、この数年来、膝や腰の具合が悪く、畳に座ることが難しい分、言い逃れが出来るので有り難い。

もちろん、そのような生まれや育ちも影響して、ごく普通に僕は、今でも「茶の湯」を嗜(たしな)んでいるが、それは再び『日本国語大辞典』の「嗜む」の語釈にあるような「①常日ごろから〔、〕ある芸事に親しんでいて、ある程度の水準に達している」とか、あるいは「②何かに備えて、ある品物を用意しておく」とか、さらには「③気を配って行なう」とか「④きちんとした身なりをする」とか、このような意味の「嗜む」では、ほとんど無くて、せいぜい、それは「⑤嗜好品などを適度に口にする」という程度の「嗜む」に過ぎないけれども、この「嗜好品」の「嗜」(漢音→シ、呉音→ジ)という漢字を、じっくり眺めていれば、そこには「口」と「老」と「日」の組み合わせが浮かび上がってくるのであり、そもそも「嗜む」ことは三つの、この経験を必要としているのでもある。

その意味において、どんどん僕は最近、いろいろ身の回りのものを「嗜む」ことが出来るようになってきたことを、我ながら、けっこう嬉しく感じているし、そのような自分の変化を、逆に楽しみにしているのでもあった。おそらく、そのような変化が下敷きになって、僕は10年を超える歳月を経て、また岡倉天心の『茶の本』を繙(ひもと=紐解)いているのであろうし、それどころか、今回は何と『岡倉天心全集』(全8巻+別巻1)までもが、僕の机の横に並んでいる始末。――と書き継いだら、前回の『南方熊楠全集』と同様、この『岡倉天心全集』が平凡社から刊行されたのは、ちょうど僕が大学院生の時分(1979年~81年)のことであって、言わずもがな、では......あるけれども、これらの全集を貧乏学生である僕は、ただ恨(うらめ=怨)しく、遠目に望見するしかなかったのである。

でも、そのことによって反対に、僕は晩学ながらも南方熊楠(みなかた・くまぐす)や岡倉天心を「嗜む」ことの出来る自分と、ようやく出会うことが叶った訳でもあって、そのことは多分、何物にも代えがたい幸運なのではなかろうか。なぜなら、きっと僕は若い頃、次のような『茶の本』の名文に出会っても、これを名文として受け止めることが困難であったに違いなく、その点、この本がアメリカで、今から110年以上も昔に英語で書かれ、それを出版した際、岡倉天心は43歳であったことを踏まえると、あれこれ複雑な思いに囚(とら=捕)われる節も、ないではないが、それを軽く、楽に受け流すのも「嗜み」の一つではあろう。と言った次第で、最後に角川ソフィア文庫版の、大久保喬樹(おおくぼ・たかき)訳の『新訳・茶の本』(2005年)の一節を引いて、今回は、お開きに。

 

茶道は、雑然とした日々の暮らしの中に身を置きながら、そこに美を見出し、敬い尊ぶ儀礼である。そこから人は、純粋と調和、たがいに相手を思いやる慈悲心の深さ、社会秩序への畏敬(いけい)の念といったものを教えられる。茶道の本質は、不完全とうことの崇拝――物事には完全などということは〔、〕ないということを畏敬の念をもって受け入れ、処することにある。不可能を宿命とする人生の〔、〕ただ中にあって、それでも〔、〕なにかしら可能なものを〔、〕なし遂げようとする心やさしい試みが茶道なのである。

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